ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 与えられた命



ヨガナンダ



与えられた命

念ずれば花開く、思考は現実化する。
人間の思いという種を大地に蒔けば、
それはいつか時を経て、必ず実を結び花を咲かす日がやってきます。

それが明日のことなのか十年後のことなのか、
またどの場所からどんな形で花や実を付けるのかが分からないので、
人は往々にしてそんなことはないと思ってしまうのです。

けれども今は時間の流れが急激に勢いを増し、
人の想念が持つ力もますます高まってきていて、
種と実や花、原因と結果という因果の法則が、
ごく短い時間でハッキリと目の前に現われるようになってきました。

この因果の法則を肌身で感じ、
それを生きる上での指針とするこができるのは、
何よりも幸せなことです。

それを感じられるようになること、
それを感じた上で自らの生き方を見つめ直すことができること、
それが「神のご守護」です。


30年ほど前に、ヒランヤという六芒星のパワーグッズがブームになりました。
それを開発した瞑想指導家の故山田孝男先生のお話として
お弟子さんから聞いたことがあるのですが、
山田先生の息子さんが小さい頃、家の中を走り回って危ないので、
ベランダから落ちないようにと、
意識の上で黄色いロープを息子さんにくくりつけたのだそうです。

何年か後、子どもさんがもう大きくなった時、
ある人がその息子さんを見て、
「なぜ息子さんには黄色いロープがくくりつけてあるのですか?」
と不思議そうに山田先生に尋ねられたそうです。

山田先生は息子さんに黄色いロープをくくりつけ、そのことを忘れ、
大きくなってもそのままにしてしまっていたのだそうです。


「運命」にも書いたように、
私が懇意にしていただいていた神主の故菅原太史先生は、
子供の頃に温泉旅館で肺炎にかかって死にかけて、
その時にお母様が「この子を神様に捧げます」という誓いを立て、
その場にいた神主さんに命を助けていただかれました。

そしてその数十年後、その誓いが因縁となって表に現われ、
神職への道へと進まれたのです。


一度心に深く刻んだ思いは、決して消えることはありません。
その思いは必ず成就し、それをそれからの生き方にどう活かしていくか、
それが私たちに課せられた課題です。

私は今年たくさんの災いに見舞われました。
また私のごく親しい友人たちも同様です。

ツイてる、ツイてると呪文のように唱えるのが流行のようですが、
これにはとても大きな抵抗があります。
そもそも努力をせずにいい結果だけを期待する「ツイてる」とは、
「宝くじと人生<2>」にも書いたように憑き物の力を借りるという意味であり、
生きる目的とは表面的な幸運を求めることではないはずです。

私も友人たちも多難な昨今ではありますが、
確実に皆それぞれ人生をよりいい方向へ向けて舵取りをしようとしています。

起こってきた事は何らかの意味があります。
自らの魂がどういう意図でそのようなことを引き寄せたのか、
そこから何を感じ、今後どうしていくことを望んでいるのか、
それを知り、その思いに沿った生き方をすることが何より大切です。


私は今年二度命を失いかけました。
最初は8月7日に川で溺れて九死に一生を得ました。
二度目は三日前の12月6日、
青信号の横断歩道を自転車に乗って渡ろうとしていた時、
目の前を右方向から猛スピードで乗用車が駆け抜けていきました。
信号機があるのを見落としていたものと思われます。

悪いように考えれば、まさに不吉きわまりないことです。
これらのことを自分としてはどう解釈していけばいいのか、
ずいぶんと頭を悩ませて考えてみました。

そこでひとつ思い当たることがありました。
たぶん大きくは間違っていないものと思います。


「愛しのゆーちゃん」に書いたように、
四日前の12月5日の日曜日、心から愛し可愛がっていた
ゆーちゃんという男の子の結婚式があり、
天理市内にある天理教の教会に行きました。

そこで新たな人生の旅立ちを迎えたゆーちゃんと会い、
懐かしい人たちとも相まみえ、
心の中で過去のいろんな出来事が走馬燈のように蘇ってきました。

またその結婚式において、学生時代の私に、
人生の大きな決断をするアドバイスを与えてくださった村上忠雄先生のお顔を
28年ぶりに拝見し、
私は再び新たな人生のターニングポイントに立ったということを
自覚させてもらいました。


そのゆーちゃんや村上先生たちと親しく交わりを持っていた頃、
もう30年も前のことですが、
その頃、私はあるキッカケで、きわめて大きな「心定め」をしたのです。

その心定めした理由は語りませんが、
私は三日間連続で神前において
「自分の寿命を半分に縮めてください」とお願いをしました。

そのことはもちろん忘れたことはないのですが、
それ以降三十年、人一倍健康に恵まれ、
大きな病気はひとつもしたことがなく、
その心定めはどこかに行ってしまったのかなと無意識に思うようになっていました。

その時にしたもうひとつの心定めは形を変えて成就しているので、
消えていくはずはないのですが、
私は死に対する恐れがほとんどない人間ですので、そのこともあって、
その心定めについて最近ほとんど考えることがなくなっていました。


けれども今人生を振り返って考えてみると、
人生を80年と考えると、
今の私の年齢は50歳ですから、
その心定めをした20歳ぐらいの時から考えて、
今はちょうどその時からの余命の半分を生きてきたことになります。

だとしたら、私はたぶん今年天寿を全うする運命にあったのだと思います。
にも関わらず、それが救われたということには大きな意味があります。

川で溺れた私を助けてくれたのは、トイレ掃除仲間であり、
表と裏、両方の社会を知り尽くし、
現在私が最も懇意にしてもらっている命を輝かせて生きている人です。

車にはねられそうになったのは、
天理で深く人生を考えて広島に戻った直後でした。
しかも私が遭遇したその状況とまったく同じ状況で、
実はこの夏にごく親しい人が一人命を落としています。


私はちょうど一週間後に51歳の誕生日を迎えます。
私にとってこれからの人生は、特別に与えられた余命です。
本来ならばない命、それを何かの役割を全うさせたくて、
特別に天が与えてくださったのでしょう。

だとしたら、軽々しい言葉で
「 ・・・・ ということをやっていきたいと思います」
などとは語れません。
ただ行動で示していくだけです。

私に与えられた天命とは何なのか、
そのことを感じながら一瞬一瞬命を輝かせて生きる。
それが与えていただいた命に感謝する最高の道です。

やっぱり生きているって素晴らしい ・・・ 。

2010.12.9 Thurseday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.