究極の思い

十牛図

人間の想念を含め、この時空を律している生命の法則は実にシンプルで美しく、かつ素晴らしいものだと深く感じています。
この生命の法則の末端を知ってから三十余年、日々感動の連続です。

先の「難聴克服への思い」で、病を癒す気(意識)の力について書きました。
その人間の持つ意識、想念の力を深く知り、これと上手く関わっていくようになることが生きる意味、目的そのものなのだと感じます。
そしてそのためには、なかなか“思い通り”にはならない肉体を持つことは、最高の学びの場であり教材です。

この想念の進化が辿る道筋を最も分かりやすく説いたものが十牛図です。

十牛図

牛に例えられた潜在意識、想念の持つ力と出合い、当初はそれを手なずけようと悪戦苦闘するものの、それがなんとか思い通りになるようになった後は、自分の頭(顕在意識)であれこれ思うのではなく、すべてを安寧の境地とも言える心持ちで無為自然に過す、そういったことを説いています。

今は西洋主流の物質中心主義から東洋の精神文明へと時代が移おうとしている中、十牛図で言うならばその中間あたり、潜在意識をなんとか活用して自分の思い(顕在意識)通りに現実世界を操りたいという手法や考え方が主流となっています。

これはひとつの道を進む過程としては大切なものですが、究極ではありません。

 

そして人生に於いて真に困難な場面に陥った際、時としてその究極を求められることがあります。

潜在意識活用法、成功哲学で説かれているのは、自分の理想とする姿を強くイメージし、それを現実化させようというものです。
これはひとつの真理ではありますが、その裏には同時に相反するマイナスの要素が含まれていることを知るべきです。

「お金持ちになった」「病気が治った」「トラブルが解決した」
そう強く完了形でイメージする裏には、「お金持ちではない貧しい自分」「病に苦しむ今」「トラブルを抱えて悩んでいる現状」があり、現在のそういった気持ちが心の隅にでもある限り、その悩みを抱えた現状も未来へと投影されてしまいます。

また先の「難聴克服への思い」にも書いたように、苦しみは、そこから何かを学びたい、感じ取りたいという心の深いところからの意志であるならば、それをたとえ潜在意識の力で回避できたとしても、いつかより深い心の部分がその学びの場へと引きづり戻してしまうかもしれません。

ですからそれを解決していくための究極の方法は、それを味わい尽くすこと、感謝して受け取ること、これ以外にはありません。

 

具体的には難聴を例に取ると、
「耳がすごくよく聞こえるようになった! 最高だ! 嬉しい!」
と強くイメージするのではなく、今のままの状態を肯定し、
「ほんのわずかでも音が聞こえるだけで有り難い」
「傷付きながらも音を懸命に捉えてくれている自分の耳には感謝の思いしかない」
「今、命を与えられて生きている、これに勝る幸せはない」
こう強く、喜びと感謝を持って感じ取るのです。
これは自分の身体に向かって念ずるといった感覚です。

この真意は「現状をなんとかして変えたい」という思いを手放すことであり、一見すると聖書で説かれた
『求めよ されば与えられん』
と反対の意味のようですが、これは諦めて努力を放棄するということではなく、今という瞬間に感謝と喜びを感じ取るということが真の意味です。

 

こういった思いで病を克服した人は数多くおられます。
「ありがとう」という感謝の言葉で末期ガンを克服した工藤房美さんもそのお一人です。
<工藤房美講演会 スピリチュアル夜話>

こちらは膵臓ガンを克服した寺山心一翁という方のメッセージです。
少し長いですが引用します。

退院してから寺山さんがまず実践したことは玄米菜食だった。
しかし、病院ですらまともに固形食を食べていなかった寺山さんが、
いきなり堅い玄米など食べられるものなのだろうか。常識で考えるとあまりにも無謀である。
「最初、食べられないんですよ。口なんかパサパサで、唾液が出てこなかったのです。
でもね、食べ物をね、じーつと見ていたら、
そのうちにありがとう、ありがとう、ありがとう・・・って言葉が出てきて、
そしたら唾が出てきたんです、生唾が。唾って血液がつくるんだよね、
だからいままでよっぼど血液が悪かったんだろうね。
そして、その唾でよおく玄米を噛んで食べました。
一日目にそれができるとね、
もう少し、もう少しってだんだん食べられるようになってくる。
やっぱり食べ物は口から食べなくてはダメだって、そのときに思いましたね」

病院が自分にしたことは、ストレスばかり多くて、いったい何なのだろう、
そう寺山さんは思った。
病院にいたら悪くなるばかりだったではないか。
人間が本来もっている力を奪っているだけではないか。ほんとうの医療って何だろう。
それはいまもなお寺山さんのテーマである。
「玄米菜食を始めてから、僕はもう一つあることに気がついた。
僕は小さいときから山が好きで、親父に連れられてよく登っていたんだけど、
冬山で太陽が出てきたときって、ほんとうにうれしいんだよね。
ぼかぼかあったかくって、太陽さんありがとうって思うね。
それを思い出してね、日の出が見たいって思ったのね。
朝早くにマンションの八階まで行きましてね、
日の出の太陽を見たらほんとうにきれいなんですよ。
それからはだるい身体を引きずるようにして、毎朝八階まで上って朝日を見ました。
死を宣告された病人ですから、ほかにすることもないし、
妙に肝が座ってしまうんですよ。
鳥が鳴き出す時間を調べたり、オーム(マントラのひとつ)を唱えて
自分の胸のチャクラを探ったり、
それを発見することがおもしろくておもしろくてしかたがなかった」

寺山さんはドレミファと声を出しながら、
自分の 七つのチャクラ上に移動させる方法をみつけていった。
死の覚悟の前に自分のエゴが消え、自分の身体と向かい合ったとき、
身体は自分に開かれていくのだろうか。
「ある日、チャクラを下から上につなげるのがすごく調子よかった。
今日は太陽さん出てくれるかなあ、と思いながら待っていて、
太陽が出てきたときにパーツと手を開いたら、
太陽の光線が胸のチャクラめがけて入ってきて、僕とつながっちゃったんですよ。
そしたら身体中からビュビュビュビュビューツとエネルギーが上がってきて、
なんだか腰抜かしちゃって、オイオイ泣きだしちゃった」
初めて射精したときの感覚に似ていた、と寺山さんはいう。
そして、感動冷めやらぬままに家に戻ってきて驚いた。
食卓に並ぶ家族のオーラが見えるようになっていたのだ。
その後も、寺山さんの身体はどんどん鋭敏になっていく。
「ある夜、僕はよく眠れなかった。当時の僕は二四時間眠っているような状態でね、
ちょっと引っ掛かってしまうともう眠れなくなってどうしていいかわからなくなっちゃう。
だからそういうときは自分の身体を使っていろんなことやってみるわけ。
そのときはちょっと胸に手を当ててみた。
そのころの僕はあばら骨がみんな出ちゃってましたから、
よくあばら骨のなかに手を突っ込んでいたわけです。
そしたら、ドックンドックンしている。心臓ですよ。
あばら骨の下から皮膚を通して心臓に触れて、へーって思った。
これっていまだに一度もエンストしてないよな、って。
すごいなあ、心臓さんありがとう、って。そうしたら涙が出てきちゃって・・・。
いままでの人生で一度も止まらずに働いてくれて心臓さん、
ありがとうってつぶやいたんです。
それから、胃さん、ありがとう。腸さん、ありがとう。肺さん、ありがとう。
そうやって一つひとつの臓器にありがとうっていったんですよ。
でもね、ガンさんにはありがとうとはいえない。途端にパッときたの。
僕がつくっちゃったんだ、ごめん、僕の行いが悪くてつくっちゃった。
あんなに働いて、あんなに無理して頑張って、僕がつくっちゃったんだ。
ごめん、ごめん、僕の子供だ。そしてね、最後に、愛してるよ、っていったんです。
ガンに、愛しているよって。そしたらスカーツとしたの」

そして、寺山さんの転移したガンは、長い期間かかったが、自然に縮小していく。
自分を愛し、自分の体を愛し、自分に宿ったガンすらも愛せたとき、
人間は新しい力を自然界から注ぎ込まれるのかもしれない。
頭はそのことを忘れているけれど、
身体の細胞の一つひとつは治癒に至る道を記憶しているのだ。

「精神世界が見えてくる」  サンマーク出版

他にも最近どこかの本で読み、それがどれだったか思い出せないのですが、大腸のガンで余命宣告を受けた年配の女性が、それまでほとんど家に帰らず、なかなか上手くコミュニケーションが取れなかった夫にそのことを伝えたところ、急に奥さんのことを気遣ってくれるようになり、いろんな世話をしてくれて、とても夫婦関係が上手くいくようになりました。

奥さんはそのことをとても幸せに感じ、「自分がガンになって本当によかった」と心の底から思ったところ、ガン細胞は自然と消えていってしまったそうです。

 

このような話はたくさんあり、自分のことでは、2014年9月30日、関西国際空港ですべての貴重品が手元から消え、その最悪の状況の中、貧しいインドの子どもたちのことを思い、突然生きている喜び、最高の歓喜の感情が全身を包み、その直後に奇跡が起こってすべての問題が解決してしまいました。
これもすべての思惑を捨て、ただ感謝の思いだけが心を満たした結果だと信じています。
<関空での奇跡>

このことがあったので、今年6月、ロックダウンにより四ヶ月間足止めされたインドから出国のための飛行機チケットが入手できたにも関わらず、出発前夜に領事館から「出国許可書が間に合わない」という連絡を受けた時も、正直生きた心地がしませんでしたが、頭の中でイメージしたことは、
「無事日本戻れて嬉しい」
と喜んでいる未来ではなく、
「どんな状態になっても感謝してそれを受け入れている」
その自分の姿でした。

 

過去も未来も、すべての原点は“今ここ”、この時空の一点にあるのだと感じます。
そしてそれを受け入れ、そこに限りない喜びと感謝をすることが究極の生き方だと信じます。

病やトラブルは、それができるようになるための最高のアシスタントです。

与えられたすべてを受け入れ、感謝をし、そこから新たなる本当の自分自身を発見してください。

 

十牛図はこの本に「十豚図」という形で、面白くかつ分かりやすく書かれています。
究極の真理は本当は実に分かりやすいものです。



4 件のコメント

  • こんばんは。何かのご縁でこのブログに辿り着き時々拝見させて頂いています。私は山口県の周南市に住んでいて現在43歳です。ブログの内容に共感出来る事が多く、また新たな気づきや学びをさせて頂きいつもありがとうございます。これからもお世話になります。宜しくお願いします。

    • 隣県からコメントありがとうございます。
      竹内様の期待に添えるよう、これからも真摯に生き、その生き様を綴っていきたいと思います。
      こちらこそよろしくお願いいたします。

  • 読ませていただき、改めて感謝の言葉しかありませんm(_ _)mこの書き物を友人たちに読ませてあげたいです(*^^*)出会ってくださりありがとうございます\(^-^)/

    • 嬉しいコメント、ありがとうございます。
      究極の時代、みんなとともに究極の思いを成就させていきましょう。
      これからもよろしくお願いいたします。m(_ _)m

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