ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



命の重さ<6>

これから「命の時代」を迎えようとしている今も、
命について、数々の解決できない課題や疑問を抱えています。


先の死刑制度や原爆投下の是非、
臓器移植の関係で、人の死を脳死とするか心臓死とするか、
死後の臓器は誰のものなのか。

日本は鯨やイルカを捕獲し食用とすることを多くの国から非難されていますが、
アメリカでバッファローを殺し、
オーストラリアでカンガルーを食用とするのは残酷ではないのか。

知能の高い生物は尊く保護すべき存在ならば、
人間も、知的障害のある人は、そうでない人と比べて命の価値は低いのか。

人の命が尊いのであれば、
私たちが口にする家畜や魚の命も同様に尊いものではないのか。

肉や魚を食べることを殺生というならば、
同じく命を持つ野菜を食べることは殺生ではないのか。

妊娠中絶はなぜ許されるのか。
胎児には命の尊厳はないのか。

難病の我が子を救うため、数千万単位の医療費募金を募る人がいます。
それだけのお金があれば、貧困国の子どもたち、何人の命が救われるでしょうか。
命を数や効率で考えるのはタブーでしょうか。
  (けっしてその募金行為を非難しているわけではありません)


命とは、生きるのか死ぬのか、
デジタル的に二者択一で決まるものではありません。

健康や人権を守るといったことも、
その人の命を守り、尊ぶことに繋がります。

昨日たまたまネットで苛酷な派遣労働の実態を紹介している動画を見ました。
立場の弱い派遣労働者は、当日の朝、その日の現場を紹介されます。
紹介されたのは、本来派遣労働の禁止されている建設現場、
大量の粉塵が舞い散る中、防塵マスクなしで働かされます。
その現場にはアスベストが使われている可能性も指摘されていました。

これなどは、明らかに労働者の健康を無視した人権侵害であり、
その人の命の尊厳を傷付ける行為です。


こういった命に関わる課題や疑問を求めていくと、
たぶん際限なく出てくるでしょう。

私たち地上で暮らす動物、植物は、その物質的な体の命を保つため、
他の命を摂取し続けなければならないという宿命を持っています。

この宿命から解放されない限り、
お釈迦様がこの世は一切皆苦と語られたように、
私たちの命に関する課題や疑問から逃れることはできないように思います。


これから迎える「命の時代」は、
命のあり方が、肉体的な命から、
永遠の命、森羅万象が持つ仕組みとしての命へと
価値の主体が変化していきます。

そしていつのことかは分かりませんが、
最終的には肉体的な命を脱し、
「殺生し続けなければならない」という宿命からも解放され、
人間は本来の霊的存在へと帰っていくのだと思われます。

それが解脱であり、アセンションでしょう。

  <いのちをいたたく>

2010.8.31 Tuesday  
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