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生命システム<2>

周りのものとの関係性、結びつきの中に存在する「生命システム」、
その関係性、結びつきを表わすものが、これまで繰り返し述べてきた
共生、循環、フラクタル、この三つの基本法則です。

そしてそれを最もシンプルに形として表したものが
遺伝子DNAの持つ二重らせん構造です。

遺伝子DNA

共生、循環、フラクタル、この三つが宇宙、生命の基本法則ではないかと
考えるようになってから、
様々なものをこの法則性に則って観察してきましたが、
どのような原理・原則も、決してこの三つの基本法則から外れることはありません。

生命の基本情報DNAがこの基本法則の上に成り立ち、
この時空すべてのものがひとつの生命システムの上に存在しているのですから、
これは極めて当然の結果だと言えるでしょう。

すべての時空に存在する法則、モノ、エネルギー、
身近なところでは「バランスの取れた生き方、考え方」という言葉があるように、
人の思考、人生観といった抽象的概念にまでこの三つの基本法則は及んでいます。

突き詰めれば突き詰めるほどシンプルであるが故、
この基本法則は奥の深いものです。

私は当初持っていた
「生命システムは、この三つの基本法則の上に成り立っている」
という概念を越え、現在は、
「共生、循環、フラクタルという基本法則こそが、宇宙、生命、時空そのものである」
という考え方に至るまでになりました。

これは理屈で説明できるものではなく、
体で感じ取るものです。

皆様方も是非、共生、循環、フラクタルという三つの法則性で身の回りの生活、自然を
眺めてみてください。
いつかきっと私の言わんとすることを “感じ取って” いただけるものと考えています。


共生、循環、フラクタルを簡単に説明します。

<共生>
最もシンプルな共生関係は陰と陽、ふたつの関係です。
生物界における、植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べ、
動物が死んでバクテリアの餌となり土に還り、そして植物の栄養となる、
この食物連鎖もとても分りやすい共生関係です。
食物連鎖の共生関係は、地球上ほとんどすべての動植物が複雑に関わり合っていて、
食物連鎖網と呼ぶにふさわしいものです。
共生関係は、周りのものすべてとの多様な関わりの中にあります。


<循環>
共生関係が時間の変化に伴って、お互いの役割を変化させながら
また新たな共生関係を築き移ろうことです。
共生関係が成り立っているから循環するのであり、
共生と循環はどちらも単独では存在し得ないものです。


<フラクタル>
ミクロからマクロの世界まで、同一の形状、形態で貫かれた自己相似形の世界です。

フラクタルの性質は、形(空間)の上での相似性で理解されることが多いのですが、
実際は時空の概念を越えています。

例えば、宇宙の基本構造二重らせんで考えてみます。
遺伝子DNAにおいては、三次元空間において形作られています。
けれども文明サイクルという文明法則史学における800年周期の二重らせんは、
歴史の流れという時間軸と文明の興亡度というふたつの軸で構成されています。

しかし800年に一度の文明転換期(ちょうど今)には、下記の図のように
衰退する文明が戦争、民族大移動等の壊滅的打撃を受けて崩壊し、
ちょうど交点にあたる地点で文明の波が途切れてしまっています。

文明法則史学 東西の文明波

この途切れ途切れになった二次元平面上の二重らせん、
これは私たちが三次元立体を擬似的に二次元で表現する時に使う描き方と同じです。

もしかすると、文明の描く二重らせんには、
未知なるもうひとつの座標軸が存在するのかもしれません。

文明サイクルの1,600年(800年がふたつ)は、年間の四季と同様の移ろいを見せます。

また人間が生まれてから老いて死を迎えるまで、
その成長時期に合わせて興味を示す対象や考え方に変化があるのと同様、
文明もまたその成長時期に合った文明、文化、芸術、哲学が生まれているのです。

文明法則史学 文明サイクル

これはひとつの時間軸の上で、1,600年単位のひとつの文明の波と
一年単位の四季の移ろい、百年弱の人間の一生がフラクタルであることを示しています。

つまりフラクタルとは、空間の上だけのものではなく、
時空の概念を超越し、時空が相互にからみあった上にも、
そしてまたひとつの時間軸の上にも存在するのです。


三つの宇宙、生命の基本法則、これをひとつにまとめて表すとどうなるのでしょうか、
それがこの言葉です。

  いつも みんな なかよし

「いつも みんな なかよし」、このたった十文字のひらがな言葉の中に、
宇宙、生命の本質のすべてが凝縮されています。


いつも ・・・  「なかよし」の状態が、時間の変化とともに循環する。
          永遠性、時間の理です。

みんな ・・・  ミクロからマクロの世界まですべて、
          フラクタル、(主に)空間の理です。 

なかよし ・・・ 共生を表します。
          例えばシマウマはライオンに食べられるから、シマウマとライオンは
          仲が悪いなどという狭い意味での仲の善し悪しではなく、
          すべてが調和が取れている状態を意味します。
          調和、統合の理です。

つまり、すべての時空において調和が取れているということです。


「いつも みんな なかよし」という言葉を上記のように、
いつも、みんな、なかよし、という三つの要素に分けて説明しました。
けれどもこの説明の方法は、本当は正しくありません。

なかよし(共生)といつも(循環)は切っても切れない関係です。
前項で述べたように、みんな(フラクタル)という輪の中に
なかよし(共生)も いつも(循環)も存在しています。

三つの基本法則は単独で成り立つものではなく、
共生関係を持ったひとつの「生命システム」であり、
分けて考えるということそのものが、
生命の本質である「つながり」を無視し、真理から切り離す行為なのです。


ここに一匹のかわいい子猫がいるとします。
小さな鳴き声をあげ、ミルクを求め、オシッコをするその姿から「生命の本質」を
かいま見ることができます。

しかしより詳しく知ろうと、この子猫の生命を絶ち、体をバラバラに切り刻み、
体の各部位や臓器を顕微鏡で観察し、その結果を分厚いレポートにまとめたとしても、
そこから「生命のひとつの属性」を知ることはできても、
「生命の本質」を理解することはできないのです。


宇宙、生命の本質は、「いつも みんな なかよし」という
小学一年生でも理解できる言葉では説明できても、
より細かく、難しい言葉で定義しようとすればするほど本質から離れてしまいます。
「細分化」という「科学的手法」そのものが、
生命の本質である「つながり」を断ち切ってしまうのです。

「いつも みんな なかよし」は、統合的に一言で語っているから真理なのであって、
究極の真理は極めて単純明快なものです。

真理とは、細分化された断片にあるのではなく、全体にあり、
本質とは、モノ自体にあるのではなく、そのモノとの関わりの中に存在します。

極論を言えば、そもそも言葉を使って真理を述べることは不可能です。
禅の世界ではこれを「不立文字」(ふりゅうもんじ)と言い、
日本におけるヨガの第一人者 成瀬雅春師
「本当に大切なことは言葉では伝えられない」
と語っておられます。
これは哲学者ソクラテスの「無知の知」、
   〜 何も知らないと知ることこそが、真の知を知り得るみなもとだ 〜
に匹敵する至言であると感じています。


今は文明の大転換期、西洋の科学万能主義から東洋的生命観へ、
物質至上主義から精神性重視へと、陽から陰へ時代は急速に変わろうとしています。

陰と陽は対極ですので正反対の性質を持ってます。
ですからこれからの時代の価値観は、
様々な面でこれまでと正反対の性質を持つようになってくるのです。


これまでは科学の時代、
科学的手法で法則を追究するには、しっかりと勉強し、膨大な知識を頭に詰め込み、
立派な研究施設等の物理的条件が欠かせませんでした。

また深い科学的法則は当然ながら極めて難しく、
一般人には理解することが到底不可能です。

日本でも近年、小柴昌俊、田中耕一両氏がノーベル物理学賞、化学賞を受賞し
大きな話題となりましたが、
その研究内容を何人の人が理解しているでしょうか。
またそれがなぜノーベル賞に値する価値があるかお分かりでしょうか。
知識と研究を積み重ねた上に成り立つ科学的法則は一般人の日常生活とは
まったく縁遠い世界にあります。

これからの生命観に基づいた宇宙の真理は、これとはまったく逆です。
学校で習うような知識や特別な研究施設などの道具は必要ありません。

本来生まれながらに持っている自然な物の見方で身の回りを眺めれば、
自ずから心と体で感じ取れる世界です。

生命、宇宙の真理は、深ければ深いほど、
幼稚園児や小学生でも理解できる言葉で表現できるはずです。
また言葉から離れ、感覚的なものになるはずです。

これまでは知識に長けた男性中心の世界でした。
これからは素直な感性を持った女性や子供が時代を引っ張っていくことになるでしょう。


「いつも みんな なかよし」という言葉を思いついてから、
この文章を書き上げるまで相当の時間と労力を費やしました。
言葉という手段を通し、真理を擬似的に語るのは、極めて困難な作業です。
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