関係性の理論

関係性の理論

諸行無常
すべてのものは時とともに移ろい、ひとつとして同じ形を留めるものはありません。

それはどのようなものも互いに影響を与え、関わりを持ち、ひとつとして周りとの関係を絶った独立した存在はないからです。

それらはどういった関係を持ち、影響を与え合っているのか、この様相こそが生命の持つダイナミズムであり、また生命そのものとも言えます。

これまでの時代、価値観の中心であった科学は要素還元型思考が中心で、全体を細分化した各要素の性質を捉え、それを合わせることで全体を見るという手法でした。
いわゆる周りとの影響を考慮しない閉鎖系の考え方です。

対して全体を俯瞰する中で、個々の要素がどのような役割を持ち、どう影響を与え合っているのを考える開放形の見方があり、これら二つで陰と陽、ひとつのバランスの取れた形となります。

閉鎖系と開放形、これはどちらもが大切であり、どちらがより重要ということはありません。
ただ移ろいゆく時の流れは循環していて、これまでは西洋的科学思考、閉鎖系のものの見方が中心であったものが、これからは東洋的生命観、開放形のものがより脚光を浴び、必要性が増してくるであろうことは大きな歴史の流れを解析した文明法則史学が示す真理です。

文明法則史学

 

90点のものと95点のもの、優等生同士のものを合わせると完璧に近いものができるかといえばそうではありません。
相性という関係性は複雑で、個々の性質を見ているだけでは判断できません。
逆に60点同士のものをくっつけて、互いの長所を引き出して百点満点に近い仕事をすることもあるのです。

包丁は料理をする時には必要不可欠な道具で、これがなくては美味しい料理を作ることはできません。
けれどひとたび使い方を間違えば人を殺めることもでき、包丁そのものに善悪の価値を付けることはできません。

つまりものの価値はその関係性の中にこそあり、どんなものも『毒にも薬にもなる』というのが生命的、開放形の見方からの真理です。

 

すべてのものは周りと何らかの関係性を持っているのですから、その関係性のあり方、生命の様相というものは、どんなものからでも学び取ることは可能です。

どのような思いで人と接すれば相手と上手くコミュニケーションが取れるのか、
何をどのように食べれば体にいい変化が現われるのか、
野球のチームプレーとはどうあるべきか、
どんな材料に対し、いつのタイミングでどの調味料を加えると美味しい料理はできるのか、

固定的、閉鎖的な知識を学ぶ学校の勉強とはまた別の、こういった千変万化する環境の中での動的関係性を捉える力を持つことが、これからの時代に求められる知恵であり、頭のよさだと考えます。

 

生命の実相、動的関係性はすべてのものから学び取ることができ、生命の実相が多様性であるがゆえ、そこから感じ取れる形は実に様々です。

調理方法に工夫をすると、その結果を味という形で検証することができます。
新たな農法に取り組むと、その成果は実りとなって数週間、数ヶ月後に現われてきます。
日々の生活習慣は、その後体調の変化となって必ず表に出てきます。

その関係性からの結果を生命の実相として感じ取るならば、それを最も端的かつスピーディーに分かりやすく現わしてくれるものは何なのでしょう。

これは極めて本質的で重要な問いであり、自分はこれまでの人生経験から、それは音であり、その音を電気的に増幅するオーディオの中にあると考えています。

オーディオにおける音の変化は、アンプやスピーカーといった大型機器を取り換えた時にだけ起こるものではありません。
それら機器のセッティング、ケーブルの取り回し、配置の仕方、清掃具合、部屋の片付け、素材の色、形、大きさ・・・それこそここに書き切れない山のような要素がすべて音の変化となって瞬時に現われ、そこから多様な法則性を導いてくれます。

これまでの実験では、ステレオの下に敷いた紙に書かれた文字、それを表すフォント、配置等でも音が変わることを確認しています。
<心が安心・安定する言葉<7>>

心が安心・安定する7つのことば

この紙によって音が変わるのは、ここに描かれた図柄、文字、レイアウト、A4用紙の縦を26.25cmにした大きさ、そのすべてが力という影響力を持ち、それがトータルして音に好影響を与えているからです。
これはたぶん音だけではなく、料理の味、食品の鮮度保持、植物の成長促進、健康面等他の分野でも大きな影響があるものと考えられますが、それを最も分かりやすく伝えてくれるのが音だということです。

 

なぜ音が周りとの関係性の結果を最も分かりやすく伝えてくれるのか、その理由を考えてみると、それはヨガの世界では、この宇宙はオームというマントラ(真言)からはじまったと言われていて、音はこの宇宙の根源だから。
(オームとは、オーが開く音で陰、ムが閉じる音で陽、つまりオームとは陰陽の表れです)

人間の五感のうち全身を取り巻く触覚を除いた四感で、体内に向けたセンサーを持つのは骨導聴覚を持つ聴感覚だけであり、これは音が己の内、心の変化をも表すことを重要要素であることを意味しているから。
音は感じ、そして観じる観音の世界です。

物質の究極を説くひも理論では、すべての物質は振動体であり、その身近な振動が音であり、光によって得られる視覚情報です。
その上でこれからの時代は陽から陰へと移ろい、陰の精神性がメインの価値観となってくるがゆえ、精神性を表す音がより重要となってくるから。

これら理由は推測であって確証はありませんが、音が生命の実相、真理を探る大きな力を持つことは確かです。

 

自分は今から33年前の平成元年に文明法則史学と出合い、それ以来『生命とは何か』ということを己の天命として追い求めてきました。
これは生まれる前から魂に刻み込まれた運命なのだと感じています。
だからこそ、その文明法則史学と出合うさらに十数年前、中学・高校時代から音に対して異常な執着心を持ち、オーディオマニアとして音を追求し続けてきました。

当時から「これが真理を解きほぐす糸口になる」などと考えて取り組んでいたわけではありませんが、音に強く心惹かれたのは必然としか思えません。
さらに言うならば、過去何度か体外離脱した中で、複数の言語の多様な音楽を耳元で聞いたことがあるので、だぶん過去世から因縁なのだと感じています。

 

音楽家は別として、音の世界に生きるオーディオメーカー、ショップ、評論家の方たちが、こういった音の持つ生命観を感じながら音と向き合っているのかといえば、そんなことはまったくありません。
通常の世界と同じく個々のパーツの評価に終始し、衰退していくオーディオ業界の中は、昔ながらの商業主義姿勢で数少なくなったマニアの関心を引き止めています。

 

その中で、音の中から数々の真理を解き明かし、それを法則化しているオーディオメーカーでありショップのローゼンクランツ(ショップ名カイザーサウンド)が地元広島にあり、二十数年前からご縁をいただき、たくさんのこと学ばせてもらっています。

これも間違うことなく必然の出会いということでしょう。
自らの頭で考え望んでも、こんなご縁は得られません。

正直、オーナである貝崎静雄さんは自他両面にとても厳しい職人肌の人間であり、自分とは対立することもあって何度か縁が途切れた時期があるものの、自分自身貝崎さんから学ぶことが多く、また貝崎さんにとっても彼の持つ理論、生命観を十分に理解し、そこから現われる変化を敏感に感じ取って言葉で表現できる自分という人間を重宝してくださり、今もほぼ完成に近づいた理論への取り組み、その実験に毎回立ち会わせてもらっています。

 

音は生命の実相を最もストレートに表現するものと書きましたが、厳密には音というよりも振動といった方が正確です、
貝崎さんはオーディオという弱振動の世界での真理を究めるため、十数年前から強振動の車の世界での取り組みを始め、現在長野の志賀高原に欧州車を中心に二十台ほどの車を所有し、様々な実験を行っています。

自分も何度か広島、長野でその体験をさせてもらい、ほんのささいな取り組みで、車の性能というよりも乗り心地や楽しさといった感覚的な部分で極めて大きな変化が現われるということを実感し、オーディオと車、その両極の世界での共通した振動の特性を知りました。

 

オーディオも車も、貝崎さんの取り組みやその成果は、一般常識では理解できないことです。
ケーブルを一本交換する、ヒューズやビスの取り付け位置、ケーブルの長さの変化、そんなことで全体が大きな影響を受けるはずがない、そう考えるのが自然であって理解できないのは無理がありません。

けれど人間だってちょっとしたことでやる気になったり落ち込んだり、東洋医学の名手がツボを少し刺激するだけで病が癒えて力が漲ることがあるではないですか。
それと同じことがモノの世界でも起こっていて、これまで理論、手法として解明されていなかったことが今まさに日の目を見ようとしている、そう考えて受け入れていただければと思います。

 

こういった新たな理論、発見は、なかなか世間に受け入れられないのは過去の歴史が物語っていて、貝崎さんの理論も同じかもしれません。
貝崎さんは、
「私の理論は自分が死んだ後にようやく認められるのではないかと思う」
と言われます。

その考え方は分かりますが、自分はそうは思いません。
今は時代が極めて大きな転換点に向けて急速に動いていて、これまで何度も書いてきたように、この先にあるのは人類の滅亡か再生か、この二つです。

その目の前にある再生への道に進むためには、貝崎さんの理論だけではなく、農業、医療、教育、その他様々すべての分野に現われようとし、旧来の勢力によって押しつぶされようとしている画期的なものが表に出てこなくてはなりません。

これらが一気に花開いて素晴らしい持続可能な世界秩序築き上げるのか、旧来の既得権益勢力に押され、一般民衆の奴隷化、全体の破滅への道へと突き進むのか、それはここ数年、極めて短い期間にその結論は導かれるものと考えます。

 

いずれにせよ多くの人がそういった意識を持ち、真実に目を向けていくことが求められます。
これまで貝崎さんの取り組みについて書いたレポートは、ここではあまりリンクを張っていませんでしたが、これからは毎回このサイトでもご紹介したいと考えています。

下記のレポートは7月28日にイタリア車ランチャに対して行ったもので、この続きもあるのですが、それはまだレポート化していないので後日アップします。

人間がいつまでも進化し続けるように、オーディオも車も進化の最終到達点はありまん。
そんな生命の持つ可能性を感じ取っていただければ幸いです。

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カイザーサウンド