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命の重さ<5>
「最も尊いものは命」
命とは、ひとつは肉体生命としての命、
二つ目は、輪廻転生をくり返し、永遠不滅の霊魂、魂としての命、
そして三つ目は、この時空すべてのものが有し、
律せられている生命システムとしての命、
私は命をこの三つの概念として捉えています。
これからの新しい時代は、
命とはこの時空すべてであり、時空そのものであり、
共生・循環・フラクタルという時空の基本法則によって
すべては有機的に結びついているという、
生命システム的思考が着目されるようになってくるでしょう。
<生命システム2>
生命システムという言葉は少し無機的な響きがありますが、
命はモノにだけ宿るのではなく、
地球生命体ガイアという言葉があるように、
人類、陸地、海、大気といったものの関係性にも存在します。
文明法則史学のように、
時間と空間という異なる概念を両軸として、
生命の形二重らせん構造を描くこともあります。
命とは形あるモノの中だけにあるのではなく、
目に見えない関係性や仕組みといった中にもあるのです。
「○○さん、最近会っていないけど、どうしてるかな〜?」
と頭の中で考えていると、街角でバッタリと出会うことがあります。
これは私も○○さんも、お互いに命を有し、
そのお互いの命が深い意識の底で繋がっているから
出会いが引き寄せられるのです。
私が左肘を骨折した時、
左肘に “サッちゃん” という名前を付け、
いいリハビリを受けさせてくれる治療院を見つけてくれるように頼んだら、
サッちゃんは36時間後に返事を返してくれました。
<体との対話>
それから今まで十年以上、毎晩お風呂の中で体全体に手を当て、
感謝の言葉を声を出すことを続けていますが、
私の体全体の命とは別に、手足、臓器、
60兆個あると言われる細胞ひとつひとつが、
別の新たな小さな命を持っているのだと確信できるようになりました。
人だけではなく、モノや情報にも命があります。
「近いうちに北海道に旅行に行きたいな〜」
そう思って新聞を開くと、北海道の観光地特集が載っていることがあります。
これは人同士と同じく、
私とその新聞記事が意識の深い部分で繋がっているからです。
そしてその繋がりが命であり、
新聞記事という情報やモノにも命が宿っていると考えるのが妥当だと感じています。
命とは生命システムであり、
命は「目に見えない関係性や仕組みといった中にもある」のではなく、
本来は、その関係性や仕組みそのものが命の本質ではないかと考えています。
形ある肉体の生命は、永遠なる魂の歴史、
広大なる時空の広がりの中で見れば、
ほんの一時、ほんの小さな形となって現われた幻のようなものです。
一人で山歩きをしている時、生きること、死ぬことについて思いを巡らせました。
背の高い木々が生い茂り、落ち葉を踏みしめ歩きながら、
小鳥のさえずり、風に揺れる葉っぱのざわめきを耳にし、
この自然の大きな(四季の)循環系、これこそが命であると感じました。
そして私の小さな肉体の中にも、
60兆個の細胞が織りなす生命の循環系が宿っています。
そして、私はいずれ死して土に還ります。
私の肉体の命という、小さな循環系の司令塔を失った60兆個の細胞は、
大地というより大きな循環系に飲み込まれるようにして還っていきます。
死とは、ひとつの循環系が終わりを告げ、
より大きな循環系に飲み込まれること。
そして生命の誕生とは、その大きな循環系から、
小さなあぶくがポコッと生まれるように、
新たな小さな循環系が分離していくことなのだということ “分かり” ました。
ミクロの世界では、
陽子と中性子からなる原子核が、その周りを飛び回る複数の電子と共生し、
ひとつの循環系を形作っています。
マクロの世界では、
太陽を中心として、たくさんの惑星が周回軌道を描き、共生し、
大きな循環系を作っています。
ミクロの世界も、マクロの世界も、その中間にある世界も、
すべては同様にいくつかの要素で共生関係を築き、
時の流れとともに形を変えて循環しています。
共生し、循環し、それがミクロからマクロ、
また文明法則史学のように時空という枠を超えて
同じ仕組みを持っているからフラクタル(自己相似形)です。
この共生・循環・フラクタルという生命システムこそが命であり、
生きるとは、死ぬとは、
この共生関係が時とともに形を変え、
その中で新たな循環系が生まれたり、また消滅したりすることと言えます。
これから迎える素晴らしい時代は、
この生命システムを理解し、すべてのものに宿る命を尊び、
それを政治、経済、教育、医療、すべての分野に活かす時代です。
生きる喜びを謳歌する、そういう時代は、もう目の前まで来ています。
2010.8.30 Monday
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