ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 陰徳



ヨガナンダ



陰徳

その人の思いや行動が、その人の運命を形作ります。
思いや行動として蒔(ま)いた種は、必ず時を経て実りを結びます。
そしてその実りにはいろんな種類があります。

善行といういい種を蒔いても、それを明らかにし、
多くの人の賞賛を浴びたなら、それはそれでひとつの完結した形です。
人から見える土の上に蒔いた種は、
蒔いたという事実を人に知らせることはできても、
そこから新たな芽を芽吹かすことはできません。

善行を自分自身の「徳」とするためには、
人知れず、土の中に種を蒔かなければなりません。
人の目には見えない土の中に蒔かれた種は、
根を張り、しっかりと養分を吸い取り、
いつしか大きな花を結び、豊かな実りをたたえるのです。

目に見えない形で善い行いをすることを、
陰徳を積むと言います。
徳は表に表れない陰にあるから価値があるのです。

しかし残念ながら、日本の多くの社寺仏閣では、
多額の寄付をした人を「○○様 一金○○萬円」などと大きく掲示し、
その「善行」を讃えています。
これはこのようにしないと寄付が集まらないという事情があるのでしょうが、
社寺仏閣は、本来、陰徳の尊さを説くべきはずのところのはずです。
建物という形だけがあり、その教えが形骸化しているのは悲しい現実です。

有名人がどこかの団体に寄付をしたりする姿が、
よくテレビや新聞で報道されています。
24時間テレビなどでは、集めた義援金を手渡す姿が、
その企業、団体の紹介とともに流されています。

これは本当の意味でのボランティアなのでしょうか?
それともボランティアに名を借りたPRなのでしょうか?
いつもそんなことを思ってしまいます。


陰ながらの善行は陰徳という徳を積みますが、
これはなかなかできることではありません。
人はどうしても善い行いをした時は、
人に知ってもらいたい、賞賛してもらいたいと思うものです。

陰ながらの善行は徳を積むものであり、
また逆にそれができる人は、徳のある人だと言えるでしょう。

「天に貯金をする」という言葉があります。
人からすぐに賞賛という形でご褒美は返ってこなくても、
陰徳を積むことは、いつかきっと高利回りで自分のところに戻ってくる
天にある銀行に貯金をしているつもりになればいいのです。

「今日もひとつ人知れずいいことをした♪」
天にある銀行に少しずつ貯金をしているつもりになってください。
その際には、頭の中で「チャリーン♪」という効果音をイメージするといいですよ。


他人からの評価、賞賛を期待しない、
そういった善行を行える人に、人は心を動かされます。

私の大好きな鈴木秀子先生の本の中に、
そんな話が紹介されていました。

幸せになる9つの法則幸せになる9つの法則
鈴木 秀子

海竜社 2009-07
売り上げランキング : 79321

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

この本の中には、
ほんのささやかな心遣いでいかに人は幸せになれるのかという話が
たくさん書かれています。
この本を数ページずつ、毎日繰り返し読むだけでとても心が豊かになるでしょう。

下に抜き書きさせてもらったこのお話、
私は涙なくして読むことができませんでした。

* * * * * * * * * * * * * * *


 あるアメリカ人がこういう話をしてくれました。その人はもう年配の男性ですが、これは九歳の時の思い出です。
 小さい時、お父さんがサーカスに連れて行ってくれました。家はそんなにお金持ちではありませんでした。お父さんが、今日は特別にサーカスに連れて行ってあげるというので、九歳の男の子はもううれしくてたまらなかったのです。
 会場につくと、切符を買う長い列ができていました。自分たちはその列の一番最後になりました。
 すぐ前には、十人家族が並んでいました。それはお父さん、お母さんと八人の子どもたちの、とても貧しそうな家族でした。着ているものは質素でしたが、きれいに洗濯してありました。その家族は貧しいながらも、きちんと生活をしている人たちだと子ども心に思いました。
 「サーカスってところはね、ライオンがいたり、象がいたりするんだよ。そうして象が鼻の先で輪を回したり、いろんな動物がいろんなことをするんだよ」とお父さんは得意になって話していました。
 子どもたちは二人ずつ四組に並んで、うれしそうに聞いていました。母親のほうは、はじめて家族全員でサーカスを見にくることができた、そして夫がそういう稼ぎをして連れてきてくれたということが、誇らしげに見えました。
 いよいよ切符を買う順番が近づいてきました。その家族が買えば、次は自分たちです。九歳の男の子は、とても待ちきれない思いでいました。もうサーカスのざわめきが外まで響いてきます。動物たちの鳴き声も聞こえています。あと一歩でサーカスが見られると思いました。
 十人家族のお父さんが、切符売り場のところに立ちました。そして大きな声でほんとうに誇らしげに、「大人二人、子ども八人」と言いました。それは後ろに並んでいる九歳の男の子のところまで聞こえてきました。お母さんもうれしそうに寄り添い、子どもたちもわくわくしている様子でした。 ところが突然、お父さんはさっきまでの威勢の良さがなくなって、うなだれてしまったのです。お母さんは何事が起こったかと思ってお父さんを見守り、子どもたちはなんか様子がおかしいということで、しょんぼりとしはじめました。
 そのお父さんはしばらく黙って地面を見ていました。しかし、今度はまた勇気を出して、切符売り場のところで顔をつけ、まるで切符売り場の中を覗くようにして、「大人二枚に、子ども八枚でいくらですか」 と聞きました。その答は他の人には聞こえなかったのですが、お父さんはその窓口から後ずさりすると、肩を落としてうなだれて下を向いてしまいました。あれほど誇らしげに見えたその男の人が、小さく見えました。

しばらくそんな状態が続いていた時、九歳の男の子と手を繋いでいたお父さんが、四列に並んでいた子どもたちの前を通り越して、うなだれているお父さんの肩を叩きました。
 「今ここに、百ドル札が落ちていますよ。あなた、落としたんじゃありませんか」と言いました。
しょげきっていたお父さんは、もっているはずはなかったのですが、思わず辺りを見渡しました。
 その間に、九歳の子どものお父さんは百ドル札を地面から拾って、そのお父さんに手渡しました。「あなたのポケットから落ちるのを私は確かに見ました。ここには他に人がいません。あなたが落としたんです。きっと気づかないうちに百ドルがあって、それが落ちたに違いありませんよ」と言ったのです。
 そのお父さんはただ黙って、手に置いてくれたその百ドル札を見つめました。
 そして、自分のお父さんの顔をじっと見て深く頷き、涙をぽろぽろ流して、「ありがとうございます」と言いました。
 そのお父さんは紙幣をもって「大人二枚、子ども八枚」と誇らしげな声で切符を買いました。「さあ、みんなサーカスだぞ」と言って、子どもたちを先に中に入れ、振り返って自分たちに深く頭を下げました。そして夫婦はサーカスの中へ消えていきました。
 九歳の子の父親は子どもの手を取って、「さあ、うちに帰ろう」と言いました。そしてお父さんと男の子は、そのまま家に帰ってきたのです。
 九歳の男の子は何も言いませんでした。でも大人になった今、思い出してみると、自分はあの時、人生とはどのように生きるのかということを学んだといいます。自分の中に起こってくるいろいろな感情や考えを、良いものにしていくにはどうしたらいいのか。サーカスを見る以上のすばらしい宝を、あの瞬間に自分は父からもらいました、という話をしていました。

* * * * * * * * * * * * * * *


私たち一人一人が、このお父さんのような振る舞いが自然とできるようになったら、
その気持ちに一歩でも近づくことができたなら、
どんなに素晴らしい世の中になることでしょう。

日本でも、つい最近匿名でものやお金を施設に寄付をする
タイガーマスクのことが話題になりました。
ニュースというととかく暗い話題が多いのですが、
この匿名での善行のニュースは、多くの人の心に明かりを灯してくれました。


善行は、ものやお金がないと行えないものではありません。
ほんのちょっとした心遣いが、
ものすごく大きな幸せを運んでくれることだってあるのです。

先月末の豪雪で、北陸線の一部の特急列車が雪の中で立ち往生しました。
そしてJRの方たちの懸命な除雪作業の結果、
ある特急は32時間ぶりに動き出すことができました。

その時に、車内にいた小学生の女の子が、
車外に向けて送ってくれたメッセージです。



こんなさりげない行為で、人に思いを伝えられる人間になりたいですね♪

2011.2.10 Thurseday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.