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今求められていること

昨日アップした「学び、感じ取るべきもの」で書いたことについて、
何人かの方からメールをいただきました。

『今の日本において、このたびの災害は必然であり、
 善悪の価値観はまったくない』
などと書く行為は勇気が必要だったと思いますが、
私もその思いに賛同します、 ・・・ という内容のもの。

そしてそれとは対照的に、
今まだ多数の苦しんでいる人たちを目の前にして、
歴史だとか必然だとか書くことは非常識であり、理解できません、
といった厳しいお叱りのメールもありました。


私のホームページをご覧いただいている方は、
私の考え方にある程度は肯定的な見方を持ってくださっている方が
ほとんどだとは思いますが、
それでも昨日の文章をアップするのには、ほんの少しためらいがありました。

お叱りのご意見を持たれている方の考え方は、
ごく当たり前の日本人としての考え方であり、
私の考えていることよりも、より多くの人が支持される一般論だと思います。


このたぴの災害に接し、本当にいろんなことを考えさせられました。
お叱りのメールをいただいたことも、そのキッカケのひとつです。

そして考えた末に導いた結論は、
今はもう己の天命と感じることに邁進するしかないということ、
そしてもう言葉をオブラートにくるんで語る時期ではない、
もっと本音で感じていることを語っていこうということです。

もういよいよ一刻の猶予もない時期が迫っています。

今日ここで書くことは私の本音です。
読まれる方によっては、不快だ、不謹慎だと感じられるかもしれません。
それは致し方ありません。
批判はあえて甘受します。

けれどもこれを語ることが自分に与えられた役割であり、
自分なりに今やらねばならないことであると信じています。


このたびの未曾有の大災害はまさに国難であり、
経済大国である日本の存亡の危機であると言ってもいいほどです。

けれどもこれはまったくの偶発的に起こったものでしょうか。
災害が起こる前のことを考えてみてください。
スピリチュアルな世界に関心のない、ごく一般の方たちでも、
「もう今は地球環境が壊滅的な状態だね。
 もう人類が地球に平和に暮らせるのはそう長くはないよ。
 日本や世界にいつどんな大きな災害が襲ってきても不思議ではないよね」
こんなことを軽い会話として語っていたではないですか。

誰しもが体の感覚として、今の人類の暮らしぶりではダメだ、
このままでは破滅的未来が待っていると感じていて、
それがひとつの現実として、日本の東北地方で現われたのだと考えます。

この災害が純粋に自然現象として起きた天災であるならば、
今はただ救出、復興を急ぐのみです。
そしてそれが落ち着いたなら、今度は同じ災いを繰り返さないために、
より強固な堤防、強固な建造物の建設等に知恵と努力を集めるべきです。

けれども私はこの災害は、純粋な天災だとは考えていません。
私たち日本人、人類の、自然に対する不遜な心が招いた
ひとつの人災であり、大いなる警鐘だととらえています。

今の私たちに求められているのは、災害復旧と同時にその警鐘に耳を傾け、
そこから伝わってくるメッセージに従って、
自らの生き方そのものを変えていくことです。


このような大規模な被害を受け、
今なお苦しんでいる人が大勢いる状況で、
直接被害を受けていない人間が、
そこから何を感じ、学んだかなどと語ることは、
まるで冷血な傍観者であるかのように感じるという気持ちはよく分かります。

けれども私はあえてそのまったく逆のことを考えています。
これだけ多く万単位の人が命を落としたということは、
それだけこの警鐘の音は大きく、
また霊的次元で見れば、亡くなられた人たちは、
自らの命を投げ打ってでも、
私たちにこのメッセージを強く伝えたいと願っているのだと考えています。

このメッセージを受け、
まだ災害復旧がまったく終わったいない今の段階から、
私たちはすぐにでも自らの生き方を根本から正していく道を
進まなければならない、それが私の感じていることです。

それが自らの霊的意志で私たちにメッセージを伝えてくださった
多くの犠牲者の方たちに対する最高の供養であり、
感謝の意の表し方であると考えます。


命や意志というものは、見る次元によって大きく異なります。
津波にのみ込まれて亡くなられた方たちは、
肉体的生命としては不幸なことであり、
人間としての意志が、人生半ばで途絶えさせられたことは、
とても悲しいことだと思います。

けれどもより高い次元で見れば、
霊的な命は永遠であり、
人間として肉体を持った存在の時に受けた様々な受難も、
すべて自らの糧とできるだけの輝きを魂は持っていると信じています。

私は母が亡くなった時に、その永遠の輝く魂を形として見せてもらいました。
また過去何度も体外離脱をし、
魂の乗り舟としての己の肉体や霊的な世界を霊眼で見ています。
ですから私の死生観は特別かもしれません。

すべてのものは自然の一造物であり、
これまでの肉体次元での物の見方から、
より高いところにある霊的な次元で、命を含めたすべてのものを見ていく、
これが今私たちに強く求められているように感じます。

私の考えとしては、
このたびの災害で亡くなった人たちの魂を、
無残な自然災害による死という肉体次元でとらえるよりも、
ご冥福を祈りながら、
尊い霊的意志でもって、私たちに大切なものを伝えてくださったという
そのことをより尊重したいと考えています。


このことは、被災者を助ける活動と二者択一とするものではありません。
どちらも平行して行っていくべきものです。

ですから肉体を使った奉仕や支援に意味がないと言っているのではありません。
このことはたびたびこのホームページにも書いていますように、
祈りやイメージといった観念は、
その対極である肉体を使った行とともにあって大きな役割を果たします。

観念だけの世界は人を迷わすことにもつながり、
実際に、私は何よりも体を使った奉仕を実生活の中で実践しています。

肉体的奉仕というのは本当に尊いものです。
このたびの災害で、被災地に入った多くの自衛隊員の方たちの活躍には
頭が下がります。
戦争反対、自衛隊は違憲だと唱えていた人の多くも、
今回の自衛隊の方たちの働きに感謝をしていることでしょう。

「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
 歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
 きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
 外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、
 国民や日本は幸せなのだ。
 どうか、耐えてもらいたい。」

(吉田茂 昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)

これからボランティアによる人的支援も本格化してきます。
バックパックひとつ背中に背負い、被災地に入り、
身を粉にして尽力する懸命な姿から、きっと感動の輪が広がり、
困窮する多くの人たちを心身両面で支えてくれるはずです。


けれども体を使った奉仕だけが尊いわけではありません。
ネットには災害復旧を支援する様々な情報があふれています。
今回、日本にはいかに心ある人たちがたくさんいて、
被災された人たちのことを思い、祈り、行動しているかを知りました。

日本の思いやりあふれ秩序ある社会や人間性は、
私たち民族が胸を張って誇れる財産です。
そのことは海外メディアでもさかんに報道されています。

人によって支援の仕方は様々です。
時間を決めて、大勢で祈りを捧げようと呼びかける人、
被災者の健康や生活に役立つ情報をいち早くネットで流そうとする人、
自らの生活を見つめ直し、その思いをブログで綴る人、
その人の立場によって、支援できることは限られているかもしれませんが、
「できるだけの支援をしたい」という思いを持ち、
自分のできる範囲での心や行動での支援をする、
これで十分なのだと思います。

その支援の形や大きさに、価値の序列を付けられるものではありません。


私がこうしてパソコンに向かってキーボードーを叩くのも、
私なりにできる支援のつもりです。

もし私がキーボードを叩くてを止めて、
その手をすぐに瓦礫の下から手を伸ばす人に差し伸べられるなら、
私は迷うことなくキーボードから手を離すでしょう。

けれども私には被災地に行くことも、
困っている人たちに直接手を差し伸べることもできません。
これは本当にくやしいことです。

そしてそれは私だけではなく、仕事を持っていたり、
家庭に小さな子どもさんを抱えていて、
身動きの取れない多くの方が同じ気持ちなのだと思います。


この災害の体験を教訓とし、活かし、
私たち日本人の生き方を根本から変えていかなければならない、
これを今すぐこの段階から伝えていくことが、
私に与えられた最大の支援としての役割だと考えています。

私は傍観者ではありません。
以前テレビであるタレントがこんなことを語っていました。
彼が子供の頃に川で溺れ、必死に助けを求めて声を上げた時、
一人の女性が川原の向こうから顔を覗かせ、
その様子を見ていたかと思うとすぐにその場から消え、
しばらくして息子と思われる子どもの手を引いて再び現われ、
「ほらご覧、川で一人で遊んでいるとあんな風になるんだよ」
と、その人を助けもせずに息子に教訓を垂れたそうです。

お叱りのメールをくださった彼女は、
きっと私をこの女性と同じように見ていたのだと思います。

私は被災地から遠く離れたところに住んでいても、
できるだけのことはやっているつもりです。
人によって考え方は異なるでしょうが、
今まで続けてきた公衆トイレの便器を磨くことも、
その思いはきっと被災地の人たちに届くものと信じて行っています。

たとえそうではなくても、家でただテレビを見ているよりはましなはずです。
最低限自分の心は救われます。
そしてそれは必ず何らかの形で通じるはずです。


今まだ災害復旧の最中に、
「歴史が ・・・ 」などということを書いたことも、
その方の逆鱗に触れたようです。
けれどもやはり私は今この時だからこそ、
本当の真実というのを広く知らしめなければならないと考えています。

文明法則史学と出合い、
歴史を含めたすべてのものやことに命があると知ったのは、
今から22前の春です。

その真実に衝撃を受けた私は、
その夏に当時住んでいた岡山市で文明法則史学の講演会を企画しました。

歴史に命があるということも衝撃でしたが、
東西文明の興亡はきれいな二重らせんの形を描き、
今これからは800年に一度の文明の大転換期であり、
これからは東洋が中心の時代になるということもとてもショッキングでした。

これからは東洋の時代である、
転換期にはこれまでの価値観が崩壊し、
天変地異が起こったり、民族紛争が多発し、
衰退する文明は崩壊的な危機に瀕するということは、
当時の常識からは考えられないようなことでした。

けれどもあれから22年の時を経て、時代は確実に推移し、
中国やインドなどアジアの国々は驚異的な発展を遂げ、
超大国アメリカは借金まみれでいつバブルがはじけても
おかしくないような状態です。

民族紛争、それに伴う民族の大移動は、
ひとつひとつ例を挙げればキリがありません。

そして今はその変化のスピードがますます加速し、
このたびの災害は、そのスピードから後押しされた
ひとつの歴史的転換の事象だとも捉えられると考えています。


これは私自身の推論ですが、
あながち100%間違いであるとは言い切れませんので、
あえてここで書かせていただきます。

これからは東洋が中心となる時代ですが、
その中でも時代を変えていく盟主となるのは、
超大国の中国でもインドでもなく、
日本であろうと考えています。

これは過去の文化、歴史、地理、言語、
そういったものから推察した必然的結論です。
けっして自分が日本人だからそう考えているのではありません。

この時空は自己相似形のフラクタル構造をしています。
そして日本列島は細長い龍の形をしていて、
その形は世界の大陸を寄せ集めた形に等しくなっています。
つまりそれは、日本列島は世界の縮図としてのフラクタル構造だということです。



この世界の縮図である日本で起こった大きな災害は、
これを先駆けとして、世界各地に広がって行く可能性があります。

その可能性はきわめて大きいものであり、
もしそれが現実化したならば、
全体の災害の規模は、東北地方で受けたものをはるかに凌ぐことは
間違いありません。


これは私が推論することであり、
まったくの見当違いなことかもしれません。
むしろそうであれば幸いです。

けれども可能性としてはゼロではないので、
あえてここに書かせていただきました。

これは不必要に恐怖心をあおっているのではありません。
なぜならば、この予測される世界的規模の災害は、
回避することのできるものだからです。

回避するための方法はひとつです。
それは私たちが世界人類の先駆けとして体験したこの災害を教訓とし、
これからまったく新しく変わっていく新たな時代の価値観を身に付け、
それを世界全体に範として示すことです。
これしかありません。

そしてそのために残された猶予の時間はごくわずかです。
世界的規模の災害は、この数年以内、
もしかしたら今年や来年のうちにハッキリと形となって現われてくるでしょう。

未来は変えられます。
それを変えていくのは私たちの思いと行動です。

だから私たちは災害の復旧、復興を
急いで進めていかなければならないのと同時に、
私たち一人一人や日本人全体としての生き方を
変えていくことが早急に求められているのです。


今はまだ災害によって亡くなられた方の数すら把握できていない状況で、
このようなことを書くことに、
違和感や嫌悪感を感じる方もおられるかもしれませんが、
自分の感じていることを正直に書くことが与えられた役割だと考え
書かせていただきました。

取り急ぎ書きましたので、
文章表現のおかしなところはお許し下さい。

2011.3.15 Tuesday  
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