昨日「空間浄化」で小野春子さんのことを書き、小野さんのことでこれまで書き残したことを書こうと思い立ちました。
小野春子さんとの最初の出会いは今から13年前の2006年、積極人間の集いの講師としてその奇跡の生き様をお話くださった時です。
その衝撃はあまりに凄まじく、その日は家に帰ってすぐに感じたことを文章にまとめてホームページにアップしました。
<偉大なる生命力>
小野さんの生き様はすべてが奇跡です。
そのページにも書かれていているように、当日来られていた主治医の先生によると、複数箇所を圧迫骨折している小野さんについて、
「小野さんが立つというのは、医学的には考えられないことです」
と語っておられました。
また顎関節が崩壊した状態で普通に飲食し、会話をするということも絶対に考えられないことで、小野さんは治療ではなく検査のためにその後も広大歯学部に通っておられましたが、ある時そこで初めて出会った若い医師が、あまりの衝撃に膝を震わせていたと、笑いながら語ってくださいました。
小野さんと一緒に写った写真です。
小野さんの生き様は奇跡であり、それを知ることは多くの人に偉大なる福音を与えることになります。
またそうだからこそ、小野さんは自らの使命としてその役割を担われたのだと信じます。
初めて小野さんのお話を聞き、そのことをホームページに書き、いつしかもっと詳しいお話をお聞きしてより多くの人たちに伝えたい、そう願っていたところ、突然小野さんの方から電話をいただきました。
そのページを見た東北の支持者の方が小野さんに連絡してくださったそうです。
それ以来、県北の田舎町にある小野さんのお宅に何度もお伺し、お花見や講演会、ガンやパーキンソン病の方たちの集いなどにご一緒させていただきました。
これは自分にとって生涯の宝です。
そこで小野さんからお聞きしたことは、すべてをまとめ多くの人にご紹介すべきなのですが、このホームページでは複数のページに断片的に書き綴っているだけで、その点で小野さんには申し訳ないことをしたと思っています。
唯一よかったと思えるのは、小野さんの講演会を企画し、その講演録をネットで公開し、一冊の講演録としてまとめることができたことです。
<愛と奇跡の人 小野春子 講演録>
これには小野さんもとても喜んでくださり、そこにすべてのことを紹介できたわけではないので、またこの続きで第二弾、第三弾としていきましょうと言ったきりで、残念ながら小野さんは2013年に帰天されてしまいました。
小野さんは生きているだけで奇跡という状態であるにも関わらず、普通の人以上に快活に振る舞い、悩みの相談に乗り、救いを与え続けておられました。
小野さんのところには全国から相談の電話がたくさんかかり、電話料金節約のため、BBフォンという名前だったでしょうか、Yahooのインターネット電話の契約をされていました。
そしてその電話でたびたび奇跡が起こるのです。
小野さんが誰かと電話で話をしておられる時、誰かから緊急の相談の電話が入ると、勝手に前の人の電話が切れ、後から電話をした人に切り替わってしまうのです。
小野さんの電話はキャッチフォンではなく、NTTの人によると、こんなことは絶対に起こらないとのことです。
自分も小野さんと電話で話をしている時、二度この現象と出合いました。
自分の場合はつながる方ではなく切れる方でしたが、突然電話が途切れた後、
「ごめんなさい。今急に相談の電話が入ったから」
と、しばらく後に小野さんの方からお電話をいただきました。
小野さんが生き様として示された奇跡は多くの人に救いを与えるもの、人間が本来持っている偉大な可能性を示すためのものです。
小野さんは“難病のデパート”のような状態であったともに、その生涯はまさに“奇跡のデパート”でした。
小野さんの二度に渡る一時間の心臓停止後の蘇生は、たぶん世界的に例がないことだと思います。
その病室で毎晩現れた十字架の光、天上界からのメッセージ、どれもみなものすごい奇跡ですが、そんな中でも自分が最も深く印象に残っているのは、小野さんが神眼で描かれた絵のことです。
小野さんは自由に動かない腕を使い、周りの人たちのために数千枚の絵を描き続けられました。
そこには色鉛筆で描かれた美しい花の絵とともに、聖書の言葉が添えられています。
小野さんは手術で利き腕である右腕腋のリンパ腺をすべて切除され、術後懸命のリハビリによって腕の機能を取り戻されました。
それでも右手で三角形を描くことはできないとおっしゃられ、その状態で膨大な絵を描く続けられるのはいかに大変ことだったのか・・・想像を絶します。
小野さんはこういった絵を人様のために描くと同時に、ご自分用として数十冊のスケッチブックに絵を残しておられます。
そしてその中でも、NO.30という三十冊目のスケッチブックが特別な存在です。
2000年、膠原病の影響で小野さんは両眼の視力を失い、京都の漢方医療で有名な病院に入院されました。
そこで小野さんは目の手術をしてくださるよう病院にお願いされたのですが、病院側からは、
「手術をして99%目は見えるようになりません。もしなったとしても、うっすらと光が感じられる程度です」
と言われ、なかなか手術をしていだけなかったそうです。
小野さんはその後数週間にわたって病院を説得し続け、手術を受けさせてもらい、左右1.5と1.2の視力を取り戻し、亡くなられるまで老眼鏡を必要とされませんでした。
これも考えることのできない奇跡です。
その病院に入院し両眼がまったく見えない状態の時、なんと小野さんは、それでも花の絵を描き続けておられたのです。
どのように描かれたかというと、看護婦さんにお願いし、ベッドの前のテーブルに花を生けた花瓶を置いてもらい、色鉛筆を並べてもらい、その色鉛筆を手探り選びながら絵を描かれたと言われるのです。
もうこれは人智を超えた神業です。
その時の様子を病院の先生は、神眼、心眼で描いたと語られたそうです。
これがそのスケッチブックに添えられた小野さんのメッセージです。
病院名のところだけ文字をぼかしています。
No.30のスケッチブックに描かれた二十枚の花の絵は、眼が見えた状態で描かれたものとほとんど変わるところがありません。
けれどこの花の絵に添えられた言葉は聖書の言葉でなく、小野さんご自身の祈りの言葉なので、これを人様に見せるのはいいけれど、印刷したりはしないで欲しいと言われました。
小野さんの祈りの言葉は聖句と同様素晴らしい響きを持ったものですが、それが小野さんのご意志ですので、その言葉のところだけぼかした状態のものをご紹介いたします。
これが盲目の状態で描かれたものだと誰が信じることができるでしょう。
言葉にならない奇跡はこれに留まりません。
小野さんは退院後、この神眼で描いた奇跡の絵が綴られたNo.30のスケッチブックを、当時小野さんが属されていた県北のあるキリスト教会で展示されました。
ところが、貴重なその絵を誰かが自分のもものにしたいと思われたのでしょう、ある時突然その教会からスケッチブックが消え去ってしまいました。
それから数ヶ月後、家の中に突然見知らぬ男性が入り込んできました。
その男性の言われるには、
「自分はこの家に来るつもりはまったくなかった。
別のところに行くつもりで運転をしていたら、ハンドルが勝手に動きだし、無理やりこっちに連れてこられ、この家の前でエンジンが止まってしまい、仕方なくこの家に入ってきた」
とのことだそうです。
突然の来訪者のその方と小野さんがしばらく話をしていると、また突然にその男性が土下座をし、
「すみません。あなたの絵を盗んだのは私です」
と告白されたそうです。
その後スケッチブックはその方によって教会も戻され、小野さんの手元に返ってきました。
小野春子さんは神に近い特別な存在の方でした。
けれど小野さんのような奇跡を起こす力は、誰しもが潜在的に持っているものなのだと思います。
そして小野さんは、イエスが自ら苦難の十字架を背負ったように、自らの使命、天命として数々の難病を背負い、克服されてきたのだと信じます。
小野さんのこの奇跡を知った方が、自らの可能性を花開かせられることを願います。
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