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分かち合い

20年ほど前、かなり熱心に神智学系の伝導瞑想というのを行っていました。
伝導瞑想は愛と奉仕の瞑想と呼ばれる集団瞑想で、
そこで世界平和のために説かれていたのが「分かち合い」(Sharing)です。

富の不均衡、食料の不均衡、
分かち合えば十分に足りる富や食料を
一部の豊かな国や人たちが独占することにより、
世界では何億という貧しい人たちが飢えに苦しんでいます。

そしてその一方で、享楽的な生活を楽しみ、
無駄になった食料が日々ゴミとして大量に廃棄されている現実があります。

私たち人類全体が本当の意味で豊かな暮らしを送るために
新たな資源や新たなテクノロジーは必要ありません。
必要なのは、他人を思いやる気持ち、分かち合いです。


この分かち合いの大切さを知って20年、
残念ながら世界の現状は、その頃とまったく変わっていません。

意図的にテロや戦争を起し、
その裏で巨大な軍需産業はますます肥え太っています。
特定のイデオロギーや一部の権力者の利権を守るため、
多数の民衆の血が流されています。
貧富の差は一向に解消されず、学校に行くことができず、
ゴミ山で働いたり路上で物乞いする子どもたちも数えきれません。

もうこのような愚かな構図から、人類全体が脱却すべき時です。
もう一瞬の猶予もありません。

このたびの災害はとても不幸なことですが、
私たちはこれを教訓として、
本当に大切なものは何かということに気付かなければなりません。


20年前、ワンダーゾーンという不思議現象をテーマにしたテレビ番組で、
聖書の一節を取り上げていました。

弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」。
イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。
そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。
弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。
そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

<マタイによる福音書 14:17〜21>

これは有名な「パンの奇蹟」というイエス・キリストの奇蹟を示したお話ですが、
その番組では、
「これは奇蹟でもなんでもない、もっと別の解釈があるんだ」
ということを伝えていました。

イエスの下に集まったのはお腹をすかした群衆ですが、
彼らも「自分のため」ということで、わずかばかりの食料を服の中に隠していました。
食料を分け与えるためにと
ほんの少しのパンと魚が入った籠が目の前に回されてきた時、
自分だけがこれを取ってしまうのは悪いと考え、
そこから食べ物を少しだけ取ると同時に、
服の中に入れていた自分のための食料をその籠の中にこっそりと入れ、
次の人に回したのです。
だから籠の中の食べ物は減らず、逆に籠いっぱいになったのです。

本当に素晴らしいお話ですね。
番組にはクリスチャン(モルモン教)である
ケント・デリカットがゲストで出ていましたが、
この話を聞いて感激し、
「この番組は、なんて素晴らしい番組なんでしょう!」
とさかんに感激して涙ぐんでいたのが強く印象に残っています。

これが分かち合いの精神ですね。
今求められているのはこれだと思います。


けれどもこんなことは、私があえてここに書かなくても、
多くの人がすでに心の中で気付いていることなのだと思います。

私の知り合いの主婦の方が、昨日こんなメッセージをブログに書かれました。
この思いは、多くの人に共通のものであると信じています。

「愛」

この大震災の意味・・・
大事なものを気づかせる為に起こったのか。
お金持ちも貧しくても関係ない。
むしろお金なんて意味が無い。
知ってる人も知らない人も国も関係ない。
ただ、みんなが手を取り合って、今何か出来ることはないかと、
知らない誰かの為に愛を注いでいる。

本当は、今までもそれが一番大切だったんじゃないかな・・・
学校で必死に勉強して、人と競って、いい会社に入って。。。
が、本当の生き方じゃないのかも。

戦争もいらない。
みんな同じ命。
それを気づかせる為に、犠牲になった多くの命。

絶対無駄にはしません。
大きな愛で、必ず立ち上がります。




2011.3.15 Tuesday  
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