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PCR陽性という洗脳

PCR検査

新型コロナウイルスは、いまだその存在が証明されていません。
感染者、重篤者、死者、その数を見る限り、コロナはただの風邪、インフルエンザと変わりありません。
PCR検査は感染症の診断には適していません。
そのことはすべてのPCR検査キットに『動物、人間の臨床診断に使用してはいけません』という注意書きで示されています。

そんなことをこれまで周りに発信し続け、その事実は自分の脳にも深く刻み込まれています。

そして普段接する周りの人たちはほとんどがワクチン未接種で、PCR検査を積極的に受けようとする人はいません。
けれど仕事柄どうしてもワクチンを接種しなければならず、PCR検査で陰性であることを義務づけられている人もいます。

 

先日出先の関西での出来事です。
そこにいる男性看護師が研修で東京に数日間出かけ、帰宅後に体調を崩してPCR検査を受けたところ、陽性反応が出ました。
彼はワクチンを二回接種し、三回目の接種も勤務先の病院から求められているものの拒否しています。

PCR検査で陽性になった場合、ホテルで隔離されるか、家で他の人と接触しない環境が保たれるなら自宅療養も可能とのことで、彼は家の中の一室で療養することになりました。

彼は普段は同年代の若い男性と部屋を共用していて、その同室の男性にも風邪のような症状が出たためPCR検査を受けることになりました。
本来は受けることは義務ではありませんが、陽性になった人が看護師で、濃厚接触者の状態を調べる必要があったようです。

その彼にはPCR検査の前にはしっかりとうがい、できれば鼻から口を通す鼻うがいをすることを勧めました。
PCR検査は鼻の奥の粘膜を採取して検査をするため、そこをきれいに洗浄することで偽陽性の出る確率が激減するからです。

真面目な彼はきちんとそれを実行しましたが、残念ながら結果は彼も陽性で、看護師の彼と二人布団を並べて隔離生活をすることになりました。

 

誰かが風邪で寝こんだ場合、感染予防として家にはなるべく家族以外の人は入れないようにするということは昔から行われていました。
新型コロナもそれと同程度のはずですが、やはり特別な緊張感が走ります。
その理由なき緊張感、これがコロナ脳と呼ばれるメディアによる洗脳の成果です。

食事は一日数回、お盆に載せて部屋まで運びます。
洗濯機は二台あるので、一台を彼ら陽性者二人の専用としました。
症状が治まってきてお風呂に入る時も、彼らは一番最後ということになります。

自分以外の周りの人も、いつも自分からコロナやワクチンについてのレクチャーを受けているので、コロナのウソはよく知ってはいるものの、やはり通常の風邪やインフルエンザ以上の万全の体制で接しようとしてしまい、頭で知っていることと、体で反応することには大きな差があることを知りました。

 

コロナに対する恐怖は理屈ではありません。
それはこれまで政府やメディアによって煽り続けられ生み出されたもので、生理的反応とでも呼べるものです。

ここ広島でも街を歩く99%の人が百害あって一利のないマスク着用を、まるでそれをしないとすぐに重病人にでもなってしまうかの如く守り続けています。

人間の行動原理で最も強く働くのは恐怖です。
ですからメディアもエセ・コロナ騒動が始まってから二年以上、一貫して視聴者の恐怖心を煽ることで関心を引き続けています。

人間は人生に於いて様々な問題を抱え、その解決への道を模索していますが、その道を閉ざす大きな要因のひとつが新たな扉を開くことへの恐怖です。
人間は現状に不満を持っていたとしても、そこに安住することへの安心感と、新たな状態に移行することに対する恐怖心があり、それが理由を考えることなくいつまでもマスクを着けさせ、意味のない感染症対策に躍起にさせています。

 

恐怖心で閉ざした心を開くのは理屈ではありません。
恐怖に対抗するもの、それは安心感です。

もちろん理論、理屈も大切ではありますが、その裏に怒りや焦りがあっては、恐怖に怯える相手の心を開くことはできません。

 

今の政府やメディアは完全に狂気によって支配されています。
NATO・G7の会合で各国首脳とノーマスクで身近に接し、握手を交わし、世界的に見て感染者数が飛び抜けて少ない日本に戻ってからは再びマスクを着用し、これまで推定五万人の命を奪っているワクチン接種をさらに進めようとする岸田総理に、日本国民の生命、財産を守ろうという意志がないことは明らかです。

NATO・G7 岸田総理 帰国後の岸田総理

こんな狂気に対して激しい怒りを感じるのは当然ですが、その思いは胸に秘め、頭は常に冷静に、そして心は平安を保ちながら、コロナ煽りで恐怖を植え付けられた人たちと接しなければなりません。

狂気に対して怒り、憤りで接するのは、心身に対する暴力性という面で彼らと同等になってしまいます。

今回PCR陽性者と身近に接する機会を得て、生理的反応レベルでの恐怖を感じ、それに対するには、同じく生理的レベルでの安心感を自らが体現する必要性があることを強く感じました。

cool head but warm heart
冷静な頭脳と温かい心、こんな時代だからこそ、より高い人間的度量が求められます。