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7月17日 最後の朝


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今日は一ヶ月間いろんなことを体験させてもらったインドと別れを告げ、
日本に向けて発つ日です。
ホームから車で一時間ほどかかるチェンナイ空港午前11時45分発の飛行機に
乗るので、7時半にスレッシュの車で飛行場まで送ってもらう予定です。

前の晩は荷物の整理をし、
トランクケースに入れるものと機内に持ち込むものとの仕分けをしました。
途中マレーシアのクアラルンプール空港では5時間半の乗り継ぎ時間があるので、
その間パソコンを使えるようにと考え、
そのための道具を機内に持ち込むリュックサックに入れました。

17日はインドでの最後の朝です。
残されたわずかな時間、少しでも多く子どもたちと接することができるよう、
朝6時前にはすべての準備を終え、部屋を出られるようにと考えました。

夜中に準備をしてると興奮しているからでしょうか、
一向に眠気を感じません。
わずかに残っているブランデーで水割りを作って飲んだのですが、
まったく美味しと感じることができず、少し飲みかけて捨ててしまいました。

目は冴える、脚は少しだけ蚊に噛まれてかゆい、
そしていったん寝たら寝坊しないか心配、・・・
そんなことがあり、結局夜は一睡もできませんでした。


少し明るくなってきた朝6時前に部屋を出ました。
もうすでに子どもたちは掃除をしたり水浴びをしています。

子どもたちの姿を見ていると、
自分は子どもたちに対し、
本当に自分のできる限りの対応ができたのだろうかという疑問が湧いてきます。
とても名残惜しい気持ちがありますが、
これはたぶんどれだけホームにいても同じことを感じるでしょう。
子どもたちから受けた喜びが大きい分、
別れる時の寂しさもひとしおです。

写真好きの子どもたちにカメラを渡し、好きなように写真を撮ってもらいました。



子どもたちが撮る写真はたいていはこんな感じのものばかりですが、
まったくへんてこな写真以外は削除せず、きちんと保管しています。
いつかこの子たちにとって大きな価値を持つ時が来るかもしれませんので。



みんなで集まってたくさんの写真を撮りました。



別れの寂しさと徹夜疲れでかなり憔悴した表情をしています。



朝から勉強、素晴らしいです。
ホームでの規則正しい生活というのは、
この子たちにとって生涯の宝になるものと思います。



しかも適度にリラックスし、勉強する子もしない子いますが、
それを強制されない雰囲気がまたいい感じです。



勉強する時もそばにいて欲しいのか、
この緑のカバンを持ったギータにそばにいてくれと、
近くまで引っ張られてしまいました。



しばらくたって勉強する子どもたちから離れて外に出ると、
彼女も勉強道具を放り出して追いかけてきました。
まだちっちゃいのでなかなか勉強に集中できないようです。

彼女は何度も何度も “ブラザーがいなくなると寂しい” と言ってくれました。
ありがとう。 けど返す言葉がありません ・・・ 。

ホームではすべての子どもたちが同時に同じことをするのではなく、
勉強をしている子もいれば、こうして自分の食器を洗っている子もいます。



この子はこんなふうに外で本を読んでいました。



イングリッシュ・ミディアムの女の子たちが洗濯と、
たぶん水浴びもして帰ってきました。
これは学校から彼女たちに支給された私服です。



イングリッシュ・ミディアムでは英語を通して授業をするだけではなく、
生活様式全般に渡って西洋のことを学んでいきます。

これがグローバリゼーションであり、
インド経済発展の礎となっていることに間違いありません。
けれどこれがインドの伝統文化を衰退させることにも繋がり、
そのことを日本山妙法寺の石谷上人はとても心配されていました。

西洋化、近代化によって伝統文化が失われていくのは、
日本もインドも同じです。

こんな子どもたちの日常の風景が明日からは見られなくなるのかと思うと
無性に寂しくなります。



子どもたちのどんな条件下でも逞しく生き、そして学ぼうという姿勢から、
多くの刺激を受けました。
君たちの精神と生き様を大いに見習います!!



最後だからみんなで記念写真を撮ろうね〜♪



子どもたち一人一人の写真も、みんながしっかりと満足するまで撮りました。

この子は二ティア、この子がダッチャニーのお姉さんです。
最終学年の10年生、15歳です。



彼女はサティア、サティア・サイババのサティアなので名前を覚えました。
彼女も15歳、とてもきれいな女の子です。



彼女は子どもっぽい浮かれたところがあまりなく、
いつも落ち着いた雰囲気を漂わせています。
24日のページで暗い外灯の下、
一人地べたに座って勉強していたのはこのサティアです。



みなさんさようなら〜♪
最後まで素敵な笑顔をありがとう。 (^o^)v





男の子たちも写真を撮ればよかったのですか、
最後はそこまで気が回りませんでした。
ゴメンナサイ。 m(_ _)m
次回はバッチリ写真を撮るからね。 ^^☆

朝の礼拝、自分はクリスチャンではありません。
またタミル語もまったく理解することができませんが、
子どもたちの唱える祈りの言葉には、いつも心が洗われる思いでした。
祈りは世界の共通語です。



みんな、また会おうね〜♪



昨日配ったお菓子がまだ余っていたので、ラジがみんなに配ってくれました。
子どもたちが “ルシ〜♪” (美味しい)と言ってくれてとてもハッピーです♪



この子たち、今度会う時はどれだけ成長してるかな?
とても楽しみにしています。 ^^☆



最後の朝食をいただきます。
白いのはプットゥー、米粉とココナッツフレークから作られます。
インド人はこれに砂糖をかけ、混ぜ合わせて食べますが、
今回は砂糖はパスしました。




最後もいろんな子どもたちから別れの言葉をもらい、
手を握り、抱き合って別れを告げました。

インド時間(!)ですので、7時半ホーム出発の予定が8時頃になりました。
スレッシュの車でホームを出る時、
コテージの前にいる何人かの女の子たちがみんなで手を振ってくれました。
ヾ(´ー`)ノ

それを見て、車を降りて大きく手を振ったのですが、
その時の写真は撮っていません。
なんだか感覚が麻痺していたのだと思います。

ありがとう。
けどやっぱり別れは辛い、この一言です。 (>_<)

インドで、インドの子どもたちから伝えてもらったこと、
日本に戻って少しずつ昇華させていきます。
今はそれしか言えません。


チェンナイ空港へ行く途中で日本への土産物のスイーツを買い、
空港には無事出発時刻の三時間ほど前に着きました。
スレッシュにお礼を言って別れ、一人飛行場の中へと入っていきます。

飛行場のゲートをくぐり、インドらしい殺伐とした広いロービーの中へ入ると、
いよいよインドを離れるんだという実感がこみ上げてきます。
その時心の中に広がった荒涼感は、
まるで季節外れの冷たいプールに裸で飛び込んだ、そんな感じでした。

感情は思考を凌駕します。
自分はインドとの関わりを持ちながらも、
今世日本人として生まれてきたその役割を果たさなければならない、
頭の中でそう理解していても、
感情がそれを抑え、この居心地のいいインドから離れることに抵抗を示します。

人は誰しも大好きなものと触れ合っている時は、
感情が表に大きく現れてくるものと思います。
自分も心惹かれるインドやインドの子どもたちといる時は、
どうしてもその場その場の感情、情といったものが先行してしまいます。

インドで触れ合った子どもたちからたくさんの喜びをもらい、
その一人一人の子どもたちに対しては大きな執着という感情がありますが、
本当はそこに囚われるのではなく、
その思いを元にして、自分のできる力で、
インドに対して大きなお礼をすることを己の魂は望んでいるのだと思います。

また後日、インドで感じたことをまとめて書いていくつもりです。


チェンナイから乗った飛行機は、
経由地であるマレーシアのクアラルンプールに向かいました。
隣の席には、ちっちゃな男の子を含むインド人の家族連れが座っています。
その男の子はたぶん幼稚園の年長さんぐらいだろうと思われますが、
ちょこんと座った座席の前のテーブルには、
お父さんが置いたiPadのディスプレイが光っています。

その子は普段からiPadを使い慣れているのでしょう、
手慣れた仕草で画面に現れた幼児向けアプリの動物にタッチし、
そこから発せられる音や動物の動きを楽しんでいます。

それを見て、どうしてもその子とホームの子どもたちを比べてしまいます。
双方の置かれている環境はまさに天と地ほどの差があります。
けれど表情ひとつ変えることなく淡々とiPadを操作する隣の男の子を見ていて、
その子がホームの子どもたちよりも幸せだとはどうしても思えません。
物質的には圧倒的に恵まれているのでしょうが、
その表情に、ホームの子どもたちが見せる輝くような笑顔がないのです。

これはその子を見て頭で考えたことではありません。
体がそのように判断するのです。


以前の自分だったら、たぶんここで思考がストップしていたでしょう。
それは自分の体で感じることが最上位だと信じていたからです。
けれど今は違います。
一昨日、あの限りなく可愛く、そして明るくて人なつっこいダッチャニーと別れ、
彼女の内面に他人の知ることができない深い悲しみが存在するということを知り、
人の心の奥底を他人が推し量ることはできないのだということを学びました。

隣に座ってiPadを操作する子も、ホームではしゃぎ回る子どもたちも、
みな一人一人の人生、価値観、生き方、そして幸せの形を持っています。
それは誰かと誰かとを比べられるものなどではなく、
みなそれぞれの子どもの中で完結したものです。

一般論として子どもが幸せになることを願い、そう行動するのはいいことですが、
それを定型の様式に当てはめたり、一元的に比較することなど絶対にできません。


インドで感じ、学んだことはとても言葉でそのすべてを表現することはできません。
そして自分の心の中には、
まだ自分でも気づいていないものがたくさんあるような気がします。

日本人として生まれ、たぶん生涯日本人として暮らしていくであろう自分にとって、
インドは大きな学びの場であり、
そこで学んだことを日本人として、日本で、日本から活かしていくことが、
己の魂が望むことであろうと信じています。

日本でのこれからの生活が、
自分にとって、新たなるインドの旅のはじまりです。


  ・・・ <完> ・・・   そして旅の思い出のページに続きます。

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