知恵を持つこと

米長邦雄 色紙

羽生善治、渡辺明、桜井章一、小島武夫、・・・勝負師と呼ばれる人たちは物事の本質を見抜く力を持ち、彼らの語る言葉からは学ぶべきものが多くあります。

昨日は元日本将棋連盟の会長で永世棋聖でもあった故米長邦雄氏がラジオで語った蘊蓄のある深い言葉に耳を傾けました。

米長邦雄

米長氏は1999年から2007年、東京都の教育委員を勤め、その経験と棋士としての体験からゆとり教育の大切さを説かれました。

ゆとりとは現代の知識偏重教育に逆行するものです。
ゆとりとは教えないこと、生きる力を育むものであり、例えば身近に津波が襲ってきた時にどう逃げるか、どう生き延びるかといった力、知恵であり、これは数学や英語といった一般的な学問では身につきません。

それは洞察力と深い関係があり、洞察力を身に付けるには将棋を指すことが一番、しかしこれは学校の授業ですることはできません。
二番目は座禅です。
座禅とは何も考えずに無になることであり、これはプラスかマイナスか、無駄か無駄でないかということでは無駄なことになっています。

けれどこういった“無駄”なこと、欲や迷い悩みや考えることを捨て、さらには自分すらも捨て去ること、ここから悟りや無我の境地といったものが生まれます。
凡人は自我や我欲の塊です。

学校の勉強から見ると全部捨てるとバカなの、無学なの、ということになり試験だと0点です。
そこに禅とか心の修養とか生きる力とか、それらと勉学との違いをハッキリと分からせた上で、ゆとりというものを取り入れたということを衆知するべきでした。
知識を引き出すものが知恵であるゆとりです。

日本は国際的学力調査で成績が落ちてきていますが、これは知識が衰えたのではなく、知識を引き出すための知恵が衰えたことが原因です。
知識は詰め込み教育から培うことはできるが、知恵はゆとりの中から生まれます。

デジタルの世界は便利でキレイだけれど、人の声色から何かを察したり、紙の辞書を引くといったアナログ的で無駄のあるものが必要であり大切です。

無駄を邪魔者として廃した現代人の生活は自然とマッチしなくなり、自然をまどろっこしく感じるようになりました。
温暖化などの環境問題はここに原因がある。

米長氏の言われたこと自分なりの言葉で要約するとこんな感じです。

 

知識と知恵は異なります。
今は知識量が多く、成績、学力が優秀であればすべてが万能なように思われますが、まずはその幻想を捨て去ることが必要です。

高い知識量を持つ人間は、与えられたモノや規則に則って行動することは得意でも、その反面、そのモノや規則の本質を見抜くことは苦手であり、また見ようともしません。

オウムサリン事件で大きな罪を犯した高学歴犯罪者たちは、きちんと整備された教義や修行カリキュラムを遵守し実行する中で、自らの知恵で物事の善悪を判断する力を失っていきました。

現在のエセ・コロナ禍もまったく同じです。
政府やマスコミが発する誤った情報、恣意的な情報に惑わされ、ごく簡単な論理矛盾すら気づかなくなっています。

 

エセ・コロナ禍についてはまた別途まとめて書きますが、なぜわずかな感染者(本当は感染者ではありません)がどこで発見されたとか、どういったグループが何人で会合したとか、こんな意味のないニュースを全国的に垂れ流すのでしょうか。

三密対策やマスク着用が有用であるという科学的データはありません。

それよりもまずはPCR検査の有用性やCt値(増幅回数)、武漢のある重症肺炎患者から作られた新型コロナウイルスのプライマリが本当に正しいものであるのかどうか等それよりもはるかに重要かつ考慮しなければならない基礎的事項(より正確に言うと根本的事項)が山ほどあるはずです。

『全国の良識ある医師に提言!』 新聞やテレビなどのマスメデイアでPCR検査で「陽性になった人」を「感染者」と医学的に間違った報道がなされています。…

Toku Takahashiさんの投稿 2021年1月17日日曜日

 

【緊急事態早期解除を目指しPCRのサイクル数を適切に修正する事を輿論にしてゆこう。】現在国立感染研究所の推奨サイクル数は45だが、感染症学会では30サイクル。 しかし、最新の論文によると、Ct値を30とするとウイルスが回収される割合は20%…

小川 榮太郎さんの投稿 2021年1月17日日曜日

知恵を付けましょう。
知恵の付け方はマスコミは伝えてくれません。
知恵は自ら身に付けていくものです。