愛しのゆーちゃん
もう37年も前の話ですが、
当時中学校二年生だった私は、
父の転勤で奈良の学園前というところに住むようになりました。

学園前は垢抜けたとてもおしゃれな街で、
新しい家となったマンションの同じフロアーには若いファミリーが住んでいました。
私が引っ越してきた翌年、
そのファミリーにゆーちゃんというものすごく可愛い男の子が生まれました。

この写真はゆーちゃんと私、
ちらっと顔が見えているのは私の母親です。

まだ赤ん坊のゆーちゃん

私と母は二人してこのゆーちゃんを徹底的に可愛がり、
ゆーちゃんも私と母にとてもよくなついてくれて、
実の母親よりも私や母に抱っこされるのを喜ぶほどでした。

可愛くて、利口で、聞き分けがよくて、
私はゆーちゃんから抱えきれないほどの愛情を山のようにもらいました。
今こうして当時のことを思い出すだけでも目頭が熱くなってきます。

ゆーちゃんのことは可愛がったというよりも、
心の底から愛情を注いだといった表現がピッタリです。
あの頃ゆーちゃんに傾けた愛情以上のものを
これから他の人に捧げることは不可能だと思うほどです。

彼と出会って子どもの可愛らしさを知り、
大学を卒業してから子どもの教育の仕事に就きました。
今はインドの孤児たちを支援する活動をしています。

この子どもたちとの関わりという流れは、
誰よりも可愛いゆーちゃんが私の心に作ってくれたものです。

愛しいゆーちゃん

ゆーちゃんが生まれてから数年後、
ゆーちゃんの両親は離婚することとなり、
お母さんのご実家が元々天理教だったということもあって、
お母さんは京都の伏見という場所で、
子どもたちを連れて天理教の布教師として人生を建て直す道を選ばれました。

私も可愛い子どもたちと会いに京都に行くようになり、
お母さんの真剣な人助けに懸ける生き様と触れ、心打たれ、
私も天理教に入信するようになりました。
それが私のスピリチュアルの原点です。

今の私は天理教だけではなく、仏教やキリスト教、
様々な素晴らしい宗教家の人たちと縁をいただいていますが、
私の天理教の先生であるゆーちゃんのお母さんの生き様は、
どんな偉大な宗教家と比べても決して劣るものではありません。

真剣に己の生き方、人生を見つめ、
そこから真理を求めていく、
御利益思想やテクニックではない真摯な人生道場としての場の空気が
ここの教会にはあります。

私のホームページの一部分だけを読まれた方の中には、
私が特定の宗教や思想を盲目的に信じている人間だと判断される方もおられるようですが、
それでもやはり私は今現在の宗教と呼ばれるものの中にある価値を
伝えずにはおれません。

これは私にとって役割のひとつであり、またバランス感覚でもあります。
時代の大きな流れで行けば、
既存の宗教(組織)というものが崩壊していくのは避けられない道であり、
またそれが望ましい人類の歩みです。

今は宗教からスピリチュアリズムへ、
新しい時代を担うバトンが手渡されようとしているところです。

そんな中、スピリチュアリズムは、
人間の持つ無限の可能性と自由な精神を取り戻す素晴らしい働きを
私たちに示してくれると同時に、
その可能性と自由を行使することの危険性をも教えてくれているように感じます。

本当のスピリチュアリズムとは、頭で考えたり、
テクニックで問題回避することではありません。
スピリチュアリズムに本来の輝きを求めるためには、
過去の偉大な宗教家たちが実践してきた、
腹を据え、自己と真剣に対峙するその生き方を知るべきでしょう。

その自己を見つめる真剣な眼差しが
スピリチュアリズムの世界に本当に息づくようになったならば、
その時がこれまでの宗教の役割が真に終焉を迎える時だと思います。

それが近い将来訪れることを願っています。


そのゆーちゃんが36歳にして結婚をすることとなり、
私もその結婚式と披露宴に呼んでいただけることとなりました。

私にとって目に入れても痛くないほどの愛しいゆーちゃんの結婚式は、
おめでたいのと同時に言いようのない寂しさを感じる複雑な心境です。

式と披露宴は実家の教会で行われます。
奈良県天理市の天理教教会本部からほど近いところにある
立派なログハウスの教会です。

天理教平成講

けど本当は教会ではないのです。
私の先生はあまりにも教理の原点に忠実に行動し続けたため、
教会本部からはねつけられてしまい、
「天理教平成講」という独自の看板を掲げています。

その平成講を天理本部の各種行事や講習会へと結びつけてくださっているのは、
同じく天理市内にある天理教典日(のりのひ)分教会というところです。
結婚式には、そこの前会長の村上忠雄先生ご夫妻もご臨席くださいました。

神殿でお言葉を述べられる村上忠雄先生

上の写真でマイクの前に立っておられるのが村上先生です。
村上忠雄先生は、あの「サムシンググレート」で有名な村上和雄先生のすぐ下の弟さんです。

私はこの村上先生と学生時代に出会い、
一時は天理教の布教師になろうと熱を上げていた時に、
村上先生の「大学だけは出ておいた方がいい、世間をもっと知った方がいい」
というお言葉を受け、布教師になることを断念しました。

もしあの時に村上先生と出会っていなければ、
きっと大学を中退して布教師になり、そして道半ばで志を断念していたことでしょう ・・・ 。

私にとっては愛しいゆーちゃんの結婚式であるということとともに、
人生のきわめて大切な選択へと導いてくださった村上先生と28年ぶりに出会うことができ、
ふたつの意味で大きな人生の転機となりました。


教会は広い敷地にログハウスの建物と他数棟建っていて、
ログハウスは一階が駐車場と作業場、二階が先生一家の住まい、
三階が神殿となっています。

三階は普段は全面畳敷きになっているのですが、
この日は畳をすべて表替えに出し、フローリングの状態にして行われました。

結婚式は、私にとって懐かしい人たちと会える邂逅の一時でした。
みなさん歳を取りました・・・私もですが・・・、
こういう時は本当にいろいろと人生を考えます。

下の写真で赤ちゃんを抱え向こうの方を向いている女性が
ゆーちゃんのすぐ下の妹の珠恵ちゃんです。
彼女も生まれた時からしっかり可愛がったものです。

珠恵ちゃんとレーザーさん

今はオーストラリアに住んでいて、
向こうで知り合ったレーザーさんというペルシャ人のマッチョな男性と結婚し、
可愛い男の子を一人授かっています。

レーザーさんはめちゃくちゃこまめによく動き、明るくてよくしゃべる素敵な人でした。
もっと英語勉強しなくちゃいけないなと反省しました。
けど珠恵ちゃんが幸せそうで嬉しいです。

テーブルに並んでいる料理、花、木製のベンチ椅子、・・・
いろんな準備は信者さんたちが手分けしてしてくれました。
「心のこもった結婚式」とはこのことを言うのでしょう。
本当に心温まりました。

手先の器用な経平くんは、刺身を切り、
大根、ニンジンを桂剥きにしてけんを作ってくれました。

桂剥きをする経平くんとお母さん

このサンドイッチは、パン屋さんが届けてくれたものです。

心のこもったサンドイッチ

三十年近く前、まだ子どもたちが幼かった頃、
布教生活で貧乏のどん底を歩み、
食べるものがなくてよくパン屋さんから廃棄するはしパン(パンの耳)をもらってきて、
子どもたちはそれを争うようにして食べていました。

その子どもが結婚することになったとパン屋さんに話をしたら、
「それじゃ〜」と言うことで、パン屋さんがお供えしてくれたのだそうです。

みんなの笑顔、これに勝る宝はないですね。

天理教平成講のみなさん方

新郎新婦のお二人さん、ゆーちゃんこと福本裕介くんとあかりさんです。

福本裕介くんとあかりさん

ゆーちゃんは音楽プロデュースの仕事をしていて、
アーティストの支援やCDプレス等の仕事をしています。
関西の人でそんなことに興味がある方は是非ゆーちゃんの会社「エンブリックス」を
訪ねてみてください。
  <embricks by関西 レコーディング>

あかりさんはOSK出身のダンサーで、
今も何カ所かでダンスの指導をしておられます。
ゆーちゃんとは音楽とダンスということで、
どこかのイベントで知り合ったとのことでした。

披露宴の時にあかりさんはいい挨拶をされました。
私も涙がじんわり出てきてしまいました。
そして夜になってゆーちゃんを含めて何人かで酒盛りをした時は、
恥ずかし気もなく感極まってボロボロに泣きまくってしまいました。
私にとってやっぱりゆーちゃんは最愛の人なんだなということがよく分かりました。

下の写真、右側がゆーちゃんのお母さん、私の天理教の先生である福本純子先生です。

新郎新婦とご両家

先生が二十代の頃からの家族ぐるみの付き合いなので、
いまだに先生などと呼んだことはありません。
不思議な関係です。

ゆーちゃんとゆーちゃんのすぐ上の大ちゃんと三人で写真を撮ってもらいました。

大ちゃん、ゆーちゃんと三人で

私が大ちゃんと会ったのは彼が3歳の頃、
まだゆーちゃんは生まれていませんでした。

よく三人で一緒にお風呂に入ったり、
京都の伏見にある大手筋という商店街を買い物で歩いたものです。
三人でポートピア博覧会に行ったこともありましたね。
いろんな思い出が山盛りです。

大ちゃんももう40歳になりました。
優秀な大ちゃんはマイクロソフトで働いていて、
もう十年間本社のシアトルで勤務しています。
今度会えるのはいつのことでしょうか。


ゆーちゃんがギターを弾いたり、あかりさんが踊ったりしている動画があります。
よかったら観てください。




このたびの愛しいゆーちゃんの結婚式は、私にとってきわめて大きな人生の転機です。
感慨深いなどといった簡単な言葉で済ませられるものではありません。
私のなかで確実にひとつの時代が終わり、
それとともに、また新しい時代がひとつ始まったように感じます。


そのサインなのでしょうか、
ゆーちゃんの結婚式とはまったく関係ないのですが、こんなことがありました。

ゆーちゃんの結婚式は12月5日の日曜日、
その翌日の月曜日に私は広島に戻ってきました。
その夜11時頃、いつものようにスーパー銭湯に行くために自転車に乗って家を出ました。
家のすぐ近くに片側三車線の大きな道路があり、
夜中はあまり走る車は多くありません。

そこの横断歩道で信号待ちをし、青信号になったから渡ろうと思って少し前に出たその瞬間、
大きな「キキィー」という音とともに目の前を猛スピードで車が駆け抜けていきました。
たぶん赤信号に気づかず、そのまま横断歩道の上を突っ走ってしまったのでしょう、
明らかに制限速度を超えるスピードで、
大急ぎでハンドルを切って私を避けたものの、ブレーキを踏む間はなかったようでした。

もしコンマ何秒かその車のドライバーが私に気づくのが遅ければ、
私は確実に遠くまではね飛ばされていたはずです。

私は今年の8月7日に川で溺れて死にかけました。
それと同時に、ごく親しい友人二人に大きな災いが降りかかってきました。
そのことは以前このホームページにも書いたことがあります。

他人に関わりのあることは具体的には書けないのですが、
私にとって、青信号、横断歩道、車の事故、というのは、
とても大きな意味があるサインなのです。

今は私にとって本当に大きな人生の転機です。
そのことを体でジンジン感じます。

とにかく心して生きなければなりません。
真剣勝負です。

ゆーちゃん、あかりさんのこれから築いていくであろう大きなの幸せに
負けないような大きな花を、
私も自分の人生の上に咲かせていきます。

2010.12.7 Tuesday


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