お盆が明けて<3>

ゲルニカ

コロナ以外のことを書こうと「お盆が明けて」としましたが、結局少しずつ日が経ち、コロナのことばかり書いてしまいました。
最近は時の流れが急速で、お盆の頃ははるか昔のように感じます。

YouTubeを見ていると、時に思いがけなく心惹かれる音楽に出合うことがあります。
そんなことは年に二三度といった程度ですが、前項でアップした「●●速報●●【イギリスでワクチンによる死亡が公式認定】」の冒頭の歌声に久し振りに痺れてしまいました。

YouTubeでは、著作権のある音楽はバックで流れていると自動認識し、その曲のクレジットが自動的に表記されるようです。

冒頭の曲は手嶌葵の「テルーの唄(歌集バージョン)」という曲なんですね。
たぶん初めて耳にしたと思います。

この歌の魅力をどう表現すればいいのでしょう。
明らかに彼女の声自体に人の心を惹き付ける何かがあるようですが、それは言葉で言い表わせません。

手嶌葵という彼女の名前でYouTubeを検索してみると松田聖子の名曲「瑠璃色の地球」があり、それを聴いてまたビックリです。

喉の調子でも悪いのでしょうか、ちょっとかすれ気味で声が全然出てないですね。
この感じでのど自慢に出たら鐘三つはもらえないでしょう。

けれど・・・そのかすれた声が胸に染みます。
なんなんでしょう、これは・・・。

(このささやくような歌声は、かなり上質の音響機器を通さなければいい状態で録音することは難しいでしょう)

 

自分は音楽が大好きです。
No Music, No Life です。
けど音楽以上に好きなのが音で、その音とはオーディオ的なものではありません。
その世界はもうやるだけやって引退しました。

音とは単なる空気振動ではなく、その裏に膨大なメッセージが秘められていて、それは生音でもステレオでもラジオでも、どんな媒体を通しても感じ取ることができ、今自分が最も意識を向けているのはその部分です。

東京医科歯科大学名誉教授の角田忠信先生によると、日本語を母語として育った人は他の言語環境の中で大きくなった人とは異なり、虫の音、雨音などの環境音を言語脳である左脳で処理するとのこと。
そしてそれはその音とハッキリ意識できるものだけではなく、瞬間的なパルス音に加工しても脳はキチンとその音を聴き分けているとのことです。

つまり音の本質を感じ取るのは理屈ではなく無意識の領域であり、彼女の声の魅力をどこで感じているかは言葉という理屈で説明することはできないのです。

手嶌葵という方はこれまでどのような生き方をしてきたのでしょう?
どんな内面世界を持っていたらこんな声の響きになるんでしょう?
自分が興味を持つ音というのは、そういったことを感じ取る世界です。

 

お盆期間もたくさん音楽を聴きました。
三年前、ユーディ・メニューイン国際コンクールのジュニア部門で優勝(同率一位)したChloe Chuaの演奏を、当時気に入って何十回も繰り返し聴き、スマホやiPadにも音楽データMP3として入れていましたが、ここ最近聴いていないのを思い出し、久し振りに聴いてまたはまってしまいました。

上の動画は決勝での演奏風景で、冒頭の現代曲は難解ですが後半の「四季」の「冬」が最高で、これを聴いてからパソコンの中に収めていた同曲の名演奏動画をすべて削除してしまいました。

久し振りに彼女の演奏を耳にして、感じることは以前と同じです。
とにかく音が繊細で美しくて瑞々しい、この純粋さは穢れなき心と肉体を持った子どもの純粋さと同じであり、今の幼い彼女でしか出すことのできない音でしょう。

演奏技術では巨匠と呼ばれる人たちのものと比べ、ほんの少し気になるところが数ヶ所ありますが、そんな欠点を補って余りある音の輝きです。
大人になって忘れていた何かを思い出させてくれます。

 

今はCDを直接聴くことはほとんどなく、CDは年に一枚も買いません。
そのCDを先日Amazonから購入しました。
内田光子の弾く「Mozart: The Piano Sonatas」イギリスからの輸入盤で五枚組です。

キッカケはこのアルバム各曲をダウンロード販売しているサイトを見つけ、そこで何曲か試聴をして完全に魅せられてしまったのです。
  Mozart: The Piano Sonatas/Mitsuko Uchida|音楽ダウンロード・音楽配信サイト 

最初の一曲目、Mozart: Piano Sonata No.1 in C, K.279 – 1. Allegro からもう圧巻です。
この曲の最初の数秒でもう購入を決意しました。

内田光子のピアノはとにかく音のつながりがキレイで滑らかです。
流麗とでも呼ぶのがふさわしく、頭の中ではいつも清らかな渓流をイメージします。

内田光子のモーツアルトは何枚かCDを持っています。
それらCDはこのアルバムよりも随分以前に録音されたもので、新たな演奏は明らかに以前の演奏よりも彼女らしい魅力が際立っています。

多くの人が練習曲として弾く有名なソナタK. 545 “Sonata facile” – 1. Allegro、これも内田光子のアルバムでこれまで何度も繰り返し聴いてきました。

こんなシンプルな曲でも、超一流の演奏家が弾くとこんなにも美しく奏でられるのかという見本のような演奏です。

ところが、完璧と思えるものにでもさらに上があるのですね。
この曲も「Mozart: The Piano Sonatas」の中に収められていて、上の演奏の何年かを経て再び録音されたものは、さらにひとつひとつの音が流れるように美しく輝いています。
それを感じ取ることは感激であり感動です。

一部ですが、ここ の44をクリックすると聴くことができます。
もうこの音は心地よさを超越した肉体的快感です。

 

内田光子の魅力は瑞々しさと清らかさ、滑らかさ、透明感、精神性、言葉で言うとそういったところでしょうか。
そしてその表現される言葉はChloe Chuaのような心身ともに純粋な幼子の演奏から受けるものと同じです。

同じですが、その基盤となる本質的なところは異なります。
ではどう異なるのか、それをどう表現したらいいのかをここ数日間考えていたのですが、どうしても言葉が浮びません。

浮びませんが、イメージとして思いついたのがピカソの絵画です。

ピカソ

ピカソの描く絵画の大胆な構図、色使い、それは幼い子どもや障害を持った人たちが描くものと極めてよく似ています。
幼稚園の教室の後ろの壁に飾られている絵を見ると、その何ものにも囚われない弾けるような表現力に驚かされます。

ではピカソの絵とそれらは同じかというとそうではありません。
どちらにも優劣はつけられませんが、受け取る印象は似ていても、その根底には違いがあります。

 

全体を構成する要素のほんのわずかな違い、それが全体の印象を大きく変えることがあります。
特にクラシック音楽ではそういうことがよくあり、それがクラシック音楽の幅を広げています。

今はインターネットを通して自分の好きな曲を世界の名演奏家の名演で自由に聴くことができ、音楽環境はかってないほど恵まれています。

音、音楽をこよなく愛する自分としては、その中から様々なことを学んでいきたいと考えていて、何か新たな発見はないか、そんな思いでいつも音楽と接しています。

いい音、音楽と触れることで自分という存在もその世界に近づいていきたい、それが願いです。