村上和雄先生が亡くなられて、自分の中ではひとつの時代の大きな区切りを迎えたように感じます。
村上先生のご実家である天理教典日分教会を初めて訪ねたのは、大学2年か3年の時だと思います。
典日分教会に立派な先生がおられるので一緒に話を聞きに行きましょうということで、自分を天理教に導いてくださった先生とともに訪ねました。
天理はJRと近鉄の駅が同じひとつの建物にあり、そこから東へ約1キロちょっと離れた天理教教会本部まで昭和の香りが色濃く漂う昔ながらの商店街になっています。
その商店街では一般の商品とともに天理教関係の書籍や教具が売られていて、四十年前当時、店頭の平台には村上先生のお母様の村上智恵先生と弟で教会長の村上忠雄先生の講話カセットが並べられていました。
天理教の所属教会は、教えを受けた人のところに属するという「教えの流れ」になっていて、地域というのはまったく関係ありません。
自分の所属は本来典日とはまったく関係のないところですが、自分の先生が村上忠雄先生を尊敬されていて、何度も一緒に足を運んでいるうちに縁ができ、典日の教会行事にも参加させてもらうようになりました。
その後は忠雄先生のお言葉を受けて社会人となり、天理教とは少しずつ離れていきましたが、自分の先生は宗教家としてとても尊敬できる方であり、自分の精神世界の出発点として天理教から学んだものは大切にしたいという思いでご縁はずっとつながっています。
それと元々先生とのご縁は自分が中学2年、13歳の時からであり、家族ぐるみの付き合いの中で、先生は父や母が病床にある時も真剣にお祈りをしてくださり、その時の両親に対して受けた恩というのは永遠に忘れることのできないものであり、生涯掛けてご恩返しをしていきたいと考えています。
自分が直接受けた恩よりも、親に対して受けた恩の方が心に深く刻まれます。
その尊敬できる先生は、宗教に対する取り組みも真剣そのもので、教理の原点に忠実に生きておられます。
ただこれはどこの宗教でも同じだと思いますが、既存の多くの宗教は設立当初の精神を忘れ、既得権益を守る動きに奔走し、内部崩壊を起こしているように見受けられます。
それは天理教も例外ではなく、先生のように激しく教えを守り抜こうとする人間は教会本部や既存の教会では受け入れがたく、これまで何度も系統の流れから縁を切られ、それを受け入れ、理解してくださったのが村上忠雄先生が会長をしておられる典日であり、自分も一時期教籍は典日分教会所属ということになっていました。
そういった宗教に対して真摯な先生だからこそ今でもご縁を持っていて、また先生としても、まったく天理教的生き方をしていない自分を受け入れてくださっているのです。
前項でも書いたように、村上忠雄先生は晩年ケニア布教に尽力されていました。
その頃の自分は天理教とはあまり密な関係を持っていなかったので、ケニアと関わられるようになった経緯などはよく知りませんが、発展途上国での活動は、社会的奉仕活動と結びつかなければ受け入れられないようです。
ネットを見ると、「アフリカ児童教育基金の会ACEF」という団体を創立され、そのホームページに創立者で初代代表として挨拶をされる村上忠雄先生の写真が載っています。
その村上先生は2014年に76歳でお亡くなりになり、現在はその遺志を引き継ぎ、現地所長として塩尻安夫、美智子ご夫妻がケニアで活動されています。
上の写真の後に写っているのが塩尻安夫さんです。
こちらはご夫妻の写真、とても爽やかなお二人です。
塩尻さんご夫妻は1990年からケニアにお住まいで、その間五人のお子さんのうちお二人を病気と事故で亡くされ、いろいろトラブルに見舞われながらも現地で大きな農場やエイズの子どもたちを預かる孤児院を経営したりし、在ケニア日本人として多大な功績を残されています。
そしてこの塩尻さんご夫妻は自分の先生とは元々同じ教会に所属している親しい信仰の友であり、もう四十年も前のことですが、自分も塩尻さんとは親しく関わらせていただき、当時お二人のお住まいである滋賀県大津市にも何度も訪ねていった思い出があります。
先生も何回かケニアを訪ね、現地での苦労などいろいろ相談を受けたと語っておられました。
ケニアでは日本人スタッフが足りないそうで、先生から一度一緒にケニアに行こうと誘われたこともあります。
そして今日、先生からのお電話で、塩尻安夫さんがこの14日に亡くなられたとお聞きしました。
ケニアの病院で、死因はコロナとのことです。
(WHOの通達で、世界的にPCR陽性者の死因はすべてコロナということになっています)
村上和雄先生が亡くなられたのが4月13日、その弟さんである忠雄先生の遺志を引き継ぎケニアで活動されていた塩尻安夫さんが翌14日にお亡くなりになり、何と言っていいか・・・言葉がありません。
ケニアの人たちの幸せのために多大なご尽力をされた塩尻安夫さんのご逝去を悼み、
心よりご冥福をお祈りいたします。
塩尻さんはいつも笑顔を絶やさないとても明るい方でした。
自分もケニアで塩尻さんのお手伝いを・・・とまでは思いませんでしたが、ケニアでの活動とはどういったものか、それをお聞きしてインドでの活動に活かすことができたら、とは考えていました。
けれどそれも夢に終わってしまいました。
起こってくることはすべて必然です。
そしてそれには本来意味はなく、それをどの様に解釈し、どう意味付けをして受け止めるかというのは自分自身の課題です。
自分も塩尻さんのように夢、目標に向かって思いを尽くし、その地に骨を埋める覚悟で己の天命に向かって生きていきたいと考えます。
ここ数日、あまりにも長く、また一瞬のようでもあったこれまでの人生を振り返っています。
『一日一生』
その日一日が人生の縮図であり、また人生そのもの、すべてだと考えて生きていきます。
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