現在から過去へ<2>

喜ぶ家族

現在から過去に向けて想念を送ることについてもう少し説明してみましょう。

ある時、古い友人の中村さんのことを思い、その直後外に出たら中村さんとバッタリ出会ったとします。
それがもしまったくの偶然であったとしたら、そこには何の意味も法則もありません。

けれどそれが偶然でないとして、中村さんのことを思ったことが出会いの縁を導いたのなら、考えられることは二つです。

ひとつは、もうすぐ中村さんと出会うという流れを予感として察し、それが中村さんのことを思い浮かばせたという可能性、未来からの知らせです。

もうひとつは、中村さんのことを思ったことでその想念が過去に飛び、中村さんと出会うような流れ、縁を生じさせたということ、過去に遡った縁起です。

これらは思いの世界であり、どれが正しいかを証明することは絶対にできません。
けれど自分はこれまでの体験から、想念は過去に逆戻りして過去の縁を変えると解釈するのが正しいように感じます。
その方がすべての出来事を整合性を持って見ることができます。

「過去に逆戻り」と書きましたが、本当は想念の世界に順方向も逆方向もないように感じます。

 

木内鶴彦さんの臨死体験エピソードにこのようなものがあります。

臨死状態になった木内さんの想念は肉体を離れ、時空の制約を超え、自由に好きな場所、好きな時に行けるようになりました。
その時木内さんが思ったのは、子供の頃に体験した不思議な出来事です。

幼かった木内さんは姉とともに河原を歩いている時、突然後ろから「危ない!」という大きな声が聞こえ、振り返ると大きな石が落ちてきていて、それで思わずお姉さんをかばうためにお姉さんを突き飛ばしました。

そのお陰でお姉さんは石に当たらずにすんだのですが、その時周りには二人以外誰もおらず、誰が「危ない!」と声をかけてくれたのか分からずじまいだったそうです。

そこで木内さんはその時の真相を知りたくて、臨死状態の意識でその場所に飛びました。
そこで見たのは幼い頃に見た風景そのままで、まだ幼い二人が河原を歩いています。

その時、幼い木内さんの後ろから石が落ちてくるのが見え、臨死状態で想念だけの木内さんは思わず「危ない!」と声を発し、その声に気が付いて幼い木内さんは振り返りました。

つまり幼い木内さんに声をかけたのは、未来の自分自身だったのです。

 

朝起き、静かに椅子に腰かけ、その自分に向かって夜の自分が声をかけてくれることをイメージします。

そこから始まる一日は、常に“十数時間先輩である自分”が見守り、コーチしてくれている、そんな気分になり、心地いい期待と緊張感が胸を包みます。
これは強制されている「やらなきゃ!」という感覚とはまったく違います。

本の中で著者の佐藤由美子さんは、
「このワークをすると、一日を丁寧に過ごせるようになる」
と語っておられますが、これは100%納得できます。

 

人間の想念はイメージしたことをすべて現実化させようと働きます。

ですから、常に未来の自分に見守られている感覚を持つことができれば、実際に未来の自分が今の自分を見守り、何かを与えてくれるのです。

 

朝の自分に語りかけるだけではなく、過去の様々な状態の自分に声をかけるのは、自分の心の中に積もっている過去の記憶、その大きなキャンパスをキレイな色の絵具を使って塗り替えていくようで、本当に喜びしかない楽しい作業です。

もし絶対に振り返りたくない辛い過去があるのなら、そこは避ければ大丈夫です。
いつか心がより晴れやかになれば、きっとそこにも明るい目を向けることができるようになるでしょう。

記憶、感情は互いにすべてが連携しています。
感情を手放すセドナメソッドで、どうしても部屋を片付けられなかった女性が、その感情ではなく、周りにある様々な感情を手放すことによって自然と片付けもできるようになったという事例が紹介されています。

 

病気、事故、諍い、・・・過去の出来事を変えることはできません。
けれど大切なのはその出来事自体ではなく、その出来事が自分に与える意味であり、これは自分の思いひとつでいかようにも変えていくことが可能です。

常に成長、喜び、幸せに向かって歩んできた過去を持つ人は、これからも同様に未来の成長、喜び、幸せに向かって歩んで行くに違いありません。

そうできるかどうか、そうなれるかどうかはすべて自分次第です。

ともに歩みましょう。(^_^)v

喜ぶ家族