ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



0次元<3>

この時空を律している法則は、大きく分けて、
共生・循環・フラクタル(自己相似形)、この三つです。
このことはこれまで繰り返し述べてきました。
  <生命の法則>

この法則については過去十数年から考察を重ね、確信を持つに至りましたが、
もしこの法則は間違いである、あるいはもっと他の表現の方が分かりやすい等
ご意見がございましたら、是非お聞かせください。


この三つの法則性は、私たちの知覚できる時間一次元、空間三次元の
宇宙すべてに適合できると考えているのですが、
もし私たちの宇宙の周りにより多次元の宇宙が存在したとしたら、
また、この宇宙を創り出した元となる宇宙(存在?)があるとしたら、
そこでもやはりこの三つの法則性は成り立つでしょうか。

成り立つのか、成り立たないのか、
または成り立つとも成り立たないとも言えるのか、
はたまたそんな言葉や論理で表現できるような世界ではないのかもしれません。

肉眼で目にすることのできる世界では、
海のさざ波のような波と、雨粒のような粒子とはまったく別の存在ですが、
ミクロの世界を探求する物理学の世界では、
すべての物質とエネルギーは、粒子と波動両方の性質を持つと考えられています。
  <粒子と波動の二重性 - Wikipedia>

現代物理学で知りうる範囲内だけでも、
我々の日常的な常識を逸脱した概念が存在するのですから、
未知なる異次元の世界とは、
果たしてどんな法則で成り立ち、どんな形態をしているのでしょうか。

それを想像するのはきわめて難しく、
また文字通り「想像を絶する」ものなのかもしれません。

しかしそれは我々の暮らす宇宙と密接に関連し合っているはずであり、
私たちがこの時空を考える延長で考察できるのではないかと考えています。

この時空の真理は、己の内、
身の回りの自然の有り様からすべてを感じ取ることができる、
これは東洋思想の根本であり私の持っている「信仰」です。

それと同様に、異次元世界の真相もまた、
私たちの最も身近なところから感じ取れるのであろうと信じています。


時間と空間は陰と陽の関係であり、不可分の存在です。
束の間、床の間、時間も空間もともに「間」という共通の漢字で表し、
その間は「真」に通じ、真理を表しているということです。
しかし真は「魔」にも通じ、真理を追い求め、
分別を付けすぎることは、魔を呼び込むことにもつながりかねません。

時間と空間は陰陽であり対極の存在であるにも関わらず、
なぜ私たちの知覚できる時間は一次元しかないのに、
空間は三次元もあるのでしょうか。

理由は分かりません。
今の私には推察することすらできません。
しかしこれから時代が深まるにつれ、
きっとそのヒントとなるような何かが現われてくるものと考えています。

ただひとつ予測できるのは、
たぶん時間も空間もより高次な世界に囲まれている私たちの宇宙において、
時間の方が次元が低い分、空間よりも、
より高次な存在を知覚しやすいのではないかということです。

けれどもこれは検証するのが難しい問題です。
一次元しかない時間は、過去や未来に飛んで行けば、
すぐにそれは次元を超越したことだと分かりますが、
空間の場合は、どんなに遠くに瞬間移動したとしても、
それは空間を超越してワープしたのか、
ものすごい速度で移動していったのか判別することが困難です。

完全に閉鎖された空間の中にるものが突然に外に飛び出す、
サッカーボールのような表裏のある三次元立体が裏返しになる、
または現在実験が進んでいる超大型加速器で素粒子同士を衝突させ、
それがどこか異次元空間に消滅してしまうというようなことがない限り、
なかなか多次元空間の存在は感覚的につかめません。
  (ちょっと難しい話ですね ・・・ )


「過去は変えられる」に書いたように、
人間の想念は時空を超えています。
今この瞬間に頭で思い描いたことは時空を超え、過去にさかのぼり、
将来その想念が果として実を結ぶような因を作ると考えられます。
もちろんこれは科学的に証明できることではありませんが、
そう考えなければ納得できないことがあまりにも多すぎます。

入学試験を受け、合格発表を見に行く直前に、
「どうか合格していますように!」
と両手を合わせて祈ることがあります。
けれどもこれは本来無意味なことのはずです。
合格発表のその直前には、もう合否は決定済みです。

けれどもそれでも人は手を合わせて祈るのは、
祈りという想念の力が、
時を超え、過去の事象にまでも影響を与えるということを
体で知っているからではないでしょうか。


ピラミッドパワーに代表されるような宇宙エネルギーは、
現代物理学では計測不可能ですが、
そのエネルギーの働きは時空を超えています。

「時空を超えて」でもご紹介したように、
美波動のパワーは時間の流れを超越しています。

人間の想念と宇宙エネルギーは近似した、もしくは同種のものであり、
ともに時空を超越したところで働き、
互いに干渉し合っています。

ですから美波動に限らず宇宙エネルギーグッズは、
信じない人が身に付けると効果が薄く、
逆に受け入れる心のできている人が身に付けると高い効果を得られます。
そしてその人自身の持つ想念の力を高め、
シンクロニシティー(共時性現象)が多発することにもつながります。


ひとつの方向性しか持たない一次元の時間世界では、
過去にさかのぼったり未来に飛んで行ったりすることはできませんが、
もし時間が二次元以上の世界に存在するとしたら、
平面や空間上で、一本のひもで輪を結んだり折り重ねたりすることが
簡単にできるように、
過去でも未来でも好きなところに飛んで行くことが可能です。

たぶん想念や人間の本質である霊や魂といった存在は、
私たちの目に見える肉体が存在する四次元の世界よりもより高次な世界に存在し、
そこを自由に行き交っているのではないかと思われます。


この宇宙はビックバンによって137億年前に誕生したと考えられています。
ビックバン理論によると、時間も空間も判別できない無の状態から突然
爆発的に膨張してこの宇宙は誕生したのだそうです。

無とは何でしょう、時間も空間もないとはどういうことでしょう。
ただ自然の成り行きで宇宙は膨張を続け、
その中でまったく偶発的に知的生命体が誕生したのでしょうか。
そこには何らかの意図や法則性はなかったのでしょうか。

偶発的ではなく、天地を創造した神がいるとしたならば、
神はどの様な経緯で誕生したのでしょうか。
神が誕生する前にも時間は存在したのでしょうか。


私の頭で考える限り、
時間には始まりがあって終わりがあって、
過去から未来に向けての一元的な流れであるとは、
どうしても思えません。

時間には本来過去も未来もなく、
ただ肉体という制約をもって生きている私たちには、
一元的な流れのように感じられるということではないかと考えています。

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2011.2.19 Saturday  
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