ご利益とは
私がスピリチュアルな世界に目覚めたのは19歳の時、
今から30年も前のことです。

たまたま身近に接していた女性が小さな子どもたちを抱え天理教の布教師になり、
その子どもたちを私がとても可愛がっていたこともあってその布教所に通うようになり、
その女性(先生)の教理に徹しきった
『周りの人たちの幸せを願い、助けることによって自らの幸せを求める』
という生き方に強烈に心打たれ、一時は学校を退学して自分も布教師になりたいと
願うほど熱を上げました。

その後周りの説得もあり、なんとか学校を卒業し、地元を離れ社会人として暮らしていくうち、
宗教という狭い世界から心が離れていき、
信仰心旺盛だった当時の志はそのままに、より広い視点から生きるとは、幸せとは何か、
そういったものを求めるようになっていきました。

その間幸いなことに素晴らしい人たちや教えと数多く巡り会うことができ、
このホームページでもご紹介しているような自分なりの宇宙観、生命観というものを
築き上げていくことができました。

天理教にはじまってピラミッドパワー、瞑想、呼吸法、気功、神智学、
文明法則史学、マクロビオティック、老荘思想、ヨガナンダ、
植物さんの三上晃先生、奇跡の人小野春子さん、インドのお坊さん・・・。

みなそれぞれが素晴らしい世界観を持っていて、
どれがもっとも価値があるのかといった優劣をつけることはできません。
すべてに共通したものの中にこそ真理がある、これはひとつの東洋哲学の神髄です。


19歳の時に天理教と出合い、最も心惹かれ得心をし、
またそうであって欲しいと願った教理は因果応報を説いた因縁の法則です。
因果応報、因縁というよりも、
今でしたら『原因と結果の法則』と言った方が分かりやすいかもしれません。

「原因」と「結果」の法則
「原因」と「結果」の法則James Allen 坂本 貢一

おすすめ平均
stars悪くはないが
stars自己啓発の始まりと言われる著作
stars心が澄んでいく本
stars生きるヒントかな・・・
stars地味なんだけど極めて重要な教え

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種を蒔けば実りを得られる、原因があるところに結果が生まれる、
人にしたものは必ず形を変えて自分に返ってくる。
だから天理教では『人を助けて我が身助かる』と言い、
これは天理教に限らず仏教でも他の様々な宗教でも説かれている根本の教えです。

私はいつも宇宙の基本法則はたった三つ、共生、循環、フラクタル(自己相似形)
であると述べていますが、
この「原因と結果の法則」も宇宙法則にピタリと当てはます。
  宇宙法則 ・・・ 生命システム<2>

原因(因)と結果(果)、これはふたつひとつで陰と陽、まったく対等な共生関係です。
因が大きければ果は大きい、因が小さければ果も小さい、
この共生関係のバランスが崩れることはありません。

ただ因となる行為や思いから果が導かれるまではタイムラグがあり、
また様々な因が様々な果と結びついているため、
必ずしもそうならないように感じることがあるのですが、
宇宙の法則には寸分の狂いもありません。

その様々な因と果が複雑に絡み合い、
因が果を生み、またその果から因が生じ、巡り巡って因果は循環し、
その法則は大宇宙から作物の種子を蒔いて収穫を得るという目に見える身近な世界、
そして人の心の中に到るすべての時空を超え、
因果の法則はあまねくフラクタルにすべてを律しています。


天理教の先生からは様々なことを教わりました。
その中でも最も心に残っている言葉のひとつがご利益(ご守護)についてです。

『信仰して神様を拝んでいるからといって、いいことばかり起こるんじゃないんですよ。
 いいことをすればいいことが返ってくる。
 悪いことをすれば悪いことが返ってくる。
 この因縁の法則は、神様を拝んでいてもそうでなくても変わることはありません。
 ただ信仰をしていると、この因縁の法則が目に見える分かりやすい形で現れて、
 やっぱり神様はいるんだな〜、因縁の法則はあるんだな〜、
 ということをハッキリと気づかせてもらえるんです。
 だから己の心を正すことができる、これが神様の最高のご守護(ご利益)です』


「因果の法則を実感させてもらえることが最高のご守護(ご利益)」、
この言葉は深いですね。
私にとってとても大切な座右の銘であり、
この言葉はまさに真理であると、身を以て感じ取ることができます。

この教えの中の「信仰をしている」という部分は、
瞑想を習慣にしている、常に心の内を見つめることを習慣にしている、
高い志を持ち行動している、常に人様の幸せを願っている・・・、
などの言葉に置き換えることもできるのだと思います。

私が自分自身の身の回りに起こることを見つめてみると、
この因果の法則はとても早く、またとても分かりやすい形で起こることがよくあり、
何かすごく大きな運命の力のようなものに導かれているのを感じます。

私が現在の生命観を確立できたのも、
この目に見えない導きの力であり、そのことにはとても深く感謝しています。

また長い人生にはその時々の流れのようなものがあり、
やはり心が前向きで、懸命に何かに向かっている時の方が、
この不思議な因果の法則はハッキリと目に見える形で現れてきます。

いい行為はいい結果を生み、
悪い行為は悪い結果を生じさせる、
これは当然の法則なのですが、
その結果の生まれ方には善悪によって時間的な差があります。
  ( 注 : 究極的には物事に善悪の区別はありません )
これはとても興味深い真理です。

いい行為によって作られる因果というのは、
種子を蒔いて実りを得る行為のようなものです。
一粒の種を蒔き、時が経ち実りの時期を迎えると、
一粒万倍、蒔いた種はまわりの土、光、空気などからたくさんの滋養をもらい、
種の大きさよりもはるかに大きな実りを得ることができます。
一粒から万倍の実り、これはまさに宇宙の愛の表れですね。
しかしそのためには植物が生長するための時を待たなければなりません。
いい行為(善因)から生じるいい結果(善果)を享受するためには、時間が必要です。
「果報は寝て待て」、昔の人はいいことを言いました。

それに対して悪い行為から生まれる因果は、
同じく植物で例えるのであれば、
植物の根や茎を絶ち、植物を枯らし、生命を絶つ行為に相当します。
これはすぐに結果が出ることですね。
悪い行為(悪因)が悪い結果(悪果)は生まれるのに時間はかかりません。

これは一種の懺悔のようなものですが、
私はこの悪果というものをこれまで何度か経験してきました。
本当に悪果が生まれるのは早いのです。

あまり具体的には恥ずかしくて書けませんが、
過去何度か仕事上の立場を利用して、あまり真っ当でない小金を得たり、
ちょろっといい思いをしたことが何度かありました。
その結果は、まさに効果てきめんです。

小金を得た直後に財布を落としたり、
団体で飲み屋に行って、帰り際のどさくさ紛れにお金を払わないで出たら、
その直後に自転車でひっくり返ってメガネを壊したり・・・、
そんなことが何度かありました。
  ( けどそんなにたくさんはないですよ・・・ )

その悪果自体はとてもショックなことですが、
あまりにも早く、如実に因果の法則が目の前に現れるので、
思わず苦笑いしながらも、見えない力を感じて心が温かくなりました。

因果の法則をハッキリと体感し、その結果深くその法則を信じることができ、
そうするとまたより一層分かりやすい形で因果の法則が現れる、
これもひとつの善循環です。


この宇宙の絶対的な因果の法則があるにも関わらず、
人というのは弱いもので、目先の “ご利益” を求めて走り回るものです。
これは種を蒔かずに実りだけを期待する行為と似ています。
  参照 ・・・ 宝くじと人生<1><2><3>

ツキばかりを求めて自分自身を見失い、
憑きものにつかれないようにしなければなりません。
けれどもこれは理屈や言葉で理解できるものではないでしょう。

昨今多発しているオレオレ詐欺や投資詐欺など、
己が利益を得るためなら、他人の不幸などまったく眼中にないといった
生き方をしている人がどこの国、いつの時代にもたくさんいるものです。

そういった人たちにもっと早く天罰が下り、因果の法則を身を以て分からせたなら、
犯罪が減ってもっといい世の中になるだろうに ・・・ 、
そう願ったことが何度もありました。

けれども世の中、そうはならないのです。
悪いことばかりしていても世間で大手を振って歩いている人がたくさんいます。
正直者が馬鹿を見るようなことも多々あります。

因果の法則は宇宙の絶対法則であっても、その現れ方は様々です。
その法則性を強制的に示し、分からせるのではなく、
少しずつでも自分自身で気づいていくというところに価値があるのだと思います。
それが宇宙の法則であり、私たちの心の奥底にある真我が望んでいることなのです。

学校の勉強でも、ただ単に答えを丸暗記させるよりも、
その答えを葛藤しながら導いていくところに価値があります。


私もここ何十年もかかり、いろんなところで学んできた知識を、
様々な苦しい体験を通して少しずつ身につけてきました。
知識は簡単に頭の中に入っていっても、それを身につけるには、
数多くの体験を経ることが必要です。

「人のふり見て我がふり直せ」と言いますが、
自ら体験しなくても、他人の行動や知識から己を正すことができる人は、
本当の意味での賢者であり、頭のいい人なのだと思います。

ご利益ということに関しては、
私自身幸いなことに遠くのパワースポットに足を運んだり、
特別な能力のある人に何かをしてもらいたいという気持ちはほとんどなくなりました。

それは苦しかった母の死というものを通して体で学んだことです。
あの大日如来像の前での一瞬の出来事が、
私の価値観を大きく変えてくれました。
  参照 ・・・ 母の愛 このホームページで最も大切にしている文章です。

またそうならなければ、命をかけて私に愛をそそいでくれた母への裏切りとなるでしょう。


“ご利益” はお金をかけて探しに行ったり、
どこかの神社やお寺からもらってくるものではありません。

いつも結論は同じです。
幸せも、ご利益も、ただ己の胸の内、最も身近なところに “ある” ということに気づくだけ、
ただそれだけです。

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このようなことは以前から考えていたのですが、
このことを書こうと思い立ったきっかけがあります。

この水曜日のことです。
いつも行くスパー銭湯で入浴券を買おうと思って自販機の前に立つと、
突然おつりが出る受け皿にチャリーンという音とともに250円が出てきました。
たぶん先に券を買われた方がおつりを出すボタンを押し忘れ、
少し時間が経って自動的におつりが出てきたものと思われます。

どうしようかと一瞬迷ったのですが、
自分の券を買った後、受付の女性にその旨を告げ、
250円を手渡しました。

結局誰がおつりを取り忘れたのか分からなかったようで、
そのお金はカウンターの下にしまい込まれてしまいました。
“そんなことならもらっておけばよかった・・・” 正直言って、ほんの少しそう思いました。

翌木曜日、近くのスパーで買い物をしてレジに行くと、
代金を入れるレジの横の受け皿に100円玉が一枚のっかっています。
一瞬驚きましたが、そのまま自分の買った分の代金を受け皿に置くと、
レジの店員さんが私に「100円多いですよ」と言って、
100円玉を手渡してくれました。

昨日のことがあったので、これは何かのサインだろうと思い、
この100円玉はありがたく受け取りました。

その次の日、金曜日、いつも参加する積極人間の集いの後、
みんなで喫茶店で懇親し、
同じテーブルに座った四人の代金をひとつにまとめて払おうとすると、
なぜか50円多くあります。

私は多く出した記憶がないのですが、
なぜかその場の流れで私が出したのだろうということになり、
50円ありがたく戻していただきました。
なにか不思議なことが続き、因果の法則のことが頭の中に浮かんできます。


その次の土曜日にこのことを書こうと思ったのですが、
たまたま外出していて帰宅が深夜になり、
今日、暮れも押し詰まった28日の日曜日にこのページを書いています。

土曜日も本当にラッキーデーでした。
たまたま知り合いのノートパソコンが壊れて新しいパソコンに買い換えるというので、
メーカー製ではない安くて高性能のパソコンを紹介し、
古いパソコンからのデータ移行、新たなソフトのインストール、
ついでに様々な使い方の説明、そして名簿整理、年賀状のデザイン、印刷、
こういったことをすべてさせてもらいました。

そしておのお礼ということでこれまで使っていた
まだまだリカバリーすれば十分に使えるノートパソコンをもらい、
食事やお酒ををご馳走になり、
亡くなったご主人のいただきものということで、
四半世紀ちょっと前の高級洋酒を三本ももらってしまいました。

洋酒というのは、長く置いておくと熟成が進んで美味しくなるんですよね。
今から封を切るのが楽しみです。


このページを書いている今日日曜日、
例年通りなのですが、ようやっと重い腰を上げて年賀状を買いに行きました。
今年はどこのコンビニにも大量に在庫があるようです。

取りあえず80枚買ったのですが、
なんとレジのオニーサンが枚数を数え間違えて、
50枚多い130枚も袋に入れて手渡してくれました。

200枚梱包のピンクの紙で仕切られた半分の100枚を、
50枚と勘違いして計算をしたようです。

さすがにこれはネコババするのは心苦しいです。
明日にでも返しに行ってこようと思います。


なんともこの一連のことは面白いですね。
これまでの人生を振り返ってみて、この様な不思議な法則通りの体験を数々経て、
私は自分なりの価値観を築き上げてきました。

こういったことを天理教では『理が鮮やかに現れる』と言うのですが、
私は本当にご利益(神様のご守護)をたくさんいただいているのだと思います。


先に書きましたように、因果の法則は循環します。
種を蒔き、その実りを口にし、それがいつしか大地に戻り肥料となるが如くです。

明日多かった50枚の年賀状を返しに行けば、
またその因果が巡ってどんな形で戻ってくるでしょうか。

今夜は美味しいお酒を飲んで、
『果報は寝て待つ』ことにいたしましょう。

<追記>

けれども “いいこと” は、あまり表だってやらない方がいいですよ。
善行は人知れず、これが陰徳となり、人生を豊かにします。
多くの実りを期待するならば、種は目に見えない土の中に蒔かなければなりません。
  (悪いことは逆に大手を振ってやりましょ〜)

<再追記>

29日月曜日、今朝モニターを希望していた英会話教材が小包で届きました。
こんなのに当たったのは初めてです!

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これはいよいよ年賀ハガキを返しに行かなくちゃいけないですね。 (^o^)v

<再々追記>

30日火曜日、昼過ぎに久しぶりに会う知り合いが訪ねて来てくれました。
ご丁寧にも手土産持参です。
昨夜冷蔵庫にあった発泡酒を飲み干してしまったのですが、彼が持ってきてくれたのが発泡酒、
なんと昨夜私が飲んだのと同じキリン淡麗生です!

こんなこと、いつまで続くのでしょうか ・・・ 、ありがたく思うと同時にちょっとだけ怖くなりました。
本当に襟を正して日々生きていかなければなりません。

2008.12.28 Sunday


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