はじめに ・・・ 生命思考

地球に生命が誕生したのは今から40億年前、原始的な原核細胞生物から少しずつ進化を重ね、これまで人類をはじめ数え切れないほど多くの動物や植物が、この地球上で生命の営みを続けてきました。

最も身近な存在であり、神秘に満ちた尊いもの、生命(いのち)、生命とは何でしょうか。
その生命の存在、継承はどの様な仕組みによって支えられてきたのでしょう。

近年科学技術の飛躍的進歩により、原子、素粒子のようなミクロの世界から宇宙の果ての星々まで、それらの様子を仔細に知ることができるようになりました。
しかしいくらそれらひとつひとつの形が解明されたとしても、それらがどの様に結びつき、互いに助け合っているのか、それが分からなければ、生命の本当の仕組みを理解することはできません。

 

昔の田んぼは生きものたちの宝庫でした。
田んぼの中にはたくさんのカエル、ドジョウ、タニシ、ヤゴなどがいて、それらが精一杯生きるとともに、互いが生きやすいような環境ができていました。
これは互いの生命を生かし合うひとつのまとまった生命であり、生態系です。

このつながりは男性と女性、原子核と電子、海と陸地、地球と太陽なども同様です。
この宇宙に存在するすべてのものは何らかの形で共同体のひとつとなり、互いに深く関係し、助け合い、多層的な共生関係を成り立たせています。

 

これまでの価値観の中心であった科学、特に近代科学は、
『全体は部分の集合体であり、その部分を知ることで全体を知る』
という要素還元型の思考です。
けれどこれは、全体の本質を知ることの一部分でしかありません。

全体は、単なる部分の総和ではありません。
会社や学校、家庭という組織において、メンバーとなる人たちの能力が特に秀でていなくても、お互いの相性や素晴らしいリーダーに恵まれた場合、全体としてとても大きな力を発揮することがあります。
野球やサッカーといった団体スポーツでも、個々の選手の技量が高いだけでは勝つことができません。
全体としてのチームワークをいかに取るかが大切であり、個人という部分を見ているだけでは、全体としての力や性質を推し量ることはできないのです。

愛らしい子猫の可愛らしさはどこにあるのでしょう。
それを知るために猫を解剖し、臓器を分析し、細胞、分子、原子と微細なものを突き詰めていったとしても、子猫の可愛らしさの秘密を知ることはできません。
子猫が懸命にミルクを飲み、身近なものと戯れる、その躍動する姿、周りとの関わりの中にこそ、生命の本質が隠されています。

全体の持つ力や性質は、個々の働きとともに、それらと周りとの関わりが大きな影響を与えます。
相乗効果という言葉があるように、1+1は必ずしも2ではなく、場合によってそれが10にも100にもなることがあるのです。

部分から真理を求めようとする科学的思考が間違っているのではありません。
科学というミクロ(極小)を探究する思考はひとつの極であり、これだけで完全とはなりません。
その対極である全体から部分を捉え、全体がひとつの生命のつながりで結びついていると考える生命思考、マクロ(極大)思考があり、この二つが合わさってひとつとなり、真理を見つめるための完成した形となります。

二つでひとつ 生命思考

人類は18世紀ヨーロッパで起こった産業革命以降、急速に文明を発達させ、物質的豊かさを享受してきました。
そしてそれと同時に、その文明によって取り返しのつかないほど大きなダメージを地球環境に与え、日本のみならず、世界中で毎年のように異常気象や天災が発生し、汚染された環境によって大きな弊害が生まれてきています。
また巨大な破壊力を持つ核兵器も2018年現在、世界に14000発以上存在し、その力は人類を何度も壊滅させることができるほどです。

今世界は爛熟した近代文明と科学技術を持てあまし、数年先をも見通すことができないほど混沌とした状態に陥っています。
この行き詰まりの状態から脱するには、現在の世界を律している価値観を大きく変えていくことが必要で、その鍵となるものが、これまで欠けていた全体を見てバランスを重んじる生命思考です。

モノの豊かさと心の豊かさ、文明と自然環境、近代化と伝統、・・・全体を見渡し、そこから調和とバランスを取っていく、そのことが求められています。

科学的思考と生命思考は、互いに助け合うことができます。
科学技術の発達により、生命の微細な仕組みが分かるようになり、それによって全体の働きがより深く理解できるようになりました。

人間は昔から病に冒された時、神仏に祈りを捧げたり、「病は気から」と言うように、気持ちを明るく持つことによって健康を願ってきました。
これは宗教的伝統や迷信といった非科学的なこととして扱われてきましたが、人体を外部の敵から守る防御機能の働きを調べていくと、人間の心の持ち方によって生体の免疫力が上がり、それによってガン細胞の自然退縮すら起こるということが分かりました。

これまでの科学で、人間の心と体はまったく別のものとして扱われてきたのが、科学技術のさらなる発達により、心身一如、心と体はつながりを持っているという生命の仕組みの一端が、数値として明らかになってきたのです。
科学的思考と生命思考は自転車の両輪のようなものです。
車輪がひとつしかない一輪車でも走ることはできますが、乗りこなすためには熟練が必要で、
速く走ったり、坂道を楽に上ることはできません。
それに対して車輪が二つある自転車は、誰にでも簡単に乗ることができ、荷物を積んだり、遠くまで行くこともできます。
科学的思考と生命思考は、お互い自転車の両輪のように力を合わせ、持てる力を最大限に発揮します。

これまでは、部分を重視する科学が中心の時代でした。
そして科学的でないものは非論理的として一段低く扱われてきましたが、これは誤りです。
科学が論理であるように、全体を見渡して観察する生命観もまた論理です。

科学とは、周りとの関係を断ち切った部分のみを観察する、いわゆる閉鎖系の手法です。
学校の物理の授業では、落下するものの速度vは加速度gに時間tをかけたもの、v=gtであると教わります。
けれど実際に外でものを落としても、この公式通りにはなりません。
それは大気中には空気があり、風が吹き、落下するものに抵抗がかかるからです。

科学とは、閉ざされた実験室や試験管、ビーカーといった、外からの影響をまったく受けないところでの論理を求めるものです。
それに対して生命は自然環境の中にあり、周りのすべてから影響を受けるダイナミックなもので、環境に対して開かれた開放系であり、複雑系とも呼ばれます。

ですから科学が、何度実験しても同じ結果が繰り返される「再現性」と、誰がやっても同じ結果が得られる「客観性」を持ち、その正しさが簡単に認められるのに対し、生命の観察は時間を要し、様々な周りからの影響があり、その結果を厳密に判定することが困難です。
それゆえに間違いが生じることもあり、またその正しさを証明することも難しく、それが時として生命思考が批判される要因となっています。

科学的思考と生命思考は対極であっても、相反するものではありません。
どちらも欠くことのできないものであり、科学的事実を踏まえ、その上で冷静かつ長期的な目で自然や生命全体を見つめていくことが大切です。

自然は多種多様で複雑な関係を持っています。
そしてその根底には、極めてシンプルで美しい法則やリズムがあり、それが生命の持つ法則、実相なのだと感じます。

ここで述べていることは、絶対に真実だと言い切ることも証明することもできません。
生命の尊さは絶対ですが、そのあり様は、すべてのものとの関わりの中にある相対的なものです。

生命の法則は知ることではなく感じ取ることです。
そしてその法則を感じ取ることが、自然や生命、すべてのものを理解する大きな働きにつながるものと考えます。

この冊子では、生命の持つ法則をできるだけ分かりやすく簡単にまとめてみました。
一人でも多くの人がこの生命の法則に触れ、来たるべき明るい未来を築く大切な役割を担っていただくことを願います。

 

homemenunext