受動と能動

1日10分!「英語回路」育成計画 [CD付]

インドと縁を持つようになってからあらためて英語を学び、これまでの学校英語とは異なる実用としての英語学習で気がついた点がいくつかあります。

そのひとつが、英語を聞き取るリスニング能力は、実際に何度もリスニングの練習を繰り返すのではなく、リスニングの対極である話すこと、声を出してリーディングしたりスピーキングの練習をすることによって大いに高められるということです。

つまり英語を聞き取れるようになりたかったら、まずは英語を正確に話す(発音する)練習をするということです。

 

このことは十年ほど前に英語学習を再スタートさせた時最初に使ったテキスト、1日10分!「英語回路」育成計画 [CD付]の中で述べられていました。

これを初めて知った時はまさに目から鱗でした。
このテキストに載っている英文を声に出し、なるべく速い速度で読むことが求められます。
そして実際にそれがどの程度のスピードなのか、時間を計ってテキストに記入する形式になっています。

何度も繰り返し速読をすることで英文を英語のまま理解できるようになり、スピードが速いがゆえに日本人独特のカタカナ英語の発音から、付属のCDで聴くネイティブの発音に近いものへとなっていきます。

そしてその結果、最初は “音の塊” としてしか認識できなかった英文が、ひとつひとつの単語が分離して聞き取れるようになり、そして自然と日本語に訳すことなく英語のまま意味を感じ取れるようになっていきます。

これってものすごい快感です。
今もそれを最初に味わった時の感覚は鮮明に覚えています。

冬の寒い朝、ガラス窓の外側に霜がべったりと付いて外がまったく見えない時がありますね。
最初に英文を聴いた時はそんな感覚で、英会話の世界はその窓の外にあり、何かがあるのは分かるものの、それがひとつの塊のように感じ、内容はまったく理解できませんでした。

それが学習を進めるうちに暖房で部屋の温度が上がって霜が溶け落ち、外の様子が徐々に鮮明になっていくように、英文の意味するところが分かるようになってきます。
そんな感覚を持ちました。

 

具体例を出して恐縮ですか、英会話の効率的学習法として「スピードラーニング」というものの広告をよく目にします。
某超有名プロゴルファーが広告塔になってるあれです。

英文とその日本文、それが次々と音声として流れてきて、それをただ何度も繰り返し聴くだけで知らず知らずのうちに英語が話せるようになっていく、・・・広告ではそのように謳われています。

これは本当でしょうか?
自分は何事も徹底研究するタイプで、英会話学習に関する本やサイトは過去かなりの数目を通してきましたが、それを否定するものはあっても、スピードラーニングの広告以外で、その方法を勧めているものを一度も目にしたことがありません。

ただ受け身で聞き流すだけ、これでは本当に実用的な力は身に付かない、これが正しいことだと思います。
ただしこれも活用次第です。
音声教材にはその日本文と英文を書いたテキストが付属しているでしょうから、それを徹底的に読み込み、音読し、それと併用して音声を繰り返して聴くと、それなりの効果を得られるのではないかと思われます。

 

もうひとつ英語を聴くことと話すことの高い相関性を感じさせるのが、何度もリーディングの練習を繰り返した後、一度でもその繰り返し読んだ英文のリスニングをすると、次にそれを読む時はものすごくスムーズに読むことができるということです。

これはまるで引っ張られるといった感覚で、勝手に口から英文が出てくるようで、これもまた結構な快感です。

少しマニアックな例えをするならば、昔は大きなオートバイを乗っていて、その時に感じた2サイクルエンジンの刺激を思い出します。
バイクには4サイクルエンジンと2サイクルエンジンという二種類のエンジンがあって、その機構の違いから出力特性が大きく異なり、4サイクルエンジンは穏やかで、まるで大きな手のひらで後から押されるような乗り心地、対して2サイクルエンジンは過激な吹き上がりで、前から思いっ切り引っ張られるような加速をします。

英文を何度も読んだ後にリスニングをし、その後スムーズに英文を読めた時には、いつもこの2サイクルエンジンのバイクに乗った時の感覚を思い出すのです。

 

そんなリーディングとリスニングの関係を、ICHIROさんという英語指導のYouTuberの動画を見て思い出しました。
この動画もそうですが、彼の英語指導方法と解説は、他にはない斬新な切り口でとても参考になります。

この動画で、あらためて英語のリーディングとリスニングの関係を考えてみて、これはより幅広く受動と能動という言葉に置き換えられるのではないかと感じました。

 

何事も、それを理解しマスターする最も速い方法は、それを他人に教えることだとよく言われます。

作家の故遠藤周作氏は仏文科の貧乏学生だった頃、自分をフランス語の達人と偽り、必死に勉強しながら同級生にフランス語を教えて学資を得ていたそうです。

『聴いて分かるは他人の理、身で行って初めて我が理となる』

これはある宗教の言葉ですが、これは真理だと感じます。
特に今のように情報過多で周りに依存することの多い現代においては、この言葉の示す意味合いはより重要度を増しています。

 

自ら物事を能動的に行うよりも受動的、常に受け身でいる方が楽でいられます。
その分脳はあまり働くことがなく、それだけ自分にとって身に付くものも少ないということです。

それは脳の活動量としてはたぶん数倍、数分の一といったレベルだと思いますが、実際脳に刻み込まれる経験知とでも呼べるものは、それ以上に大きな差があります。

「実際にやってみないと分からない」、「やってみて初めて分かる」
こんな言葉をあるように、人ごととして受け流すのと、自らのこととして行うのとでは、天と地ほどの差があります。

その例を何か示そうと思いましたが、・・・なかなか思い浮かばないですね。
それこそ「やってみなければ分からない世界」です。

 

将棋が好きで、よくプロの対局動画を見ることがあります。
プロの差し手はさすがに鋭いものが多く、脳にしっかり刺激を受けるものの、思考の枠はあくまでもその指し手と前後数手程度です。

けれどこれが自ら指すとなると、一流のプロは十手、二十手先まで読みとのことなので、そのパターンは数千、あるいは一万以上に上ります。

ただ見ているだけと自ら行うこと、脳の汗をかく量はこんなにも差があります。

 

自分がこのホームページに文章を綴るのも、今頭の中にあるものを整理し、より定着させたいと思うからです。
そして書く題材は、本を読んだりしている時よりも、今こうして文章を考えながらキーボードを叩いている時に浮ぶことが多いのです。

能動的生き方を目指し、これからなるべくこのホームページの更新頻度を増やしたいと考えています。

 

将棋の対局動画はこれが神がかり的に面白いです。解説が。