サイコパス

日経テレ東大学

テレビがオワコンと言われて久しくなります。
テレビ番組は多くの人に興味を持ってもらうため万人向けにならざるえなく、増えていく一方の表現規制の中で当たり障りのないものとなり、しかも放送時間が決まっているという自由度のない中では多様で制約のないネットコンテンツに押されて衰退していくのは避けがたい流れです。

一般的なものはテレビ放送で、多様でマニアックなものはYouTubeなどのインターネットの情報でという流れで、これは衛星放送の出力が始まった頃の地上波と衛星放送との関係と似ています。

けれど当時の衛星放送はごく限られた少数のコンテンツしか持たなかったのに対し、インターネットの世界は無限の広がりを持っていて、数年前に広告出稿量もネットはテレビを抜き去り、テレビ業界の衰退は今後もさらに加速されていくしかありません。

特にテレビに対し個人的に思うのは、このたびのエセ・コロナ禍で国民の恐怖を煽って社会を混乱させ、多くの人をワクチン接種から死に至らしめたテレビをはじめとするメディアの罪は万死に値するもので、いつかこの罪は公にして断罪する必要があると考えます。
大手メディアの衰退と社会のよりよい変革が軌を一にすることを大いに期待します。

 

趣味性の高いネット番組は視ていて興味が尽きません。
中毒にならないよう節度をもって接することを心がけていて、そのお陰で読書量が増えました。

テレビに出ている多くの芸人、芸能人が自身のYouTubeチャンネルを持ち、主軸を徐々にネットに移しているように、テレビ番組を作っているテレビ局自体も自社のYouTubeチャンネルを持っていて、さすがに大手テレビ局のコンテンツには興味をそそるものが多くあります。

東京のキー局では以前からテレビ東京が異色だとよくネットで騒がれています。
社会的事象で記者会見が行われている時に、すべての局がその会見の模様を流している時でもテレビ東京だけはお気楽な娯楽番組などを流していたりして、それをネット民から「テレビ東京は今日も平常運転」などど揶揄されているのを何度も目にしました。

テレビ東京

そんなふうにテレビ東京というとアナーキーなイメージがあり、ネット番組でも期待に違わず面白いコンテンツを提供してくれています。

テレビ東京は日本経済新聞社と資本的に提携関係にあり、この「日経テレ東大学」というYouTubeチャンネルを登録し最近よく視ています。

日経テレ東大学

この番組のマニアックさ、自由さ、ある意味お気軽さはテレビでは表現できません。
先日「五体不満足」の乙武洋匡さんの出る回を興味深く視ましたが、過激な内容はネットだから許されるものです。

乙武氏と言えば数年前の不倫騒動が記憶に新しく、下ネタですが、それを「五体不満足、一本大満足」と言ってからかっているのには笑いました。
彼のように逞しい人間にはこういったラフな対応が相応しく、また彼自身もTwitterで下ネタ、自虐ネタを連発しています。

話の中で、彼が世間から注目を浴びはじめ、たくさんのメディアが取材に来た時に自身を貶めるようなことや下ネタを言っても、放送される時にはその部分がカットされていると語っています。
メディアは型にはまった虚像を作り、いったんそれが崩れると一斉にそれを攻撃するというタチの悪い性分を持っていて、ネット時代の今はそれが明らかになっています。

 

その日経テレ東大学に出ている成田悠輔氏は最近ネットでもメディアでも注目されているようで、たびたび目にします。
知識があってトークもコメントも適切で、過酷な少年時代を過ごしてきたにも関わらずとても爽やかで好感が持て、さらには超エリートという箔まで付いています。

どうやったらこのような人間になれるのか、そこに興味が湧きますが、今は知識豊富な人は山ほどいますが、彼のようなその伝えるべき情報の根底にある人柄、雰囲気といったものに好感を感じさせる人物は貴重で尊いものです。

 

もう一人最近YouTubeでよく話を聴くのが岡田斗司夫氏で、オタク文化の評論家としても有名です。

彼も話すことにオリジナリティーがあると同時に深く本質を突いていて、ものの見方を学ぶ上でとても参考になります。
またどんな変わった意見を述べてもそれが嫌みにならず、聴いていて心地いいのは情報の送り手としてとても大切な要素です。

成田悠輔、岡田斗司夫、二人には共通点があります。
それは二人とも自称サイコパスだということです。

精神病質 – Wikipedia

精神病質(せいしんびょうしつ、英: psychopathy)またはサイコパシーとは、精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害、または、精神病と健常との中間状態。広義の精神病質とはパーソナリティ障害全般のことを指し、狭義の精神病質とは反社会性パーソナリティ障害のことを指す。精神病質を持つ者は精神病質者と言う。犯罪社会学者の赤羽由起夫が言うには「精神病質とは,性格の極端さのために自分や他人が悩む症状につけられた病名」であり、教育心理学者の加戸陽子・眞田敏らによると「精神病質とは、成人において非社会性または反社会性を常況として社会生活上の困難をしめすパーソナリティ障害と解釈されることが多い」。精神病質という用語は、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。

上の中野信子の動画でも語られているように、サイコパスとされる人は百人に一人ぐらいの割合で存在し、凶悪犯罪者はその率が高いと同時に、企業のCEOもまたサイコパスの比率が高いそうです。

完全に制度疲労を起こした現在の学校教育の中で、登校拒否になる子どもの方がまともな感性の持ち主だと言われることがあるように、サイコパスもまた、人間が本来持っている原始的感覚を身に付けた人と言えるのかもしれません。
もちろんサイコパスにもいろんなタイプがあり、一概に言うことはできないでしょうが。

成田悠輔、岡田斗司夫、両氏に感じるのは、ものの見方にオリジナリティーがあり本質を見極めているのと同時に、対人関係に関する基本的欲求である承認欲求と制御欲求が非常に希薄だということです。
これは別の言葉で言うと、周りの人間との関係性が薄いということです。

他人のことが気にならないのですから周りと同調する必要がなく、自信を持って自分の考え方をポリシーとして持ち、それに則って生きていくことができます。
たぶんそもそも自分の考え方に自信がなければそれを貫けないとする思考そのものがないと思われます。

また自分の考え方を周りに理解してもらいたいという承認欲求、相手を自分の思う通りに動かしたいという制御欲求が感じられないので、水が流れるように彼らの話を聴くことができ、どんな変わった見解を述べてもそこに押しつけがましい印象を受けることがありません。

 

自称サイコパスの二人を見て、己の我の強さを感じます。
自分の中にある承認欲求、制御欲求、その存在を感じ、それが多くの苦しみを生みだしているのだということをあらためて思います。

『人間の幸不幸はすべて自分の心が決める』
『人間の苦しみのすべては人間関係から生まれる』

近年アドラー心理学が脚光を浴びるようになったのは、やはり時代の必然性があったからなのでしょう。
自分の内面を見つめてそう感じます。
何度も繰り返し読んだこの「嫌われる勇気」を再度読み返してみます。