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難聴克服への思い

清水十輝くんと江田島へ

これまで日本では、風邪、インフルエンザといったいくつかの病にかかりながらも、幸いにして歯科と整形外科以外は医師の世話になることなく過してきました。

医者にかからず薬もほとんど飲んでいないのですから、過去罹患した腎臓結石、突発性難聴、帯状疱疹と思われる症状は、なぜそれらに罹り、なぜ治ったのかハッキリとした理由は分かりません。
ただ人に尋ねられた時は、「精神力で治しました」とだけ言うようにしています。
事実そうですし、そうとしか答えようがありません。
あえてもう少し詳しく言うならば、精神力が自然治癒力を高めたということです。

 

少し前に自分よりも若い四十代後半で難聴になった知人と出会い、その彼に自分が難聴を克服した過程をお知らせするとその場で約束しました。
それからもう三週間近く経ってしまい、その間なぜ難聴が治ったのかずっと考えてきたのですが、どうしても特にこれといった理由が見当たりません。

難聴になった当時、やはり不安が募って難聴についてネットでいろいろ調べました。
それらに一様に書かれていたのは、難聴になったら早期の治療が絶対に必要で、そのまま放置していたらまず治らないということです。

ですから自分のように完全に右耳の聴力を失った状態から、まったく治療もせず薬も飲まずにほぼ完治したというのは極めて珍しいケースではないかと思います。

難聴らしき症状が現れたのは十年ぐらい前からです。
一年か二年おきぐらいの周期で片耳の聴力が落ち、音がすごく歪んで聞こえるという状態が数週間か数ヶ月続いていました。

けれど「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったものです。
実は以前片耳の聴力が時折りおかしくなったという事実はしっかりと記憶してはいるものの、その耳が右だったか左だったかよく覚えていないのです。

五年前の2015年末頃に片方の聴力を完全に失ったのは右耳なので、たぶんそれ以前に不調だったのも右耳だと思うのですが、なんだか左だったような気もして・・・よく分かりません。
自分でも本当にのんきなものだとあきれます。

 

右耳の聴力を取り戻したといっても完全に左耳と同じというわけではありません。
スマホに「周波数ジェネレーター」という聴力テストのアプリを入れて調べてみると、

周波数ジェネレーター

左は下は60Hzから上は10000Hz以上あたりまで聞こえるものの、右は下が100か150Hz、上は6000Hzあたりから感度が落ち、8000Hzぐらいがやっと聞こえるといった感じです。

それでも日常生活にはほぼ不自由なく、ただ聞こえること、その事実に感謝するのみです。
これは言葉だけではなく本当にそう思っていて、このどんな状態であっても感謝するという思いが、人間が持つ自然治癒力を高めてくれているのだと強く感じます。

 

ではなぜそう思えるのか、理由はいくつかあります。

ひとつは、このホームページに健康に関することを数多く書いてきて、その中で最も大切だと信じている「身体との対話」です。
日々入浴時に全身を手のひらで撫で、視線を送り、感謝の言葉をかけ続けることによって、親や天から与えられたこの肉体が限りなく愛おしく思え、永遠の生命を持つ己の真我と限りある生命である肉体とのコミュニケーションが上手くいっているのだと感じます。

本来の自分自身である真我、霊や魂と呼ぶべきものと肉体とは異なります。
そのことが身体と対話し続けることによって深く感じ取ることができ、真我と肉体との分離感を覚えるとともに、その与えていただいた肉体に深く感謝したい思いになってきます。
これは言葉で説明するものではなく、自らの経験を通して感じ取るものです。

二つ目は、普段から障害のある方たちと接しているからだと思います。
若くして日常ずっと車椅子生活の人、週に二回のデーサービス以外は家に閉じこもりきりのお年寄り、そういう方たちと身近に接しているので、自由に外を走り回れるというだけで限りない幸せを感じます。

今日も家から20キロ離れた山﨑歯科までママチャリで走りました。
車に乗って行けば便利でしょうが、その距離を難なく往復できる健康な身体を与えられていることに勝る宝はないと信じます。

三つ目は、自分は肉体生命に対する執着が元から薄いということです。
永遠の真我と有限な肉体、どちらも別の形の生命ですが、自分は持って生まれた魂の特質として、永遠である真我の方にどうしても意識が傾いてしまいます。

さらに過去何度も体外離脱を経験し、その永遠性を“知って”いるのでよけいその思いが強くなります。

また二十歳の時に神前で自分の寿命を神に半分捧げますと真剣にお願いし、その後五十歳の時に二度の死に目に遭い、自分は本来その時に死ぬべき運命であったと強く信じられるので、今は天命を果たすために特別に与えられた余生であり、そのための道具である肉体は大切に使わせていただくものの、その細かい状態に執着し不満を持つことはあってはならないと感じているからです。

またそういった状態であるからこそすべては運命的流れの中にあり、まっとうに生きていれば、必ず肉体的なものも含め、必要な条件は与えられると確信できます。

かなり浮世離れした考え方ですが、これが偽らざる自分の思いです。

 

難聴になるには様々な原因があるのでしょうか。
その彼は、通常は閉じている耳管が開いたままの状態になることによって聴力に障害が生じているとのことです。

自分の場合はなんで難聴になったのか分かりませんが、治った時の微妙な耳の感覚は今でも身体で覚えています。

2015年、たぶん夏か秋ぐらいから右耳の状態は悪かったのだと記憶しています。
そして暮れの12月、左耳を枕に押しつけ横になって寝ていると、鳴っているはずの目覚し時計のアラーム音がまったく聞こえず、右耳の聴力を完全に失ったことを知りました。
その時はやはり相当にショックでした。

その後ほんのわずかに改善の兆しがあったようなないような・・・そんな不安定な、ほぼ右耳失聴の状態で正月を迎え、2016年1月6日、懇意にしているミュージシャンの十輝くんと江田島までサイクリングに出かけました。

清水十輝くんと江田島へ

二人で快調に自転車を漕ぎながら呉、倉橋島を通って江田島に入り、その入ってすぐのところにあった野菜の無人販売所でみかんとレタスを買いました。

江田島の無人野菜販売所

この直後、立ていた自転車がバタンと倒れ、その衝撃で後輪のハブ軸が折れてしまいました。
これで結局修理不能で自転車を買い換えることになったのですが、その時はそこまで大事とは思わず、二人で開いている自転車屋さんを探すべく島の中を走り回りました。

その後島で自転車を直すことができず、最後に壊れた自転車をタクシーに積んでフェリー乗り場へ移動するまでの数時間、冷たい風が吹きすさぶ中、小走りで自転車を押し、体の感覚がおかしくなったかと思えるほど疲労困憊になりました。

けれどその時に寒さと疲労で体の感覚が麻痺すると同時に耳に異変が生じ、異変に異変をかけ、マイナスかけるマイナスがプラスになるような、まるで霜がたっぷり付いた窓ガラスが温もりで徐々に溶けていくような、そんな変化を耳の中で感じました。

そして体の疲れが取れていくと同時に、耳の状態も知らずによくなっていきました。

 

『精神的疲労がある場合、肉体を酷使するとよい。
 その後肉体疲労が回復する過程で、精神もつられて回復する』

こんな話を聞いた事があります。
ストレスは時として人間の持つ眠っている能力を呼び覚ますことがあり、2016年に自分の右耳難聴が回復した過程も、これと同じだったのだと思います。
そしてたまたまそうなるタイミングで肉体を酷使せざるえない条件を得た、表面的にはこれが最も理解しやすい理由です。

けれどその奥には、言葉に言い表せない運気の流れ、巡り合わせというものがあったのだと感じます。

 

『病は気から』
すべてこの言葉で片付けてしまうのは逃げのようですが、ひとつ間違いなく言えるのは、今時代は大きな転換期を迎え、これからは人間誰しもが持っているこの意識、偉大な自然治癒力がより脚光を浴びるようになるだろうということです。

浴室で全身にタッチし、感謝の言葉という思い、気を送るようになったのは、左肘のしゃ骨という骨を折ったことがきっかけです。
サッちゃんと名付けた左肘にメッセージを送ると、サッちゃんはすぐに応えを返してくれて、自宅近くの接骨院にリハビリに通うことができるようになりました。
そのお陰でくの字型に曲がった状態で固まっていた肘は徐々に伸びていきました。

それでも完全には真っ直ぐな状態になるまでは長い道のりで、回を重ね、治療の激痛も少しずつ和らいではきたある時、あまり激しい痛みをサッちゃんに与えるのは可哀想だという思いになり、数十回通ってほぼ生活には支障のない状態にまでなった頃に治療をストップしてしまいました。

その後リハビリに相当することはまったくしていません。
けれど身体と対話することの大切さを教えてくれたサッちゃんは大恩人なので、お風呂では特に丁寧に思いを送るようにしています。

すると今でも徐々に肘の可動域が広がっていて、ほぼ真っ直ぐになる状態にまでよくなっています。
リハビリをせず、可動域が自然と広がっていくというのは普通はあり得ないことですが、これが気の力なのだと思います。

 

病でもトラブルでも、その時悪いと思っていることほど後になって学びが多かったと感じるものです。
だとしたら災いは学校のようなもの、学校は一定の成績を収めなければ卒業することができません。
落第をするとやり直しです。

ならば災いこそしっかりとそこから学び取れるものを吸収し、味わい尽くす必要があります。
そしてその学びを完全に習得できたなら晴れて卒業となり、初めて次の段階へと進んでいくことができます。

その学びの学校にいつまでも留まるか、いち早く卒業して通り過ぎるのか、すべては自分自身の選択です。

 

やはりこうして考えてみて、自分は難聴治療に関して特化した知識は何もなく、また何もしてこなかったということをあらためて知りました。

これは自分が学ぶ生命の本質である東洋の理でもあります。
西洋医学は情報が細分化され、治療でも例えば抗がん剤を考えてみて分かるように、ある特定のものにだけ強烈に作用し、大きな副作用があり、専門の医師、高度な設備、多額の費用を要します。

対して東洋医学は、基本は未病を治する養生法であり、体質を改善することによって健康のベースを底上げし、万病の予防、治療へとつなげていきます。
また「お婆ちゃんの知恵」といったような誰でも身近なところから実践できるのが特長です。

東洋医学にも特定の疾患に対処する手当法があり、自分も難聴になった時にネットで調べてみましたが、難聴の手当法を見つけることはできませんでした。
これは難聴だけにというのではなく、その人個人の体質を診て、その状態からなぜ聴力に障害が起きたかを判断し、それに基づいて体質を整えていくことが本来の手当法なのだと思います。
けれど残念ながら自分にはそこまでの知識や知恵はありませんでした。

 

経験から思うのは、自然治癒力を高めるためには否定的な思いを捨て感謝の気持ちを抱くこと、そして自分に絶対的自信を持つことです。

自分はサッちゃんで身体と対話する大切さを知り、人一倍健康で敏感な体になり、腎臓結石、難聴、そして二ヶ月前の帯状疱疹と、すべて己の自然治癒力で治すことができました。
自然治癒力の偉大さを知る、ますます自信を持つ、さらに治癒力が高まる・・・お陰様でこの善循環を築くことができました。

これは病を癒す時だけではなく、すべてに通じる望むべき形です。

 

病は自ら望んで創り出したもの、ですから病は治すものではなく、自らの意志と選択で“辞める”ものだという梯谷幸司氏の考え方にはとても共感できます。
また実際に梯谷氏はこの考え方を多くの人に伝え、数多くの実績を残されています。

自分を信じ、自分を愛し、苦しい病から卒業していきましょう。
人間誰しもが持っている自然治癒力は偉大です。