鎮魂の調べ
広島に今年も暑い夏がやってきました。
明日8月6日は原爆記念日、
広島に世界初の原子爆弾が投下されてから63年になります。

8月6日が近づくと広島は平和ムード一色となり、
テレビ、新聞ではさかんに平和や原爆のことが取り上げられ、
平和を願う人たちが全国各地から集まってきます。

一昨日の3日には、東京から三ヶ月かけて平和行進をしてきた
日本山妙法寺の一行が広島平和公園に到着し、
インド・スリランカで一緒に旅をしたお上人さんたちと
ほぼ半年ぶりに再会することができました。

昨日4日から、やはりインドのサンカランコービルで数日間をともに過ごした
山口泉さんを含むNPOオーロラ自由会議の一行が平和公園に来られ、
こちらでも懐かしい再会をしました。

NPOオーロラ自由会議のご一行

チェロを演奏されているのが山口さん、
一行は、二歳の時に被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんを
偲んで建てられた原爆の子の像の横でさだ子さんの絵本を朗読し、
原爆の悲惨さ、平和の尊さを説いておられます。

さだ子の像のすぐ横です



この原爆記念日に向けて広島に来るのは毎年恒例の行事になっているそうで、
広島市内のホテルがどこも満室となるこの時期に宿泊予約をするため、
2月1日の朝一番に予約の電話をするのだそうです。

地元広島に住む人間として、その熱意と行動力に頭の下がる思いです。

さだ子と千羽づる

さだ子と千羽づる
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私も平和への願いを込めて鶴を一羽折らせてもらいました。

手のひらの千羽鶴

自らの手で行動をするというのは大切なことです。
この小さな折り鶴がいつか大きく羽ばたく日が来るかもしれません。


この日の平和公園は、いたるところから音楽が聞こえてきます。
元安川のたもとには、原爆ドームの対岸に「地球ハーモニー」という
ステージが設けられていて、
四人組の津軽三味線奏者の方たちが演奏をしていました。

やすらかにお眠りください 過ちは繰り返しませんから

これまで故高橋竹山、二代目高橋竹山をはじめ、
有名な津軽三味線奏者の演奏を数多く聴いてきましたが、
こんな魂に響くような津軽三味線の音色ははじめてです。

目の前を流れる元安川は、63年前の8月6日、
原爆の熱線により全身が焼けただれたおびただしい数の人たちが水を求めて入水し、
息絶え、その日の元安川は積み重なるような死体の山で
水面が見えなかったと言われています。

その元安川の水辺に姿勢を正した四人が一列に、まるで川に対峙するかのように座り、
鎮魂の響きを奏でています。

鎮魂にはふたつの意味があります。
ひとつは死者を弔い、亡くなった人たちの魂の平安を願うこと、
そしてもうひとつは、亡くなった人たちから命のバトンを引き継ぎ、
今現在、生を繋いでもらっている私たちが、あふれんばかりの感謝とともに
その生の喜び、命の輝きを表現するということです。

どこまでも力強く、そしてどこまでもストレートに日本人の魂に響いてくる
津軽三味線の音色を聴き、
この鎮魂という言葉の意味するところを体で感じ取りました。


最初のステージが終わり、しばらくたった後で二回目のステージがありました。
二回目のステージは、黒い上着を羽織っておられます。

鎮魂の響き

とにかく津軽三味線の音ひとつひとつが心の奥に、
まるで突き刺さるかのように響いてきます。

これはこの四人と元安川という場所、時が織りなす絶妙のコンビネーションなのでしょう、
そうとしか考えられません。
そうとしか説明のしようがありません ・・・ 。




明日の平和記念式典の行われる会場の方では、
オーケストラのリハーサルが行われています。

平和の響きは胸の奥に響きます

このオーケストラの音も、心に風圧となって押し寄せてきます。
たぶん高校生かと思われる子どもたち、まだ技術的には十分でない点はあるのでしょうが、
そんなことはまったく関係なしに、
とにかく音に重みがあり、強烈な力で胸の奥に響いてきます。



そのしばらく後、今度は合唱を伴ったオーケストラのリハーサルが行われていました。

圧倒的なコーラスに感動しました

人の声というのはやはりすごいです。
管楽器の低音の響きをはるかに凌駕する力があります。

こんなに静かに、しかも深く心に響いてくる合唱を聴いたのは、
もしかしたらはじめてかもしれません。



音楽を構成するのはメロディー、リズム、ハーモニーです。
しかし音楽の感動は、それ以前の段階の声や楽器の音、音色そのものにこめられた
演奏者の生き様、考え方、個性といったものに聴き手の心が共鳴し、
引き起こされるものであるということを、これまでこのホームページで何度か書いてきました。

しかし今日はそれをさらに超え、
演奏者の思いが、ある特定の場所や時の作り出す磁場のようなものと共鳴した場合、
それらの力がすべてひとつの巨大なうねりなって
聴き手の心の奥に響き渡ってくるということを知りました。

あと数日で北京オリンピックが開催されます。
好きな選手を応援しに競技場に行き、その選手が金メダルを取り、表彰台に上り、
日の丸を見ながら聴く「君が代」はどんなに心に響くでしょうか。
それと同じことです。


元安川のたもとには、「平和の絵」と題したたくさんの絵が掲示されています。

穴吹専門学校の生徒さんたちが描いたそうです

「地球ハーモニー」のステージでは、様々なグループの演奏が披露されています。
こちらは琴と尺八のグループです。

お琴と尺八

日が落ち始めた頃にはじまったマリンバを演奏する子どもたちは、
そのカラフルな衣装にマッチしたとても明るいものでした。

元気のいいマリンバグループ

生の喜び、命の輝きを表現すること、これも立派な鎮魂です。


若い男性二人によるフォークソング。
楽しそうに、彼らの音と言葉で喜びを歌ってくれました。

二人組のフォークグループ


二胡をソロで演奏する男性、
夜来香の演奏が特に心に残りました。

二胡の調べは風に乗って

津軽三味線の音が心に突き刺さるものとするならば、
この二胡(にこ)の音は、まるで風のように、水のように心に染み渡ってきます。

ちょうど風が少し吹いてきた頃でしたが、
音が風に乗るという感覚を生まれてはじめて感じました。
二胡とはそういう音色を持った楽器です。


こちらは現代風なアレンジで、民族的な音楽を聴かせてくれました。

二胡、バイオリンを中心としたバンド

みな楽しそうに演奏しています。
それが聴き手の心を引きつける一番のポイントでしょう。
演奏技術もかなりのものでした。


今日遅くまで「地球ハーモニー」のステージを聴いていたのは、
「天上の楽器 ライアー」でご紹介したライアー奏者宇月彩さんが
このステージで演奏をされるからです。

午後8時過ぎ、ソプラノライアーを持った宇月さんがステージに登場しました。
宇月さんがこの元安川のステージに立たれるのは三度目のことです。

ライアー奏者 宇月彩さん

ジュピター、ライアーのためのオリジナル曲「祈り」など四曲演奏してくださいましたが、
どれもすばらしい演奏でした。

少し風があり、マイクが風のボワボワいう音を拾っていましたが、
そんなことはまったく関係ありません。
ひとつひとつの音が、音楽が、強い力と命を持って響いているのを感じます。

ライアー奏者 宇月彩さん

宇月さんとは出会ってまだ一年ほどですが、
今日の演奏はこれまで聴いた中で最高でした。

元安川のステージが、その時と場所が何らかの力を持って
素晴らしい演奏を引き出しているのでしょうか。
それともここで聴くから素晴らしく感じるのでしょうか。
私には判断できません。

ただ言えることは、このステージの観客席は、
演奏者の周りやたくさん聴いている人たちのいる対岸ではなく、
演奏者の真向かいを流れる元安川の、63年前のその時であるということです。

演奏をする人たちは、目の前の川の、その場所にある虚空に向かって思いを馳せ、
それと同時に鏡の如く、己の内面を見つめながら演奏しているようです。
だからこそ、裡(うち)に持っている輝きを音として表現することができるのではないか、
そんな風に感じました。

ライアーの演奏風景を動画で見てください。
このページの動画はすべてコンパクトデジカメの動画機能を使って撮りました。
めちゃめちゃ素人仕事で、カメラをパンしながらずっこけたりなんかしています。 (;^_^A
ホント、雰囲気だけ感じ取ってください。





「一昨日出来上がりました」ということで、
宇月さんから新しいCD「水彩」をプレゼントしていただきました。

宇月彩さんの新しいCD 水彩

アルバムジャケットの内側には私の撮った写真とともに名前まで載せていただき、
まったくもって嬉しい限りです。

私の撮った写真が ・・・ ^^☆

今日も様々な音楽と感動に出合うことができました。
音楽の力とはどこまで大きいものなのでしょうか。

今日平和公園の様々な場所で音楽を耳にして、
音楽の持つ力の大きさとともに、
音楽は、その音楽が素晴らしいからこそ人の心を動かし、価値が生まれ、
死者の魂をも慰める力を有するのではなく、
音楽そのものに価値と力があるのだ、という思いを強く抱きました。

その思いが強かったからこそ、こうして文字として記しているのですが、
家でこうやってパソコンで文字を打っていても今ひとつピンときません。

たぶんその場で強く感じたことでも、
まだ自分の頭の中で十分に消化し切れていないのでしょう。

「音楽そのものに価値がある」というのは、
私がインドで感じた「生きているから価値がある」ということと
たぶん同じなのだと思います。

まだまだ音楽の本当の価値、素晴らしさを求める旅は末長く続きそうです。

2008.8.5 Tuesday



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