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分かち合い<2>

中央日報、東亜日報という韓国系のニュースサイトに、
日本人の素晴らしい倫理観を示すエピソードが紹介されていました。

「分かち合い」、もう被災地でしっかり実践されているんですね。
被災地ではない土地に暮らす私にとって、
日々の生活の中で分かち合いを実践するにはどうしたらいいんだろう、
災害復旧が長期間に及ぶように、
その分かち合いの心と実践を長い間保っていくにはどうしたらいいんだろう、
それを探っていくことが今の課題です。

喜びと感動を分かち合ってくれてありがとう♪


<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(1)

(1)待避所の譲歩 うどん10食、50人が「お先にどうぞ」
(2)人のせいにしない 恨んだり抗議する姿はテレビで見られず
(3)災害で手を取り合う 議員ら政争中断、作業服着て現場へ
(4)落ち着き冷静 日本全域で略奪報告1件もない
(5)他人をまず考える 「自分が泣けばもっと大きな被害者に迷惑かかる」

「お先にどうそ」「いえ、まだ大丈夫です」

マグニチュード9.0の大地震と10メートルを越える津波が東日本を襲った後の11日午後6時、秋田県秋田市のグランティア秋田ホテル。停電で暗黒に変わったホテルのロビーでは奇異な場面が演出された。

ホテル側が、「電気が来るまで宿泊客を受け入れられない」と案内すると、すぐにロビーに集まっていた宿泊予約客50人余りが静かに列を作り始めた。誰も何も言わないのに老弱者らを前に入れた。暗黒の中に一筋の列ができた。順番を争う姿は一切なかった。しばらくしてホテル側が、「停電で夕食を提供できない」として緊急用にうどん10皿を持ってきた時だ。うどんに向かって駆け寄るどころか、誰もが他の客の空腹を心配して後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。被害が最も大きかった宮城県・岩手県をはじめ、日本全域で人のない商店で略奪行為があったというニュースはまだ1件もない。

宮城県北東部に位置する南三陸沿岸地域。集落の大部分が消え、火災で黒く燃えた森の跡だけが残っている。津波で陸地に打ち上げられた船舶は船尾を空に向け逆さまに地面に打ち込まれている。今回の地震で最大被害地域のここでは、“行方不明者1万人”といううわさまで出回る。しかし大声や怨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余りの住民らは日本のメディアとのインタビューでも低い声で、「早く復旧するよう願うだけ」としながら“明日”を話す。誰のせいにもしない。足りない水と毛布を分け合ってお互いを慰める感動的な場面が電波に乗っている。

日本赤十字社組織推進部の白田課長は13日、「個人と企業から寄付と救護物資が殺到している」と話した。政府に向かっていつも吠えていた野党議員らも作業服に着替え国を救うために裸足で出てきた。危機の際に手を取り合う共同体意識は日本社会の底力だ。


号泣も、買い占めも、略奪もなく…日本大地震、市民は冷静だった

大地震が日本列島を直撃した11日午後2時46分、東京都世田谷区のある大型ディスカウントショップ。カートを使って平穏にショッピングを楽しんでいた在日韓国人の李某氏(44)は、建物が崩れるかと思うほどのひどい揺れが起き、反射的に頭をかばって姿勢を低くした。カートがあちこち転げまわり、陳列台の商品が下に落ちた。数百人の買い物客は、青ざめた表情だった。「異国の地でこのように死ぬのか」と頭の中が真っ白になったが、しばらくして揺れが落ち着いた。

買い物客や店員は急いで建物の外に出た。李氏も、カートを残して非常口から外に出た。落ち着きを取り戻し、李氏は思った。「これが日本が先進国ということか」。

大地震が襲っても、誰一人大声を出したり泣きわめいたりしなかった。「地震の騒音」だけだった。驚くことは、ディスカウントショップの商品を持ち出す人が一人もいなかったという点だ。買い物客は皆、買い物かごの商品を元の場所に戻し、建物を出た。大地震や大火事が発生すれば、犯罪や略奪、無秩序が横行するという話は、少なくとも日本では「遠い国の話」だった。

12日午前、このディスカウントショップが開店したが、買い物客が普段より2倍程増えただけで、買い占めや割り込みをする人は見当たらなかった。近くの大手デパートの食料品売り場も事情は同じだった。普段より多くの人が訪れたため混雑したが、山のように食料品を買い込む人は見られなかった。客はむしろ普段より静かで、店員はいつものように親切だった。

東京の公共交通機関の象徴である地下鉄での様子も、沈着そのものだった。大地震が襲った11日午後、地下鉄が運転を見合わせたため帰宅できない人が集まったが、緊急状況を理解して協力した。「交通機関で帰宅することはできないので、運転が再開されるまで安全な会社の建物にいてください」という当局の放送案内や会社内のアナウンスに従って、多くの人がオフィスで待機した。家が近い人は歩いて帰宅した。地下鉄は夜遅く再開されたが、停電のため、車内は真っ暗だった。NHK放送の映像に映った乗客は、真っ暗な電車の中で静かに目をとじて待っていた。いら立ったり、抗議をする人はいなかった。当局は、オフィスで冷静に待機した市民が帰宅できるように未明まで地下鉄の運行を延長した。

早くも落ち着きを取り戻した東京の休日は、見た目には平和だった。多くの市民は、自宅でテレビを見て、政府とメディアが提供する情報に耳を傾けた。

2011.3.16 Wednesday  
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