幼児期に身に付けるべきもの

幼児教育・食育ピラミッド

以前勤めていた公文教育研究会という会社は、日本に於ける幼児英才教育の魁的存在です。

自分が入社した1983年は公文数学研究会から公文教育研究会に社名を変え、その春に小学校に上がる新潟の女の子が入学直前に、公文の算数・数学、英語、国語の三教科ともに高校最終教材まで終えてしまったというそんな年でした。

その女の子のお母さんは、当時はまだあまり名前の知られていなかった七田式のインストラクターをしておられ、我が子に徹底的に英才教育を施したのだろうと思われます。

また入社時にもらった「公文式教育法入門」という本の末尾には幼児、小学生各学年の優秀者が一覧で載っていて、先日のニュースで今の任期を最後に政界引退を宣言した山尾志桜里、旧姓菅野志桜里さんも名前を連ねていました。

幼児期に於ける脳の発達は驚異的です。
それを活かすノウハウも年々蓄積され、知的能力の発達度合いは簡単に数字で表すことができるため、多くの指導者がそれに熱意を傾け、会社全体にそこが公文の価値を表す最大のポイントだとする雰囲気がありました。

その指揮を執っていたのが公文公(くもんとおる)氏、公文式の創始者であり当時の会長です。
公文会長はよく
「千里の馬は常にあり、名伯楽常にあらず」
千里を一気に駆け抜ける能力を持った馬はいつの世にもいるが、その能力を引き出すことのできる名伯楽、名指導者はなかなかいない、という故事を引き合いに出して指導者の方たちを啓発しておられました。

自分は七年勤めた公文を1990年に退職し、その五年後の1995年に創始者公文公氏が亡くなり、かなり熱を帯びていた幼児英才教育もいくぶん沈静化したと聞いています。

 

幼児の知的発達はまさに「砂が水を吸い込むが如し」です。
そこで成果を上げていくのは本当に面白く、そこに力を入れるのが本当にその子の幸せになるのかという一抹の疑問はあったものの、幼児期でなければ身に付かない能力があるというのは事実であり、その能力を「可能性」という言葉で表現されると否定することはなかなかできません。

「十で神童十五で才子二十過ぎればただの人」
これはよく聞かれる言葉で、幼い頃に優秀な子どもが大人になって花開くとは限らないということを意味します。
かと言って普通よりも悪くなってしまうと言っているわけではなく、幼い頃の高い知的能力が大成するための絶対必要条件ではないものの、それを手段として持つことは悪くはないと当時は考えていました。

ただし幼児期に身に付けるものが知的能力に偏りすぎると弊害があるというのも正しいことで、エリート街道ひた走りの官僚や政治家が人の気持ちが理解できなくなるように、そういった例は少なくありません。

 

その上で自分なりに幼児にとって何が必要な知的教育であると感じたかと言えば、まずは自ら学んでいくことのできる力、自学自習能力です。
これを身に付けることができるのが公文式の大きなセールスポイントのひとつであり、この能力は読解力と大いに関係し、しっかりと本を読む習慣と読み取る力が元となります。

読解力、国語力は人間力と言ってもいいぐらい、その人、その子の所作、思考の広さ、深さといったものに表れます。
高い読解力は、新たなものをテキスト、教科書などを元に自ら学んでいく姿勢と能力を培います。
極端に言えば、学習している姿を見ただけでその子の読解力が推察でき、高い読解力のある子どもは落ち着きと大人びた雰囲気を持っています。

もうひとつは処理をするスピードという意味での数感覚です。
これは難しい数学を解く力ではなく、数の量的、質的感覚を広く深く身に付けるということです。
このことは以前「数感覚を鍛える」「磁石すうじ盤」などに書きました。

自分は幼い頃から算数が大好きで、数の量的、質的感覚は元々よく理解できていました。
その上で上のページでご紹介した方法は極めて優れていると絶対の自信を持って勧められます。

再度簡単にご紹介すると、数の質的感覚を鍛えるとは、素早く素因数分解する力です。
36なら2×2×3×3、39なら3×13、これをできれば200まで、小さな単語カードの表に1から100なり200までの数字を書き、裏に素因数分解したものを書き、それを表の数字から頭の中で素早く求めるのです。
これは効果絶大です。

もうひとつの量的感覚は、以前ブームになったことのある100マス計算もいいのですが、自分が勧めるのは公文の教具磁石すうじ盤です。

これは30、50、100と種類があり、一見すると数字を覚える幼児用教具に思えますが、大人がやっても確実に処理能力向上の効果があります。
すうじ盤はただ数字の駒を置くのが目的ではなく、時間を計り、速く置けるようにすることが目的です。

盤の表面には数字が書かれていて、置く時にはそれが目安となります。
裏面は30と100は数字なしのマス目だけ、50はあいうえおが書かれていて、そこに素早く数字の駒を置いていくのは結構戸惑います。

頭脳明晰な大人の方でも100の裏面を一週間続けてやってみると、日々少しずつタイムが短縮され、頭の働きがスッキリしてくるのを感じるはずで、子どもがやればなおさらです。

 

読解力と数感覚、どちらも大切ですが、どちらかと言えば読解力の方がより根底に位置すると考えられます。
けれど人それぞれ個性があり、能力バランスもその個性のひとつです。

自分は数学や機械操作は得意でスムーズに理解することができますが、料理や裁縫、そういったものは興味がないのでまったく覚えられません。
”できない”というのも個性、能力であり、できる人とは異なったものの見方ができ、できる人に活躍の場を与え、その人を活かすために必要なものだと感じます。

「人生万事塞翁が馬」
将来的に何が幸せを導くかは分かりません。
分かりませんが、高い知性を持つ人間として生まれてきたのなら、将来的に大きな可能性を花開かせるための能力、環境を幼い時期に与えてあげることは大切であり、その基礎としての読解力、数感覚は身に付けておいて損はないものと考えます。

本当ならば、子どもの頃の能力や性格、生活環境や家族、人間関係、それらが大人になってからの幸福度とどのような相関性があるのか、これを研究することは極めて重要ですが、こういった発表はほとんど目にしたことがありません。

公文も今はどうかは分かりませんが、一時期幼児で中学、高校の学習過程を学ぶ子どもたちを多数輩出してきたのですから、その子たちが大人になってその能力をどの様に活かし、どんな人生を歩んでいるのかを報じる義務があると思います。
実際に調べて発表されているのかもしれませんが、とても興味があります。

 

ボランティアで公衆トイレを掃除するようになって十年以上になります。
その掃除活動の原点となったのが自動車用品を販売するイエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏であり、そこから「日本を美しくする会」が生まれ、全国、海外へと広がっていきました。

日本を美しくする会の初代会長を24年間務められた田中義人さんとは随分昔に懇意にさせてもらっていました。
これは広島駅北側の二葉山で撮った写真です。
三十年ほど前のもので、左端が田中義人氏、右から二番目が酒井です。

田中義人さんと二葉山で

その田中さんが掃除についての本を書かれ、手にしてからしばらく本棚に眠っていたものを先日から読み始め、これがとても学び深い素晴らしい本であることを知りました。

掃除道に生きる

田中さんの実践は新聞でも紹介されました。
お読みください。

中日新聞 田中義人氏

中日新聞 田中義人氏

 

田中義人氏の「掃除道に生きる」を読ませていただき、これまで漠然と感じていた幼児教育についての大切なことを教えてもらいました。

 

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