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 人生という旅

山頭火

広島を離れしばらく旅をしていました。
ビジネス目的の出張とは違い、山頭火のような放浪に近いものです。

旅とは漂白の感情であり、日常から離れること、これは哲学者三木清の言葉です。

「海外に行く最大の目的は日本を知ること」
これまで多くの人に外国に行く理由を尋ねられた時、こう答えていました。

身近なこと、日常のことは、そこからいったん離れてみなければ本当の姿は見えてきません。
日本をしばらく離れて久し振りに帰国すると、これまで当たり前と思って過してきた日本での日常が、実はそうではなく、あるルールの元に営まれている特別なことだということを強く感じます。
この新鮮な感覚が、海外に行くことで得られる最も大きなメリットのひとつです。

それは海外渡航だけではなく、日本にいる時でも普段の生活リズムから少し離れたことをすると、これまでとは違った感覚で物事を見つめられるようになり、これは意図的にでもそういう機会を作らなければならないと考えています。

今回もしばらくぶりに広島に戻り、これまで見慣れた広島の風景がとても懐かしく感じられました。
その懐かしく感じられる思いの量が、旅という非日常で得たものの大さです。

日常から離れて日常の本当の姿を知り、
非日常から日常に戻り、その時に湧き上がる感覚からその非日常で得たものを感じ取る。

すべてのものは共生、循環し、互いに関係し合っていて、日常と非日常もまた対の関係で太極を為しています。

今は少し遠ざかっていますが、以前肉体労働で日々汗を流していた頃は、休みの日になると自然を求めて山登りに勤しんでいました。
あの頃は辛い仕事と豊かな自然、苦しい日常から逃れるため、懸命に非日常である自然の世界を求めていたのだと思います。

 

旅では様々なことを経験し、そのすべてがタイミングよく大きな学びがありました。
それは本当にタイミングがよかったのか、あるいはどんなことが起こってもそれをいいタイミングと捉えられる自分があったのか・・・。

たぶん両方であり、どんな出来事も必然と捉えられるから、そこにより必然性の高いものが引き寄せられるのだと感じます。

 

この時空にあるものはすべて循環していて、その流れは大きな波を描いています。
それは当然人間にも当てはまり、輪廻転生、睡眠と覚醒、心臓もまた波打っています。
そうしたならば、人間の一生における運気というものもまたその生涯の中で波を描いていると考えるのが自然です。

自分はこれまでの経験から、四柱推命で説くような12年周期の運気の流れがあるように感じています。
それは深く検証して確証を得たものではありませんが、過去何度かそれに当てはまるようなことを経験し、そう考えた方が理に適っていると思えるからです。

運気の流れは四季の移ろいと同じでそれぞれの時に役割があり、決して単純にいい、悪いと評価できるものではありません。
葉を枯らし根をしっかりと張る冬の時季があり、芽を出す春、葉を茂らせ実りを讃える夏、秋へと続き、どの季節も決して欠くことができません。

自分の運気の流れを見ると、昨年秋から今年の初夏ぐらいまでは実に低調な苦しい時期でした。
このように放浪好きな自由人で、仕事に関してまったく営業というものをしたことがなく、ただ天からこぼれ落ちる役割をこなす中で生かされているという生活をしていて、一年前からそれが途絶えてしまったのです。

けれどそのお陰で自分の内を深く見つめることができ、その半年強の間に心が随分穏やかになったことを自分で感じられるようになりました。
そうなれたもうひとつの要因としては、エセ・コロナ禍の問題と真剣に取り組んだことがあります。
多くの人の命と生活がかかったこのことを通し、文明転換期における決意、自分の使命感や死生観がより確立されました。

その結果目先の欲が薄くなり、将来のことを憂うより、尋常ならざる現在の状況にいかに対処するのかという今この瞬間に集中する姿勢が身に付き、一時的な人生の冬が終わり、今またあらたな季節を迎えられたのだと感じます。

今の心境は、大きな不安が心から消え、ただ時の流れの中で自らを活かしていきたい、これだけです。
オールOK、だからこそいいタイミングで物事を引き寄せられ、またいいタイミングだと感じられるようになったのです。

 

心境としてはこれまで求めてきたものの延長であり、進化というよりも深化と呼ぶのが適切です。
けれど別の見方をすると、四季の移ろいは少しずつでも、地表に芽を出すのも花を咲かすのもある時突然であり、見た目の形では大きな進化かもしれません。

今は文明の大転換期、ここで求められているのは極めて大きく形が変化する進化です。
芋虫がさなぎになって蝶になるように、“変態”することが求められています。

文明総図

 

大きく変わるというのは文字通り大変なことです。
けれどその変わるべき方法さえ見つかれば、本当は大変なことではないのかもしれません。
すべてはものの見方、考え方、そしてそこに至る道筋です。

今回の旅の目的のひとつが、ある女性に学習指導することにありました。
彼女は年齢は三十歳ですが、とても純粋な心を持っていて、明るい彼女と話す印象は中学生か高校生のようです。

彼女は脳に疾患があって脳への血流が悪く、会話は幼さがあるものの普通にできますが、学力は小学校低学年程度です。

今はインターネットを通してタブレット端末で学習する方法があるのですね。
前回彼女と出会った時にその端末に悪戦苦闘しながら取り組んでいる姿を見て、それがとても効率的学習方法だとは思えなかったので、自分がより最適な方法をアドバイスし、今回はそれが継続できるよう指導を進めたということです。

スマイルゼミ

タブレット端末での学習が悪いということではありません。
一人で学習を進めることができ、そこまでの学力、理解力をある程度持っている子どもには有益でも、その段階の問題を解く感覚が十分に身に付いておらず、何度も復習が必要な場合には、ただ頭を抱えて一問ずつ解くということとなり、楽しく効果的学習にはほど遠くなってしまいます。

そこで彼女にやってもらったのは公文の磁石すうじ盤です。
すうじ盤については最近では「幼児期に身に付けるべきもの」に書きました。

これは数感覚を身に付けるのに最適で、彼女にはこれの数字の書いてある表側100までをタイムを計りながらやってもらい、少しずつタイムが短縮されていくことを確認しました。
ちなみに裏面は番号が書かれていないマス目だけで、表裏ともに50まで、30までと駒の数を減らして取り組むこともできます。

それとともに九九もおぼろげだったので、百円ショップで買った単語カードで九九カードを作り、毎日繰り返し練習してもらいました。
この九九が完璧になった後は、最小公倍数を求めるトレーニングをカードを使って練習する予定です。
最小公倍数のカードとは、例えば表に24、裏に2×2×2×3のように書いたものです。

 

国語の読解力を高める学習もしました。
国語の本読みテキストは小学校三年生の教科書を使いました。
彼女にとってはこれを読むのがちょうどの学力で、一部漢字に読めないものがあります。

この音読をしてもらい、分からない漢字は辞書を引く練習をしました。
手元に国語辞典がなかったので、書店に行って学力にあった読みやすいものを買いました。
その子に合ったいい辞書を使うことはとても大切です。

この辞書は小学校で習う漢字の一覧表も付いていてとても読みやすく感じます。
彼女にとっては辞書を引くというのはほぼ初体験でしたが、分からない漢字を使って辞書引きの練習をし、元々家にあった漢和辞典の引き方も覚えてもらいました。

辞書を使うことができれば一人で学習を進めることができます。
最初は苦痛だった辞書引きも、何度も繰り返して「新たなことを知る喜び」を感じてもらい、途中から「辞書を引くのは楽しい」と言ってもらえるようになりました。

そして辞書を引いて学んだ漢字や言葉は一冊のノートにまとめ、それを何度も目を通して頭に入れることを指導しました。
また漢字を書いて覚えるための書き取りノートも用意しました。

 

よりよい生活をしていくための基本的能力は、この算数で身に付く数感覚、処理能力、国語から得られる読解力、理解力が二本の大きな柱だと考えます。

彼女にはこの力を付けてもらい、具体的目標としてまずは原付免許の取得、次は普通自動車免許の取得へと進んでいってもらいたいと考えています。
そしてそれは十分に可能でしょう。

彼女を指導するに際して目指したものは二つあります。
ひとつは、学ぶ喜びを知ってもらい、毎日自ら進んで学んでいってもらうようになること。
二つ目は、そのための基本的な力、知識、方法を身に付けてもらうことです。

学習の目標は教えることではなく、自ら学んでいける力と意欲を身に付けることです。

 

彼女を指導したのはごく短期間ですが、その間算数も国語も大きな能力の進化を感じ取ることができました。
たぶん彼女の人生の中で、能力的にもっとも大きなインパクトのあった経験だと思います。

その彼女の姿から、自分も、そして大きく人類全体も、少し見方や方法を工夫すれば、大きく飛躍していけるチャンスがあるのではないかということを感じました。

まずは自分に欠けている大切で基本的なものを知ることです。
そしてその基本的な力、感覚を身に付けることです。
それは本来苦しいことではなく、喜びを持って取り組むことができるはずです。

今の社会は不合理なことだらけです。
そのことをこのたびのエセ・コロナ禍を通してあらためて強く感じました。

医療、食料、エネルギー、・・・身近な様々なことが、意図的に無駄を作ることによって経済的価値を生み出すという馬鹿げた仕組みの上に成り立っています。
そのことに気づき、それを本来の姿に戻してあげること、そこに大きな進化の鍵があるものと考えます。

彼女の指導を通し、自分の中にも秘められた大きな可能性があることを感じました。
すべての出会いは縁であって必然で、その中から学び取れるものはたくさんあります。

 

彼女には歯の噛み合わせ治療も勧めました。
旅の最後の日、たまたま彼女の顎関節が完調ではないことを知りました。

噛み合わせは脳への血中に大きな影響を与えます。
噛み合せ治療の名医穐田先生のホームページ中で、自分が穐田先生にインタビューをしてそのことを先生が述べられています。
<山﨑歯科医院 院長インタビュー>

筋無力症は病状が進行するだけで回復することはないと言われていて、その筋無力症のおばあさんの腕の機能が回復し、車椅子を押していた旦那さんが絶句されていた様子を目の前で見たことは、今も鮮明に記憶として残っています。
その方の脳への血流が改善されたのなら、現在顎関節が不調である彼女の脳へも大きな影響があるに違いありません。

彼女には是非広島まで来て治療を受けてもらいたいと思います。

 

その脳への血流、自分に当てはめると何になるのでしょう。
日常生活の中で、可能性を大きく阻害しているものがあるのかもしれません。
そんなことを考えるのは楽しくも希望が持てます。

彼女とはこれから今後の目処が付くまで定期的に会って指導をし、その中で自分の中の何かを発見していきたいと考えています。

取り留めのないことを書きましたが、これが今現在、人生の旅の途中で感じたことです。

追いかければ逃げる、手放せば入る、喜びの源は今この瞬間に、その思いを大切にしていきます。