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生命の流れ<4>

国旗 日の丸

長く更新間隔が開いてしまいました。

自分にとって文明法則史学は極めて大切な存在であり、その出合いは運命的なものだと感じています。
そして巨大な文明転換期に入る前である1938年(昭和13年)頃にこの文明法則史学が村山節先生によって発見されたのは、人類がこの文明の大転換期を無事乗り越えるための知恵の道具として活用するよう天から与えられた贈り物なのだと考えています。

文明法則史学が偉大な知恵だといっても、これを知ってすぐに身近な生活が変るわけではありません。
それよりも今の心の時代の過渡期では、引き寄せの法則や願望実現といった即物的なものの方が衆人の耳目を引きやすく、時代はまだマクロ的で本質的な物の見方が注目を集めるまでには至っていないと感じます。

それでも文明法則史学は数々の本や講演会等でその名前と大筋は多くの人に知られるようになりました。
その中で数少ない人たちが研究者となって歴史の生命観への考察を深め、文明法則史学を学問としてより確固たるものとし、多くの人たちに真実を知らしめる努力を続けておられます。

自分は文明法則史学に基づく歴史の考察はあまり行っていませんが、そこから学んだ『すべてのものに通じる生命観』は自己の哲学の根幹とし、その上に大きな花を開かせようとこの32年間、自分なりの研究を深めてきました。

 

個人的なことですが、この文明法則史学と深く関わらせていただくことは自らの天命であり、その天命を果たすことは命懸けで取り組むべきことだと体で感じています。
そしてそれは事実であると確信しています。

今から十年ほど前、当時この文明法則史学の価値観を共有する友人が二人いました。
一人は自分に文明法則史学を知るキッカケを与えてくれた友で、もう一人は文明法則史学を学び始めてすぐに出会い、遠方に暮らしているにも関わらず互いに親交を深めてきた友です。

その二人の友に起こったことは、とても簡単な言葉で説明できるものではありません。
その二人の友人は互いに面識はありませんでしたが、その年のほぼ同じ時期に、普通の人生では経験しえないような極めて大きな災難がまったく異なった形で二人に降りかかりました。

その当時その二人ともここ広島から遠く離れたところに暮らしていましたが、二人とも災難の舞台が広島であり、またそれが自分にとって接点のあることで、さらにその接点が二人共通したものであるという、まったく偶然ではすまされない奇妙なことが起こりました。

こんなこと、読んでいてもまったく分からないと思いますが、文明法則史学で結びついた三人、うち自分以外の二人はまったく面識がないにも関わらず、極めて大きな災難を糸口として三角形をした何か深い関係性があるということを知らされたのです。

そのあまりにも偶然とは思えない事の流れに慄然とし、友が遠方より広島に来た際に、
「文明法則史学と関わるのは命懸けのことであり、これと中途半端に関わると命を取られかねないということを肝に銘じるべきだ」
ということを話しました。

そしてその数ヶ月後、今度は自分自身に死に目に遭うほどの危機が二度目の前にやって来て、自分の場合はギリギリで危機を回避でき、完全な無傷の状態でそれらを乗り切ることができました。

その当時年齢は五十歳、自分は二十歳の時に神前で寿命を半分神に捧げる真剣な誓いをしたので、たぶん寿命が八十歳としてその現れだと感じていますが、それと同時に文明法則史学と深く関わっていることの何かの証であろうとも感じています。
もちろん証明できることではありませんが。

 

今回自分の中の文明法則史学の流れをこのホームページに綴っていく機会を持つことにより、これまでのことをより深く見つめ直さなければならないことが起こり、そんなことでなかなか続きを書くことができませんでした。

日本も世界も激動した2020年、今は翌2021年となって早一ヶ月半ちょっと経ちますが、今年は昨年以上に大きな激震が走るものと予測されます。
今年もそれ以降も、文明法則史学から与えられた知恵はより重要となってくるでしょう。

 

文明法則史学から見た米中両大国のこれからをもう一度書いておきます。

長い人類の歴史を貫く東西文明興亡の二重らせんの流れ(文明サイクル、CC)、そこにあるこれまでの800年間西洋が栄えてきた波の上にアメリカ資本制という社会秩序(SS)があり、そのSSはCCの大きな流れである西洋から東洋へと文明の覇権が移ろうとしている今、大小二つの波は同時に終焉を迎えようとしています。

これはマッカーサーの「老兵は死なずただ 消え去るのみ」という言葉のようであり、またそのように静かに消えていってもらわなければなりません。

マッカーサー

マッカーサーが連合国軍最高司令官として日本に降り立った1945年(昭和20年)は、アメリカが強い勢いを持った高原期の中にあり、その後泥沼化したベトナム戦争を経て、その最中の1965年あたりを下降に向けての分岐点(文明法則史学ではe点と称します)として今に至っています。

アメリカが自由の国、民主主義国家として世界のリーダー的立場を取っていた時代は昨年の大統領選挙で消滅しました。
これは冬に入る前に木々の葉が紅葉するのと同じで、いったん紅葉した葉っぱは再び青々と萌え盛ることはなく、生命ある時の流れの中で静かに姿を消していくのみです。
(中国は、枯れ木に緑色のスプレーを吹きかけて緑化だと称しているようですが・・・)

これは服部匡成氏が作成した図です。

アメリカSS

上に図の緑色がアメリカ資本制SSで、赤色の波線が現在の共産党支配の中国であり、今の中国はひとつの生命体としての要件を満たしていません。

中国は現在強権を持って領土や勢力を広げようとしていますが、生命体としてのSSの形を保っておらず、このように東西文明の交代期にはアレキサンダー大王率いるマケドニア、日本の平氏や蒙古、ソ連の社会主義体制など、いずれも短命で終わる「過渡期の覇者」が一時的に現れます。

ここでイメージするのは「風の谷のナウシカ」に出てくる巨神兵です。

強大な力を持つものの、まだ生命体として未成熟なまま表に出てしまったため、短期間で全身をとろかしながら命尽きてしまったあの化け物です。
邪悪な存在というのも中共のイメージとピッタリです。

 

米中両大国の崩壊は、先のアメリカ大統領選挙における大規模不正でバイデン偽大統領が誕生したことによってアメリカ資本制SSの崩壊は早まり、中国は一時息を吹き返すもののその寿命は長くはありません。

問題はその崩壊の際に生じる大きな波をどう受け止めるかです。
波の大きさは文明の規模に比例し、人類が地球環境を根本的に変えうるほど大きな力を持ったがゆえ、過去の文明転換期以上の巨大な波が押し寄せてくることが予測され、それは津波と言ってもいいものかもしれません。

その波の第一弾として、海警法を施行した中国が武器を装備した船舶で尖閣に近づいてくるでしょう。
台湾、尖閣、そして沖縄から本土、中共の魔の手は今後確実に日本全体に近づいてきます。

中共体制の崩壊は間近ですが、今すぐというわけではありません。
習近平体制がいつまで続くかに関わらず、あと十年ほどは覇権主義を維持し続ける可能性があり、今のエセ・コロナ禍で疲弊しきった日本の経済や体制全体が中共に乗っ取られ、これから新たな文化(SS)を築き上げていかなければならない日本の生命が元から断ち切られてしまう可能性があります。

2021年現在の日本の新たなSSは、ようやく誕生点であるa点を過ぎたところで、これから大きく成長をしていくためには現在の一日一日が極めて重要であり、ここで足踏みをし、他国に蹂躙されるのを指をくわえて見ている余裕はありません。

アメリカがディープステイトによって深く浸食されているのと同様に、日本の政界、メディアにも日本の繁栄を望まない勢力が多数いるものと考えられ、まずはそれらを一掃すること、そして終焉への道を辿っている同盟国アメリカに頼らず自警できる国になることが求められます。

 

日本は、1600年前のひとつ前の西洋から東洋への覇権交代期に於いて外来の価値観を上手く受け入れ、仏教を神仏習合という形で古来からある神道と時間をかけて馴染ませ、中国から入ってきた漢語も漢字仮名交じり表記で漢文という母国語の一部のように取り入れてきました。

そして今も和魂洋才の思想が息づき、東洋の中でいち早く西洋文明を取り入れ経済大国となった後も、人々の思想の中にはかろうじて大和魂の炎が灯っています。

これから東洋の時代へと入っていく中で、現在強権を振るっている中国には人権や正義というものは存在せず、持続可能でより平和的でなければならないこれからの人類共通の価値観を創り上げリードしていくことはこの国には不可能です。
また先に述べたように、現在の中国はひとつのSS(社会秩序)としての体をなしておらず、近い将来崩壊していくであろうことは必然です。

自分は国粋主義者ではありませんが、様々な観点から見て、次代の新たなる文明の価値観を築き上げていけるのは、『和をもって尊し』とする日本以外には考えられないと強く信じています。

 

800年、1600年に一度という大きな文明転換のサイクルを超え、今は人類存亡の危機を抱えたより巨大な人類史の転換期だと考えられ、この先人類が持続可能な社会を築き上げるとしたら、これまでの東西両文明の激しい対立ではなく、より協調性を持った融和の文化を創り上げていくことが必須であり、だからこそ日本が本来持つ大和の文化が求められます。

そしてその精神は、陰陽二元論を完全に超越した和の世界を示した日本の国旗、日の丸に示されています。

また日本語にもそれが表れていて、日本語は主語がなくても通じる言語であり、これは融和であり、すべてのものに通じる何か、仏性、神性、ワンネス、Everything Great、そういったすべてのものとの一体感を示しているのだと考えられます。

 

ただしそれは時によっては曖昧さを生じ、ここ広島の平和記念公園にある不戦の誓いとしての慰霊碑の言葉にそれが表れています。

『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』

原爆死没者慰霊碑

この碑文には賛否両方の声があります。
なぜこの碑文には主語がないのか、過ちとは何を指しているのか、誰が犯した過ちなのか、
このような曖昧な表現では反省も責任追及もすることはできない、というのが否定論者の声です。

悪く言えば曖昧、あやふや、不明瞭であり、その裏には回りのすべての自然と共生してきた長い歴史、そこで培ってきた共存意識、共同体意識があり、それが言葉や態度といった形あるものを介さなくても相手に “察する” ことを求める日本文化になったのだと考えられます。

すべては相対の世界、絶対善のものは存在せず、負の側面を認識しながら関わることが大切です。

 

その融和を生み出す日本語は脳の働きをも変え、東京医科歯科大学の角田忠信名誉教授の研究によって、日本語を母語として育った人は、他の言語を母語として育った人とは異なり、下図の赤い文字で示された自然音や感情音を言語と同じ左脳で聞き取るということが明らかになりました。

日本人の脳

虫の鳴き声や風鈴の音色、風音、波音、人間や自然が発する音を雑音としてではなく風情を感じながら言語と同じ音声として聞き取るのは、日本人としてはごく自然な感覚ですが、それは日本人だけが持つ融和の文化がもたらす特殊な感性なのです。

 

融和という意味では能の文化も同様です。
まったく表情のない能面をかぶり、そのさりげない仕草だけで喜怒哀楽を表現する日本の伝統芸能は、自己主張することで文明を発達させてきた西洋人には理解不可能でしょう。

能面

これが今は忖度や同調圧力ともなって必ずしもいい面ばかりではないものの、日本には一人称と二人称との対立を超えた融和、調和の価値観があり、根底でつながっているものを尊重し、そのつながりを互いに感じ取りながらコミュニケーションを取るのが上質であるという文化があります。

 

つながり、そしてそれを互いに結びつける。
これはもう完全に文明法則史学からは離れてしまいますが、日本列島の形そのものがそれを示し、日本は世界の大陸が集合した縮図だという見方があります。

世界の大陸をつなぎ合わせて日本列島を形作った画像がネットに出ています。

世界の大陸と日本列島 世界の大陸と日本列島

さらに日本最古の神社とされる熊本の弊立神宮には、世界のすべての人種を統合するという意味での五色人面があることで知られています。

五色人面 弊立神宮

これはオリンピックの五輪マークと同じ意味です。

五輪マーク

 

仮説ではありますが、「新たなる生命の時代」の最後に附記として紹介したガイアの法則によると、精緻に移動する文明の発祥地の次の順番は日本であり、東経135度の明石、淡路島から東側+1.4度の範囲であるとのことです。

ガイアの法則年表

この説が本当に正しいものであるのか、あるいは単なるフィクションなのかはよく分かりません。
ただ文明法則史学で実証されたものとかなり近く、これが正しいとすると納得できる点も多々あります。

今は1611年に一度の転換期を超えた地球の歳差周期である25776年規模の巨大サイクルの始点にあたり、それが日本、古事記で人類発祥の地とされるオノコロ島(淡路島)から生まれ、その目覚めの時がそこで発生した阪神淡路大震災であるというのはあまりにも出来すぎています。

 

さらにはそれを裏付けるこんな話があります。

四国には空海ゆかりの八十八箇所の霊場があります。
八十八は、末広がりで宇宙の数と言われる八、それが一の位と十の位で陰陽となっています。

広島を拠点として活動する国際風水学研究所の風水師中村憲二氏によると、四国の気脈は石鎚山と剣山を頂点として横に大きく八の字の形で巡っているとのことです。
弘法大師空海はこの八の字形の地のエネルギーの流れを感じ取っていたのでしょう。

四国風水地図

西の石鎚山は西日本最高峰で日本七霊山のひとつに数えられ、白装束を着た多くの修験者が登拝することで知られています。
自分も二十年ほど前に白装束を着て登ったことがあります。

東の剣山も西日本第二の高峰で、ソロモンの秘宝が埋められているという伝説もあるミステリースポットであり、剣はまた三種の神器のひとつでもあります。

この剣山の剣は “鶴亀” と書くこともでき、山中には鶴石、亀石があります。

かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に鶴と亀がすべった
うしろの正面だあれ

童謡「かごめかごめ」に秘められた意味は、鶴と亀が滑った、つまり鶴石と亀石が崩れるほどの地震、夜明けの晩(午前5時46分)に起こった大地震によって駕籠の中の鳥という隠されていたものが表に現れるということ。

その時のエネルギーの流れが鬼門の方角にある淡路島、
〜 “あわじ”、“あわ” とは五十音の最初と最後の文字で神の意味、“じ” は道(路)で “あわじ” は神の道という意味、 〜
を通って “神の扉” である神戸へと至る。

その後ろの正面にあるのは剣山で、そこに隠されている何かということ。

これもあまりにも出来すぎていますが、どうなのでしょうか・・・。

 

歴史の流れ、文化、言語、地理的条件、・・・どこから見ても日本はこれから大きな役割を担っていかなければならないと考えられます。

まずは日本人一人一人がそのことを感じ取っていくことが大切です。
そしてその上で何をするべきなのか、それを知り、行動することです。

文明法則史学の詳細はとても簡単には書き切れません。
それを理解するには服部匡成氏の「文明が転換するとき」が最適です。
人類の歴史を生命史観でもってこれほど明解に解説した本はかって存在しませんでした。
是非ご一読なさることを強くお勧めいたします。

最後に、この本に書かれているこれからの日本が健全なSS(社会秩序)を形作っていくために大切な要点として書かれていることを記します。

  1. 日本について、適切に学び健全な愛国心を養う
  2. 働きに応じて公平な賃金が得られる仕組みと働き方改革
  3. 既得権の打破と支配層の入れ替え
  4. 人類の生成発展(学術・文化)に対する金銭的サポート
  5. 首都機能の一部移転

日本にとって、今この時が限りなく重要です。