ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
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ヨガナンダ



心の解放

ものも心の中にある感情も、すべて手放し、素のままの自分を見つめる。
競争社会に生きる私たちは、
周りの人たちと競い合うようにして新たなものを手に入れるのは得意ですが、
一歩立ち止まり、視線を足元に向ける、その余裕がなかなか持てずにいます。

私たちはこんなに恵まれた暮らしをしているのに、
町を歩く人々の表情に明るい精気が感じられないのはなぜでしょうか。
私がインドから帰ってきて、
日本人を見て強い違和感とともに感じたのはそのことでした。

過去の日本の歴史を見ても、
また貧しい多くの諸外国と比べても、
今の私たち日本人の暮らしほど
快適で豊かなものに恵まれた生活はありません。

ものは豊かでも心は貧しい。
ものが豊かだから不幸だとは言いませんが、
ものさえたくさんあれば幸せになれる、
幸せになるにはもっと快適で、もっと便利で、
もっとたくさんのお金やものがなければならないんだ、
そう思い込まされ、信じ込んでしまい、幸せの本質を見失った私たちは、
さながら心の牢獄に暮らす囚人のように思えます。


今新たなる大きな時代の幕開けを迎え、
価値観の逆転現象が起ころうとしています。

ものやお金への執着から、それらを手放し心を解放する方向へ、
自分の外のものに価値を見いだす時代から、
己の内の輝きを見つめる時代へと変りつつあります。

このホームページに書いているスペースクリアリングトイレ掃除
セドナメソッドホ・オポノポノ引き受け気功
それらはすべてその流れを受けたものであり、
誰でも、簡単に、お金をかけず、執着を捨て、
心を解放へと向かわせる素晴らしい手法であり実践行です。


私自身も解放を続け、少しずつ心が変化してきました。
変化は徐々に起こるものであり、いつどんなふうにと語るのは難しいのですが、
昨年春、トイレ掃除をするようになってから
急激に不思議な導きのようなものが増えてきたのは事実です。

不思議な導きが増えていっても、
肝心の心のあり方というのはガラリと変ったわけではないのですが、
その導きが増えてしばらく経った頃、
トイレ掃除をはじめて半年を過ぎた昨年秋頃から、
心の中の囚われが目に見えて解放されてきたのを感じました。

心を解放し、自分の内なる輝きを見つめる手法の中では、
やはり実践行であるトイレ掃除が最も力のあるものだということを実感します。

そして今年の夏、セドナメソッドと出合い、
また心の解放が急激に進むようになりました。

セドナメソッドは、多くの人が心の解放を体感する素晴らしい手法ですが、
私としては、少しずつ階段を登るように進化し、
トイレ掃除の実践があればこそ出合えたものだと信じています。


心の解放を続け、元々オープンな性格の私ですが、その心の奥、
日々揺れ動く感情というものがよりハッキリと見えるようになりました。

私は世間の一般常識よりも自分の価値観というものに重きを置く人間です。
私のホームページに書いている内容、スタイル、表現方法は、
他にあまり類がないものではないかと思います。

私は自称関西系インド人(前世インド人、生まれは大阪、本籍兵庫県)ですので、
その本性のおもむくまま、
ほとんど何も包み隠すことなく、いいことも悪いこともストレートに表現しています。

それが私の望むところですし、
私が天命に従って自ら感じてきた真理を多くの人に伝えていくには、
こういった方法をとるしかないのだと感じています。


昨年トイレ掃除と出合ってから、不思議なことが続けざまに起こりました。
幸いなことにそれは明らかに導きであり、
意味のあることだということも教えてもらうことができました。

その意味ある不思議なことは現在も続いているのですが、
昨年8月の段階で、一連の出来事を自分なりにレポートにまとめました。
これにはプライベートなことも記していて、
ネットで公開することなくプライベートレポートとして
身近な人にだけ公開してきました。

けれど先日ふとこれを公開しないのは、
自分以外の人間(私の娘)のプライバシーの問題だとしてきたものの、
実はただ単に自分の恥ずかしい部分をさらすのが嫌なだけなのではないのか
そんなふうに思い至るようになりました。

これを公開することによって自分の心はもっと解放され、
より自分らしく生きられるのではないか、
そんなふうに考えたのです。

けれどもここまで何もかもオープンにする人はほとんどいないでしょう、
さすがに非常識人の私も少し不安になり、
このレポートに出てくる県警の先川孝コさんと
二十年来の心の友である東京のOさん、二人に相談をしました。

私の一途さを知っている二人は、
「もう酒井さんが決められていることだから、思う通りにすればいいんじゃないですか」
と言ってくださいました。


トイレ掃除、特に公衆トイレを素手で掃除するという下座行は、
人の心の奥底に大きな変革をもたらす力を持っています。

このレポートを書いたのは公衆トイレ掃除をはじめてから5ヶ月の時です。
あれからもうさらに一年一ヶ月が経ちました。
今身の回りで起こっている事は、もう文字という手段では、
プライベートレポートとという形であっても書くことのできないものです。

変革は御利益ではありません。
最終的には御利益になったとしても、それに至る道のりは険しいものです。

志が大きければ苦難も大きい、
背負える荷物が多いほどたくさんの荷物を与えていただける、
「トイレ掃除は心磨き」、
心を磨ける手段、道のりを与えてもらえるほど喜ばしいことはありません。


心磨きはトイレ掃除に限りません。
身近なボランティア、地域活動、家族との関わり、自分の仕事の中、
至る所にあるのだと思います。

是非ご自分なりの心磨きの手段、道のりを見つけてください。
私のレポートがその一助になれば幸いです。
  <トイレ掃除は心磨き 〜 我が心の軌跡と奇跡 〜 >

2010.9.14 Tuesday  
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