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調和の時代

調和の時代

長らく更新期間が空いてしまいました。
この間いろんなところに行き、Amazonプライムのお陰で本もたくさん読みました。
しばらくは充電期間、そんな感じで過ごしていました。

参議院選挙の投票を次の日曜日に控え、今その行く末を見つめています。
身の回りの友人の中には政治に対して激しい絶望感を抱き、
「選挙に行っても世の中変わらない」
と言う人たちがおられます。
これは一面正しいとは思いますが、その反面、
「選挙に行かず、政治に無関心だと世の中とんでもない方向へと行ってしまう」
というのもまた事実であり、中国の船舶、航空機による尖閣周辺の領海、領空侵犯、外国資本による日本の土地、資本の買収、日本の国益が急速に吸い取られ、貧困化、属国化に歯止めがかかりません。

今この時、この危機的な流れを止めなければ、もう復活可能な臨界点を超えてしまいます。

 

今が時代の大きな変わり目であることは誰しもが感じていることでしょう。
その変わりゆく先は文明法則史学で示すように東洋の時代であり、その東洋の時代を切り拓く盟主の役割は日本にあります。

来る時代は今の延長線上にはなく、すべての価値観を現在の西洋中心のものから東洋へと対極に移行していかなければなりません。
その新たな時代の価値観の根幹となるものは古来大和民族が持っていたものと一致しますが、その日本が今のような状態では新たなる持続可能な文明体系を築くことはできません。

今人類の文明はこれまでのさなぎから新たなる蝶になろうとしています。
これは巨大なイニシエーション(通過儀礼)であり、これを超えなければ次のステージへと進んでいくことはできません。

人類が蝶となって大きく羽ばたくことができるのか、それともそれができず・・・となるのか、ここ数年でその方向が明確になってくるものと考え、今こそ最後の正念場です。

 

これまでの時代とこれからの時代、あらゆる価値観の中心が対極に移行し、その点ではとても分かりやすい変革です。

これまではミクロ(極小)の時代がこれからはマクロ(極大)の時代、全体を個々に分解しそれぞれの要素を個別に見ていた時代から、全体の調和の中に真の価値を見出す時代への転換です。

最近それを具体的に示す体験をしました。
以前からお付き合いしているオーディオブランド ローゼンクランツ(ショップ名カイザーサウンド)の基本姿勢は物性の真理を見い出しそれを活かすこと。
これまでの物理学の概念を超えた調和の中にモノを最適に活かす道を求める、それは自分の目からは“生命を活かす道”と見ています。

現代物理学の概念では、すべての物質は振動体であると捉えていて、その弱振動の代表をオーディオ、強振動の代表を車とし、ローゼンクランツではそこで各種パーツによる実証実験を重ねています。

今までのミクロの時代は個々のパーツが重要でした。
オーディオならばアンプ、スピーカー、CDプレーヤー、それらにいかにお金をつぎ込んで高級品を買いそろえるかがほぼすべてでした。
車ならエンジンやサスペンション、様々なパーツの品質向上が車全体の質感を上げる最重要課題とされてきました。

それが時代の推移とともに、パーツ個々の性能よりも、全体の中でそれをいかに活かすかというそのノウハウに力点が移ろうとしています。

論より証拠、これまでローゼンクランツとの関わりの中で、ほんの少し接続ケーブルを換えただけ、あるパーツを括っているインシュロックタイの色を換えただけ、そんなことで音が激変するのを何度も体験してきました。

インシュロックタイ

色と音との相関性実験に参加して 2002/01/09

車も新たなパーツを一切加えることなく、タイヤ、ホイール、取り付けボルト、これらのバランスを最適にすることで走りが変わり、ヒューズも同じく現在取り付けられているものを適材適所で場所と向きを調整すると、ハンドリングやサスペンションの具合まで変わってしまうということを知りました。

一般の人にとっては、こんなことがあり得るのかという驚愕すべき“非常識”なことですが、事実それを体感するのですから疑いようがありません。

このたびも長さや直径がわずか21ミリほどのパーツを使い、オーディオの音、車の走りが大きく変わるという体験をし、その詳細をローゼンクランツのブログに載せていますので是非ご覧ください。

カイザーサウンド 新リファレンススピーカー

カイザーサウンド

“Kaiser Ring”をランチア・カッパに装着

カイザーリング

 

個々のパーツを換えることによるグレードアップというのは、物理的に計測可能な世界です。
オーディオなら周波数特性、歪率、SN比(雑音量)といったようなこと、車なら馬力や静閑性といったもので測定機で数値としてその変化を示すことができます。

ところが上の例で示したような各パーツを本来の能力が出るよう活かしたり、周りとの関係性をよりよくしていくような変化は、人間は体感できても物理的数値として示すことはほとんどできません。
またこういった複合的要素の調和を感じ取るには個人の感性に頼るところが大きく、感じ取ることができる人とそうでない人との差が大きく別れるところです。

これからは全体のバランスを整え、それぞれを活かすための調和を尊ぶ時代、そしてそれを感じ取るための感性が求められる時代です。

感性とは鋭敏な五感が礎となります。
そのためにも生きる原点を見つめ、いったんは自然に根ざした暮らしに立ち返ることが必要です。

古いものを手放さなければ新しいものは手に入りません。