スーパーの食品棚

インドでインターネットを見ている時、とても気になる記事があり、それをブックマークしていたので、今日はそれについてコメントします。
以前も書いたことのある、スーパーの食品棚で奥の消費期限の遠いものを取ることが是か非かという問題です。

元の記事は4月12日に配信されたライブドアニュースです。
<スーパーの食品を奥から取るのは悪い?テリー伊藤の発言に物議 – ライブドアニュース>

 

食品棚の奥のものを取ると新鮮なものが手に入ります。
これが奥のものを取る唯一のメリットであり、この行為を肯定する人は、これは消費者の持つ当然の思いであり権利だと主張します。

この権利は法律に抵触しているわけではなく、こういった考え方を持ち、行動する人がいるということは十分理解できます。

ではなぜ実際にこういう行動を取ることができるのか、それはこの行為によって害を被る人が目の前にいないから、その場で直接的に非難の目を向けられることがないからです。

日本人はきちんとルールを守ることができる民族です。
大きな被災現場で配給があった時も混沌とすることなく、きちんと列をなして順番を守れるということが海外からも高く評価されています。

日常の場でも電車やバスなどを待つ時はみなきちんと列を守り、横入りしようとする人はほとんどいません。
もし誰かが横入りしようとすると周りの人たちから叱責を受けるか怪訝な目を向けられるでしょう。
日本は恥の文化を持ち、そういった恥ずべきことはしないという倫理観を持っています。

 

食品棚の奥のものを取るというのも電車の列の横入りと同じです。
順番を守らず、「自分さえよければいい」という思いで自分は新しいものを、古いものは他の人に押しつければいいという考えであり行為です。
これがその場で非難を受けないのは、電車の列はその場にいる他の人たちの順番を押し下げることになるのに対し、食品棚のものはその後買うであろう人たちが目の前にいないからです。

もし単一の食品を扱う人気店で列をなし、自分の順番がきた時に、目の前に包装されて置いてあるものではなく、自分だけは今調理したてのものを新たに包んで欲しいと言えば、回りから自分勝手な人と思われ、よほど厚顔な人でない限りそういう要求はできないでしょう。

 

そもそも食品棚の中のものに順番はなく、どれを取ろうかそれは買う方の自由であるという考え方もあります。
たしかにそれも一理ありますが、もしその考え方をすべての消費者が持ったとしたらどうなるでしょう、そのことを考えてみてください。

店には大量の諸費期限切れのものがあふれ、日々貴重な食品を廃棄しなければならなくなると同時に、その分のコストが食品の価格に上乗せされることは確実です。
また消費期限の異なるものを同時に並べると食品廃棄につながるようになるのであれば、スーパーとしても新たな食品の補充ができなくなり、棚が完全に空になるのを待つしかなくなります。
そうするとやはり流通コストが向上し、また消費者も空になった棚の前で、食品選択の幅が狭くなるのを強いられるでしょう。

 

棚の手前のものがより新鮮であるということは事実ですが、その新鮮さは、奥のものとどれぐらい差があるのでしょう、これもよく考えていただきたいものです。
よほど人気のないスーパーでない限り、棚の手前のものと奥のものとの期限の差は数日です。
その数日の差は、たぶん普通の人の味覚では感じることはできません。
またこれが人体に与える影響もほとんどゼロと言い切ってもいいと思います。

そんなわずかな差を気にして“自分勝手な思い”を優先させることによって、どれだけ大きな社会的コストを増大させ、自分たちにも不利益が被るか、それを考えれば取るべき行動は明かです。

二つの町があり、ひとつの町のスーパーではみんなが少しでも新しいものを求め食品棚の奥のものに手を伸ばし、日々大量に食品を廃棄し、値段を高くしなくてはならなくなり、もうひとつの町のスーパーでは、食品が消費期限の遠いものから買われて流通もスムーズに行われている、あなたならこの二つの町のどちらに住みたいですか?

 

食品でも何でも、流通の基本は『先入れ先出し』です。
それでもどうしても自分だけは少しでも新しいものが欲しいと言われる方は、それを実践するのを止めるルールも法律もありませんので、それを実践されるのがいいでしょう。

ただし己の行動の結果を受け止めるのはその人自身です。
これはスピリチュアルな考え方ですが、その人が『自分さえよければいい』という思いで行動した時、その思いは必ずいつか自分の元へと還ってきます。
それが因果の法則です。

ほんのわずか、検査機器で分析しても検知できないような新鮮さを求め、自分勝手な思いという悪果を天に放って何の得があるのでしょう。
すべては自分の判断であり自己責任です。

 

最後にもうひとつ、テレビというのは適当にその場を抑えるため、まったく意味の無いことを堂々と言うのですね。

ここでフリーアナウンサーの堀尾正明さんが「スーパーもそういう(賞味期限の近いものを手前にするという)順番の並べ方をしなければいいということですよね」

これを聞いて視聴者は納得するのでしょうか。
この発言を見て、テレビというのは場当たり的メディアなんだということを強く認識しました。

自分はテレビを持っていませんしまた欲しいとも思いませんが、やきり視聴者がもっと賢くならなければ、テレビ番組のクオリティーも上がらないでしょう。