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旅の思い出<1>


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南インドに行きホームを訪ねる旅は、
五年前、三年前に続き、今回が三回目です。

自分の周りを取り巻く流れから、
今回の旅はこれまで以上に深く心に残る旅になるであろうと予感していましたが、
実際その予感の通りになりました。
詳細は日々の日記に書いた通りですが、
たくさんの子どもたちと触れ合う中で、
とても大切なことを感じ取らせてもらうことができました。

もちろん過去二回の南インドの訪問でも多くのことを感じ、
帰国してからはカルチャーショックのような状態が続いたのですが、
今回は、 “インドに行く前と後とでは心の状態が明らかに違う” と言えるほど、
内面に大きなものを受けました。

その大きな変化を与えてくれたものは、
今回の一ヶ月間の旅の体験すべてではありますが、
それが最終的に形として表に現れたのが、
7月14日、可愛いちびっ子たちから思いがけずもらった別れのプレゼント、
そして翌7月15日、最も愛しく感じていたダッチャニーとの別れを通し、
ホームの子どもたち誰もが持っているであろう悲しみの心に触れたことです。



このふたつの体験は自分にとって忘れることのできない一生の宝です。


インドから戻って明日で二週間になりますが、
今はまだきちんと自分の心の中が整理できておらず、
今回の旅で感じたことを体系的にまとめることができません。

断片的な覚え書きのような形になりますが、
インドについて、今の思いを書いてみます。


<感謝>

今回のインド旅行が素晴らしい旅となったのは、
行く直前に実践した「ザ・マジック」の影響がかなり大きくあります。

何事も必然であり、 “もし・・・だったら” という話は本来意味がないのですが、
この本と出合うことがなく、ここに書いてある感謝のワークを実践していなければ、
インド滞在中の自分の心は違ったものであり、
ひとつひとつの経験もまた大きく変わっていたであろうと確信できます。

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ロンダ・バーン 山川 紘矢

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今回のインドの旅が素晴らしかったと言っても、
すべてが思い通りになったわけではありません。
細かいところを見れば行き違いやタイミングの悪いこともありました。
けれどどんな時でも感謝の心を持ち、
その悪いタイミングの中にも光り輝くいい面を見つけ、
喜びとともにそれを受け止めるということが今回の旅ではできました。
それがこの「ザ・マジック」のワークを行った効用であり、
その結果、すべてが喜べることへと繋がったのだと実感します。

今回の旅の直前に「ザ・マジック」と出合ったのは、
まさに必然の流れであったとしか思えません。

これがまずインドの旅の総括として最初に書きたいことです。


<縁 始まり>

以前も書きましたが、
三十年少し前から孤児院のことに関心を持ち、
将来は自分で孤児院を運営したいと願い続け、
そして二十年ちょっと前からインドに深い憧憬を持ち、
その結果、期せずしてインドのホーム(児童養護施設)と縁を持つことができました。

今目の前にあるご縁に、
出会うべくして出会った必然の糸を感じることができるのは、
何より幸せなことです。

今回もカニャクマリのホームを運営する長兄のスギルタンは、
「サカイ、お前は家族なんだからいつでもここに帰ってきていいんだぞ」
と言ってくれました。
最高の幸せです。

そしてこの縁はこれからも続いていきます。
南インドタミルナド州のホームは、
三人の男兄弟で運営されていますが、
その長兄のスギルタンと下のクマールは、
9月に以前留学していたアジア学院イベントに参加するため来日し、
そのイベント終了後、彼らと数日間東京近郊を散策することにしています。

真ん中のスレッシュのホームには毎年大学YMCA主催のサマーキャンプで
日本の大学生たちが訪れるます。
その関係でスレッシュは11月にYMCAの行事で来日し、
その時に娘のジーナも同行するのですが、
彼女は日本の幼稚園を見学でしたいという希望を持っていますので、
その希望が適うようこれから動いていく予定です。

インドでは彼らの世話になる一方なので、
こうして日本で彼らにご恩返しができるのは、
何より有り難いことです。

これはこれからもインドとのご縁が切れることなく続くということの証だと感じます。

南インド、ホームとのご縁がこれからどんな形になっていくのか分かりませんが、
自分の中では今回の旅を終え、
やっと準備期間が終わり、
これからいよいよ本格的な南インドとの関わりが始まるんだという気持ちが
湧き上がってきています。

今まではただ見学させてもらう、体験させてもらうというだけでしたが、
今後はより一層高い英語力を身に付け、
ホームに対し、そしてインドに対して何らかのアクションを起こせる自分になりたいと
考えています。


今回南インドで三兄弟のホームをすべて回りました。
長兄のスギルタンの年は分かりませんが、
たぶん自分よりも年上のはずです。
そしてその下のスレッシュは52歳、下のクマールは50歳です。
自分は現在53歳ですので、彼らの中に入ると上から二番目ということになります。

そんなことを考えていると、
ちょっと運命のタイミングが違っていれば、
本当は自分も彼らのようにインドでホームを運営する運命にあったのでは ・・・ 、
そんなふうに思えてきます。

けれどそれはやはり無理な話でしょう。
ホームの子どもたちと一緒にいると最高に幸せですが、
自分はどうしても情が勝ってしまい、
子どもたちに対して厳しい面を持つことができません。
威厳ある態度で子どもたちと接する彼らは立派でありまぶしい存在です。

自分はやはり日本人として与えられた今の役割をこなす、
これに尽きるでしょう。


<体調>

インドの食べ物は本当に美味しく感じます。
舌が喜ぶのではなく、体が喜ぶ美味しさです。
インド人たちの持つ心身の逞しさの基礎は、
この健康的で生命力あふれた食物から得られていることは間違いありません。
これは初めて南インドを訪問した時から感じていたことであり、
今回もそれを再認識しました。

日本の食べ物も味は悪くはありません。
けれど体が喜ばないのです。
帰国してすぐは、体は元気、お腹はすいているのに食欲がないという
奇妙な状態を経験しました。

インド料理は単調でバラエティーに乏しい面はありますが、
その体に美味しいインド料理を毎日お腹いっぱい食べ、
砂糖のたっぷり入ったチャイーやコーヒー、そしてお菓子を大量に摂り続け、
かなり体重が増加したのではないかと危惧していたのですが、
日本に帰ってから最初に体重計に乗った時、
インドに行く前より2キロも減っていたのを知り、とても驚きました。

生命力あふれた食物だから体の中できちんとエネルギーに昇華されたのか、
その結果新陳代謝が高まったのか、
または子どもたちと遊ぶことで大量のエネルギーを消費したのか、
そのようなことが原因としか考えられません。

自然に根ざした生き方をし、その自然の中で心のままに戯れ、体を動かす、
このことに体がとても喜んでいたのだと思います。
インドに行き、体がより一層元気になりました。

滞在中はお腹を壊すことはなかったかといろんな人から聞かれます。
これまでインドには四回(南インドは三回目)行き、
毎回必ず少しはお腹の調子が悪くなりますが、
それも少しずつ程度が軽くなってきています。
きっと体に耐性がついてきたのでしょう。

今回もほんの少しだけ下痢気味の時がありましたが、
それは食あたりというよりも、
単に食べ過ぎでお腹の調子が悪くなったという程度です。

今回も露天で売っているマンゴーを洗わずに丸囓りしたり、
村でもらった生水をそのままグイグイ飲みましたが、
それで調子が悪くなったということはありませんでした。


サンカランコービルで病院に行ったお陰で、
湿疹はすっかりよくなりました。
日本では二十年以上、歯の治療と怪我以外で医者にかかったことがないにも関わらず、
三年前と今回、インドで立て続けに医者に治療を受けるのですからおかしなものです。

インドでの治療は二回とも湿疹によるものです。
三年前、一回目の治療は明らかにインドでの食生活が原因でした。
今回の湿疹は、数年前から治ったりひどくなったりを繰り返していたものが、
インドに行く直前から悪化しだしたので、
旅行のついでに治してもらおうと考えたのです。

考えてみれば、今回の湿疹は三年前のインド行きで原因を作り、
その後ずっと根を持っていたものかもしれません。
これまでたびたび塗り薬を塗って完治しなかった湿疹が、
インドで注射を打ってもらい、飲み薬をいただいたことで今のところ完治しています。

やはり体内の問題から来ていた湿疹だったのでしょう。
それと普段まったく薬を口にしないので、
たまに飲むと効果絶大です。


<日本>

インドの町には日本製品があふれています。
車はトヨタ、スズキ、日産、ホンダ、・・・
バイクはホンダ、スズキ、・・・
プロカメラマンの持つカメラはそのほとんどがニコンです。
その他電気製品、建設機械、・・・
様々な分野で日本企業が進出し、
日本がインドの経済発展の一助を担っているかと思うと、
日本人として誇らしい気持ちになります。

インドでインド人たちと接していて、
外国人として見下されたような態度を受けることはまったくありませんでした。
逆に物珍しく、友好的態度で接してくれる場合がほとんどです。

けれど日本山妙法寺の石谷上人の、
「四十年ほど前は、日本人というとインドの人たちは
 みんな尊敬の眼差しで見ていたものです」
という言葉にあるように、
今の日本は経済大国として認められてはいても、
その文化の持つ尊さはインドには伝わっていません。
これは当然のことでしょう。

カニャクマリの学校の壁にあった世界地図に、
本州だけの日本が描かれているのにはショックを受けました。



日本はほぼ単一民族の島国ですので、
伝統的に外交下手で、
自国を他の国々にきちんとアピールするということが苦手なのだと思われます。

日本と中韓との関係が悪化していく中、
これから世界最大の人口を抱える国となり、
経済も急成長していくであろうインドと、
日本は産業だけではなく、文化や思想など、
様々な面で深い交流を持っていってもらうことを心から望みます。

日記にはインドの素晴らしいところをたくさん書いてきましたが、
先進諸国の後追いで発展を続けるインドが、
いい面悪い面を含めて、今の日本の状態を後追いしてくるのは確実です。

その時に日本が、経済、文明が発展しても人心が乱れず、
過去の歴史が示した伝統的知恵もきちんと守り通しているという、
これからの人類に求められる新しい時代のひな形を示すことが、
日本に与えられた使命なのだと信じています。


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