ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



災い

このホームページを読んでいただいてお分かりのように、
よくも悪くも、私はきわめてストレートな人間です。

偉そうに自慢することもない代わりに、
謙遜したり卑下することもありません。
誰に対しても自分を正直に表現するということは、
とても大切にしているモットーであり、
どんな偉い人、どんな貧しい人に対しても
常に同じように接することのできる自分でいたい、
このことは心の中でいつも願っています。

ボランティア精神にあふれ、時空の真理を論理的に探究する自分と、
超グータラで怠け者、いつも悩みを抱えている弱い自分、
どちらも愛すべき自分自身の属性です。


そんな私ですので、人に応じて「自分の顔」を作るということがとても苦手です。
誰に対しても素のままで接し、それで相手がどう感じるかはその人の次第、
こんな生き方しかできないのです。

何事もオープンにするのが私の性格で、
他人のプライバシーに関わること等
100%すべてをここで明かしているわけではありませんが、
このホームページには、自分の考えていること、経験したことを、
ほとんど包み隠すことなく綴っていますが、


最近私の身の回りでいろんなことが起こり、
それについて深く考えざる得ない状況に来ています。

身の回りで起こる出来事はすべて自らが望み、創り出したものであり、
必然で意味があり、
そこから感じ取らなければならないものも
自分なりにはある程度つかみ取っているつもりです。

そしてこれからそれを将来に向けての糧にしていきたいと考えているのですが、
それは表面的にはけっしていい状況と言えるものばかりではなく、
それをここで書くことに大きな躊躇がありました。

けれども私がホームページを通して多くの方に伝えたいメッセージというのは、
頭で考えた理想論ではなく、
自らが体験した実践的な論理や哲学です。

そしてそれを伝えるためには、
自分の生き様をできるだけありのままに表現し、
それでもって読む人たちに、その人なりの目を通して感じ、
判断していただくしかないと考えています。
またそういう方法しか私にはできません。

もし都合のいいことしかここで書かなかったら、
今後書いていくことはすべて「嘘の上塗り」になってしまうでしょう。


人間としてこの世に生を受け、
生きていく上での具体的な目的というのは人様々で、
幸せとは、健康でお金持ちで平穏な家庭を持ち ・・・ といった
決まり切ったパターンの中にのみ存在するのではないと思います。

この時空を律する大原則のひとつは「原因と結果の法則」であり、
因果応報、引き寄せの法則と呼ばれるものです。

けれども人生の道のりは深く険しく、そして意味深く、
「今日いいことをしました。だから明日にはラッキーなことが返ってくるでしょう」
といった単純な形で現われるものではありません。

大きな使命を持ち、世の中を変革したいという大欲を持つ人間には、
それなりの器を作るために、大きな試練を与えられることがよくあります。

「意味」というページに、二人の親友に襲いかかった災難について書きました。
二人はともに私の二十年来の親友で、
志を共有し、天命について深く語ることのできる大切な友です。

大きな志と、それを成就するための知識、経験を備えた彼らに、
それを花開かせる一助として、
大きな試練が目の前に現われてきたのだと信じています。

そしてそれは私にとっても無関係ではないというサインが、
二人の災難の中に、
偶然というレベルをはるかに超えた形でハッキリと示されていました。

遠方に暮すAさんと直接会った半年前、
彼にこんなことを話しました。

「今回のことはけっして偶然起こったことではないし、
 きっと深い意味があるに違いない。
 それをしっかりと感じ、学び、そして行動しないと、
 また同じ事が起こるかもしれないよ。
 役割、志が大きいからこそ、与えられる試練も大きいんだから、
 本当に心してかからないと、
 冗談抜きで下手したら命すら取られかねないよ ・・・ 」

これはもちろん彼に伝えるためだけに言ったことではなく、
自分の心にも深く刻み込もうとして語ったことです。


「意味」にも書きましたように、彼らとはそのスケールが違うものの、
私にも小さな災難が、今年に入ってから続けざまに起こっています。

「意味」を書いてからこの二ヶ月弱の間にも、さらに自転車を盗まれ、
恥ずかしい話ですが、泥酔状態の時には、
免許証の入った財布、手帳類の入ったバッグなど
貴重品一式を丸ごと盗られてしまいました。

それでも幸い保険に入っていたりしたので、
最悪の事態は免れたのですが、
一昨日の7日の日は、まさに命を取られる寸前のところまでいってしまい。
さすがの私もあらためて深く考えざる得ないこととなりました。


8月7日土曜日、広島原爆の日の翌日のことです。
この日は朝からトイレ掃除の会があり、
隣町の府中町というところの神社の公衆トイレをみんなで掃除しました。

その後で私を含めて三名で広島市内中心部の公衆トイレを磨き、
掃除が終わった後で掃除仲間のOさんの家に行きお昼ご飯をご馳走になり、
夕方5時を過ぎた頃から、
お昼に磨いたトイレから数十メートル南側にある橋の橋桁にからまっている
流木を取り除こうということで、Oさんと二人で出かけました。
 (先の「天命」で書いた、未確認飛行物体を見た橋の200メートルほど南です)

先日県北(庄原市)で大きな水害があり、
その時の大雨で流木が流れてきて、そのままになっていたのです。

たまたま Google Earth にその橋の写真がありました。
この写真の橋、手前から二番目の橋桁に枝のよく茂った流木がからまっていました。



Oさんは私より15歳年上で、このあたりで生まれ育ち、
赤ちゃんの時に被爆し、今も体調はあまりよくはないのですが、
この川では子供の頃にしょっちゅう泳ぎ、水泳は大の得意で、
このあたりの川底はどこがどうなっているかまで熟知しておられます。

私も川で泳いだことはないのですが、
プールでは数百メートルでも普通に泳げますので、
何の気なしにOさんとともに川の中に入りました。
下はだぶだぶのバミューダーパンツのような海水パンツ、
上もやはりだぶだぶの七分袖のTシャツです。

上の写真の左端の延長に、川面に延びる石段があり、
そこから私はメガネをかけ、サンダルを履いた状態で川に入り、
メガネが濡れないようにと顔を上げたままで泳ぎました。
Oさんはその横を軽快にクロールで抜かしていきます。

満潮時の方が水かさが増していて流木を取り除きやすいということで、
川に入った時刻は満潮に向かう時刻で、
川の水は海から川、写真右側から左に向かって流れていました。

そこを斜め右に向かってサンダルを履き、顔を上げ、だぶだぶの服を着て、
流れに逆らって泳いでいるのですからなかなか前に進みません。
途中までは進んでいったのですが、
最後の数メートルいうところでまったく前に進まなくなってしまいました。

プールでは、上に顔を向けて横になっていると自然と息ができますが、
服を着ているからか流れに逆行しているせいなのか、
なぜか川の中では体が重く沈み込み、立ち泳ぎをして息をすることも困難で、
必死に体を動かしていないと、
口や鼻を水面に出すことができなくなってしまいました。

感覚的には何かに下から引っ張られるような感じで、
しばらくするとにっちもさっちもいかなくなり、
「Oさん助けてくださ〜い!」と必死になって助けを求めました。

水もほんの少し飲みました。
満ち潮の水は塩分を含んでいて少し塩気を感じました。
塩気があれば体は軽くなるはずですが不思議です。

ほどなくしてOさんが助けに来てくれて、
私を後ろから抱えるようにして護岸まで連れて行ってくれました。
その間Oさんは「誰か警察に連絡してくれ!」というようなことを
叫んでおられたように記憶しています。

時間的にはそんなに長くはなかったと思いますが、
溺れている時、私はハッキリと死というものを意識しました。


護岸を横に向かって歩き、石段を上がった頃には、
救急車、消防車などが来ていて、
住所、氏名、何のために川に入ったのか等、いろんなことを聞かれました。

ボランティア清掃の目的で川に入ったと言ったら、
少し面食らった表情をされていましたが、
新聞記者の方たちも来ていて、本当にちょっとした大騒動でした。

救急車の方に一応心音を診ていただき、
異常なしということで、警察、消防の方たちはみなさん帰って行かれました。

翌日お二人の被爆者の方たちと会う機会があったので、
このことを話したら、
原爆が落ちた時は、水を求めてたくさんの人があの石段から川に入り、
あの場所はたくさんの死体が浮かんでいたところだから、
8月、原爆記念日やお盆の頃は絶対に川に入ってはいけないと厳しく言われました。


そんな霊的なことがあったのかどうかは分かりませんが、
私の元にもいよいよ生き死にに関わるような事が起こるようになり、
さらに身を引き締め、現在身の回りで起こっている事の意味を、
より一層深く考えなければならないこととなりました。

このことを、私はけっして「悪いこと」とは捉えていないのですが、
これを読んだ人がどう感じ取られるかはとても気になります。

私のことを「馬鹿な奴だ」と思われるのは一向に構いませんが、
私の行為を通して、私の語ることすべてが「眉唾物」だと思われてしまったら、
それはとても残念なことであり、申し訳のないことです。

けれども私は自分の「いい面」だけを表に出し、
ヨガナンダという立派な聖人のハンドルネームの元で机上の空論を語るような、
そんな生き方はしたくありません。

善悪を超え、生き様そのもので真理を体現し、
私のような凡人でも、時空の愛を完璧に受け止め、
感じることができるのだということを、
自らの命を通して語っていきたいのです。


「意味」を感じ取る心の旅はいつまで続くのでしょうか。
いつも語っているように「過去は変えられる」のです。

今現在、私に降りかかる災いの結果は大過ないものできているものの、
このメッセージを正面から受け止め、
それを心の成長の糧とすることは私に課せられた大きな使命です。

今はただ、この災いの連鎖を笑って語れるような日が一日も早く来ることを目標に、
ただ日々懸命に生きていくだけです。

  艱難辛苦は汝を珠にす
  我に艱難辛苦を与え賜え (山中鹿之介)


2010.8.9 Monday  
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