高橋のおばちゃん
今日はちょっと思い出話を ... 。

私が生まれたのは大阪の豊中市、
服部緑地という大きな緑地帯が近くにある、
ごく普通の町の住宅地です。

そこで育ったのは小学校一年生の途中までですが、
いろんなところで遊び回ったことが、
すべて楽しい思い出として胸の中に残っています。

私が生まれたのは昭和34年、今年で52歳になります。
もの心ついたころから家にはテレビがありました。
大昔見たテレビの記憶というのは、日曜夜のシャボン玉ホリデー、
サザエさんの実写ドラマというのもありました。
たしかサザエさんが江利チエミ、マスオさんが川崎敬三だったような ・・・ 。

電話はまだ家庭には普及しておらず、
家に電話がついた時には、
母が喜んで知り合いのところに報告の電話をしていたのを覚えています。
それはこの豊中の時だったか、次の札幌の時だったか ・・・ 。

家には洗濯板も電気洗濯機もありました。
けれど当時の電気洗濯機は、洗ったりすすいだりするのは電気でやるものの、
脱水は、機械の横に付いているふたつのローラーで、
のしイカを作るみたいにぺしゃんこにして水を搾り取るというタイプです。

お風呂も各家庭にあるわけではなく、
我家には、近所の親しい家族の人が、
よくもらい湯に来ておられました。


そんな大昔、昭和30年代後半の私の豊中時代、
家の近所に私の両親より少し年上のとても懇意にしていたご夫婦がいました。

その夫婦には子どもさんがおらず、
私のことを我が子のように可愛がってくれました。

名前は高橋さん、だから私はいつも “高橋のおじちゃん” 、
“高橋のおばちゃん” と呼ばせてもらっていました。

おじちゃんとおばちゃんが住んでいる長屋の家は、
いつも古い木の香りがして、
家の奥の小さな庭には、手作りの小屋が建っていて、
そこでおじちゃんはいつも旋盤機械を回し、
小さな木やプラスチックの部品をたくさん作っていました。

今こうしてパソコンに向かって文字を打っていると、
あの時の小屋の、部品や油や機械の匂いが蘇ってきます。

おじちゃんもおばちゃんもよく煙草を吸っていました。
しんせいだったかエコーだったか、そんな庶民的なやつです。

おじちゃんは日本酒が好きで、
「特級酒と一級種は瓶の色が違うんだ」
そんなことを話してくれました。

そう言えば、奥のお座敷の壁の上には、
ちょっと不気味な大きな蟹の剥製が飾ってありました。
たぶん東北出身のおばちゃんの田舎から送ってもらったものでしょう。
家も家具も飾り物も、すべてが古めいていました。


おじちゃんが亡くなったのは、
私が豊中を離れ、札幌に行ってまもなくだったと思います。
札幌にいる時は、おばちゃんが一人で札幌まで来てくれました。

たしかみんなで特急列車に乗って網走まで行ったような記憶があります。
摩周湖に行ったのはその時だったかな。
下の写真は、幼い私、おにぎりを頬張る母、キリンビールを飲むおばちゃんです。

北海道 昭和新山

後ろの山は昭和新山だと思いますが、合ってるかな。


豊中から離れて暮らしていても関西に戻るたび、
おばちゃんに会いに家を訪ね、一人で泊まらせてもらいました。
家のタンスの上にはいつも私の写真が飾ってあって、
ちょっとこそばゆいような感じがしました。

おばちゃんの家に泊まると、夜はいつも一緒に銭湯に行きます。
当時の銭湯は、大きな日本映画のポスターが何枚も張ってあり、
近所のおじさんたちの社交場のような雰囲気でした。
そして帰り道、たまに大好きなプラモデルを買ってくれるので、
それがすごく楽しみだったのです。

これは74年の写真ですから、中学二年生の夏だと思います。
この頃は奈良に住んでいました。
反抗期まっただ中って顔で、けっこう痩せてますね。

高橋しな子 高橋のおばちゃんです

そのおばちゃんが、私が高校生の時、
豊中の家を引き払い、田舎に帰られることになりました。

私も母と一緒に新大阪駅まで見送りに行ったのですが、
そのおばちゃんの田舎が、
このたびの震災、原発被害で大変なことになっている福島県のいわき市です。


大学一年生の夏休み、一人で新幹線と特急列車を乗り継ぎ、
おばちゃんの暮らすいわき市まで遊びに行きました。

おばちゃんの家に数日泊めてもらい、
おばちゃんの親戚の家族の方たちと、あのフラガールの舞台となった
常磐ハワイアンセンターにも泳ぎに行きました。

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フラガールは本当に素晴らしい映画でしたね。
けど今調べてみると、現在震災の影響で休館になっています。
実際に足を運んだことのあるところだけに、とても心配です。


いわき市のおばちゃんの親戚の子どもたちは、やんちゃ盛りで元気いっぱいでした。
私がいろいろ話しかけると大阪弁が珍しいらしく、
「わ〜い、田舎もんだ〜」と私をからかい、漁師のお父さんから、
「アホか!おまえの方が田舎もんなんだ!」とたしなめられていました。

あの素朴でちょっと磯臭い町は、今どうなっているのでしょう。
報道によると、放射能からの避難と、その風評被害で町は閑散とし、
大変なことになっていると聞きます。

おばちゃんと最後に会ったのは、
このいわき市に行った時が最後かもしれません。
もし今生きておられたら、90歳を越えておられると思います。

あの元気ながきんちょたちも大人になり、家庭を持ち、
いわき市近郊で暮らしているのでしょうか。
そして今頃どうしているんでしょう。

ニュースでいわき市の名前を耳にするたびに、
三十年ちょっと前に見た町の景色と、
懐かしい高橋のおばちゃんのことが思い浮かびます。


幼い頃の思い出です。
高橋のおじちゃんは、狭い作業小屋で機械をまわし、
黒縁の丸いメガネ、ランニングシャツを着て、
私に得意そうに加工した部品を見せてくれました。

おばちゃんはオロナミンCが大好きで、
タバコをくゆらせながら、
小さな瓶に入ったオロナミンCを美味しそうに飲んでいました。

あの頃の日本人は、今ほど豊かではなかったけれど、
けっして不幸せではありませんでした。


これから私たち日本人、人類は、大きな時代の転換期を迎え、
これまで持っていた古い大きなものを手放さなければなりません。

手放す、と考えるとちょっと大変ですが、
少し前の私たちの、あの心豊かで楽しかった時代のことを思い出せばいいのです。

『便利でものがたくさんあるのが幸せだ』という考えを少し横に置いといて、
隣近所みんなで助け合い、仲がよかったあの時代に、
頭をタイムスリップさせようではありませんか。

けど若い世代の方たちは、昔の日本のことを知らないですね。
それならば映画でも観て、古き良き時代を感じてください。

私たちの故郷日本は、とってもいい国なんですよ。

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2011.4.1 Friday


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