ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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元はじまり<8>

その人の思いや行動が、その人の運命を形作ります。
ですから、これから本当に自分自身の行動、生き方を変えていこうと
心から誓ったならば、
その瞬間から運命は変わります。

これは実際の行動につながる決意であり、
単なるイメージではありません。
このことを天理教では『心定め』と言います。
  <心定め>


私がこれまで心定めをしたのは一回だけ、
まだ二十か二十一の頃です。
そのことは「天理教」の中にも書きました。

天理教と出合って三年目、父親が胃ガンになりました。
本人には最後まで知らせませんでしたが、医師の話によると、末期であり、余命数ヶ月ということでした。

先生は私の父とも当然面識があり、父の快癒を命がけで祈ってくださいました。
私も初めて肉親の生命の危機を迎え、必死になって助かる道はないかを模索しました。

そこで出た結論、それは私が神の道、天理教の布教師になるという志を立てることで、父の命を救ってもらおうというものでした。
これは無理矢理立てた志ではありません。
逆に好機だと感じたほど、当時の私は天理教の世界に深く心が入り込んでいました。 当時住んでいた奈良県生駒市の自宅から、上の系統である大和郡山市にある郡山大教会を通り、天理市の天理教教会本部に三日間、自転車をこぎ片道二時間以上かけて通い、神前で誓いを立てました。

その時の誓いが聞き入れられたのかどうか、父はその時の危機は手術で何とか脱することができ、その四年後、再発したガンによって黄泉の国へと旅立っていきました。


その後社会人となり、天理教からは少しずつ心も体も離れていったものの、
不思議な導きで数多くの精神世界のリーダーの方たちと出会い、
今の自分の考え方というものが形成されていったのですから、
当時立てた志、誓いというものは、
今も自分の心の中でしっかりと生きていることを確信しています。

「天理教の神の道」へは進むことができなかったものの、
「自分なりの神の道」には確実に進んでおり、
私は生涯この道から外れることはできません。


父が胃がんであると分かった時にした心定めはふたつあります。
ひとつは生涯神の道を歩むということ、
そしてもうひとつは自分の寿命の半分を父に捧げるということです。

昨年二度命を落としかねない危機に直面し、
このホームページでも、
「若い頃、寿命を半分にしてもらうよう神様にお願いしたから ・・・ 」
というようなことを書きましたが、
その願いを立てた理由については明記しませんでした。

これまで三十年間、神一条(神の道を志すこと)の心定めをしたことは
多くの人に語ってきたのですが、
自分の寿命を父に捧げたことについては、
ほとんど誰にも語ったことはありません。
それは他の人には関わりのないプライベートなことだと考えたからです。

けれども寿命を半分捧げますと誓って三十年、
人生八十年として、誓いを立てた時点からちょうど半分の五十歳の昨年、
鮮やかな形で心定めが生きていることを示され、
これはやはり具体的事例として多くの人に語るべきだと考えるようになりました。


昨年、広島原爆記念日の翌日8月7日、
爆心地から1.4キロのところにある川に入り、
溺れそうになり、一命を取り留めました。

午前中に行われた公衆トイレ掃除の会の延長で、
掃除仲間と川の流木を片付けるために入ったのです。

後でいろんな人にその時の話をすると、
そんな日に川に入るものではないと言われました。
きっと私が溺れたその川では、
ちょうど65年前の被爆直後、たくさんの人が水を求めて入水し、
遺体が数え切れないぐらい浮いていたものと思われます。

その時は、その場で浮かぶことすら困難で、
今考えても何者かに足を引っ張られたような感覚があります。

現在最も熱心に行っているトイレ掃除、
その活動の流れの中で溺れ、仲間に命を助けられ、
やはりトイレ掃除は、今の私にとっての大切な「神の道」なのだと思います。
そのことを印として示してくれたのでしょう。


昨年12月5日、生まれた時から可愛がり、私の最も愛し、
天理教の先生の息子でもあるゆーちゃんの結婚式に参列し、
私にとって人生の大きな節目であることを感じました。

式では、私が天理教の布教師になるのを止めてくれた
村上和雄先生の弟さんである忠雄先生のお顔を三十年弱ぶりに拝見しました。
あの先生と出会わなければ、
私の「神の道」は、今とは大きく違ったものになっていたでしょう。

胸にいろんな思いを抱き、翌6日広島に戻り、
その夜、青信号の横断歩道を自転車で渡っている時に、
寸前のところで暴走車にはね飛ばされそうになりました。

これは同じく昨年、最も近しいある人が事故に遭い、
命を落としたのとまったく同じ状況です。


父に寿命を半分捧げた心定めは生きていたのでしょう。
だからこそ、このようにきわめて鮮やかな形でその理を見せていただきました。

けれども私は今生きています。
今の私の人生は余生です。
その余生を与えていただいた意味は、
まだ今の私には明確に語ることはできません。

もしこれからの私の生き方がおかしな方に行ったとしたならば、
間違いなくその瞬間に命を取られるでしょう。

特別に与えていただいた命、余生、
自分の内が最も光り輝く「神の道」を歩んで行きたいと考えています。


*** 注 ***

「元はじまり」の話は、いったんこれで終了です。
文章の中で、天理教の先生(福本純子さん)のことを、
苗字を付けずに「先生」と書いているのに他意はありません。
ただ単に恥ずかしいだけです。

私と先生が出会ったのは38年前、私が13歳、先生はまだ二十代の頃でした。
家族ぐるみの近所づきあいの中で、
私はぼくとつな中学生、先生は単なる普通の主婦という関係です。

いまだにお互いその当時の関係性が残っていて、
先生は私のことを名前で「のぶお君」と呼び続けています。
周りの信者さんもそれに習い、私は「のぶおさん」と呼ばれ、
昔から可愛がっている元子どもたちは、私を「のぶおにーちゃん」と呼んでいます。

私も先生のことを直接「先生」と呼んだことはありません。
呼びにくいので、「あの〜」、「その〜」みたいに言うのです。
変ですね。
信者さんたちには「先生、今どこ行ってはるんですか〜?」
  (関西に行くと、言葉が関西弁になります)
みたいには言うのですが ・・・ 。

一度身に付いた習慣や関係性はなかなか消えません。
だから原点や元はじまりは大切ですね。

2011.2.8 Tuesday  
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