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チェンナイ


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1月31日(土)、寝台バスは予定より20分早い4時40分に
チェンナイのホームに近いマライマライナガールのバス停に着きました。

早く着いたのはいいのですが、
5時に着くと電話で知らせているスレッシュが、
5時を過ぎてもなかなか現れません。
バス停にいる人に電話を借り、二度電話をするものの、
呼び出し音が鳴るだけで、電話には誰も出てくれません。

結局スレッシュが車で迎えにくるまで、
早朝のバス停で100分間彼を待ちました。
日本では考えられないことですが、
約束の時間を守らないのはインドの定番です。


十分少々でホームに着くと、
子どもたちが落ち葉を掃除しているところでした。
懐かしのホーム、毎朝決まって行われる懐かしの光景です。

スレッシュの家の前で車を停めて降りると、
目の前にイングリッシュ・ミディアムの女の子がいました。
イングリッシュ・ミディアムとは英語で授業を行う学校のことで、
チェンナイのホームのすぐ横がその学校です。



イングリッシュ・ミディアムの女の子たちとは
あまり深い交流がなかったのですが、
ちゃんと名前を覚えていてくれて、
「サカイ〜♪」と明るく声をかけてくれました。
嬉しかったですね。

子どもたちと会うのは一年ぶりですが、
そのブランクをまったく感じさせません。
まるで昨日までの日常がそのまま今日も継続しているかのようです。

子どもたちとの何気ない日常の交流、
これが自分の心を癒やし、救ってくれる最高の存在です。
この普通の生活の中で感じる心のぬくもりに勝るものはありません。

『幸せというものはごく身近なものの中にこそ存在する』
幸せの価値観は人それぞれですが、
自分にとっては、これが子どもたちから伝えてもらった最高の宝物です。


けれどここでスレッシュから自宅の横に呼ばれ、
とてもショックなことを聞かされました。

最近インドのホームでは性犯罪が多く、
先日も他の州のホームに外部から男が侵入し、
女の子二人を連れ去り、拉致し、レイプする事件があったとのこと。

そういった事件を受け、インド政府はセクハラに対する規制が厳しくなり、
外国人男性である自分に対しても、
女の子のコテージに入ってはいけない、
女の子の体に手を触れてはいけない、
一緒に写った写真を撮ってはいけない等、
様々な厳しい規制が新しいルールとしてできたということです。

これは衝撃以外の何ものでもありません。
これまでホームでの食事はほとんど女の子のコテージで取り、
学習時間もたいてい彼女たちと一緒に過ごしていました。

男の子、女の子、どちらもとても可愛いのですが、
元気すぎで引っ張り回される男の子より、
優しい気遣いのできる女の子の方といる方が、
心の底から安らぎを感じることができ、
少しずつ女の子と接する機会が増えていきました。

女の子は中学生ぐらいでも手つないで欲しいと手を伸ばしてくるし、
ちっちゃな子は抱っこをしたり膝に乗せると喜んでくれ、
子どもたちが喜ぶ以上に自分の心は満たされていました。

一昨年ホームを訪れた時に感じた思いを、
「最高の時」というページに書きました。

自分にとって人生最高とも思える時間、
その時間を奪われ、
これからの一ヶ月間どう過ごせばいいのか、
暗澹たる思いの中、まったく訳が分からなくなりました。

しかしこれもすべて自分の心の奥が望んだこと、
頭の中ではいろんな思いが駆け巡ります。

  もしもこのことが事前に分かっていたら、
  たぶん今回インドに来ることはなかったであろう。
  けれどここに来てこれを経験するということは、
  自分は何を望んでいるのだろうか。

  たぶん考えるに、
  これでインドのホームを訪れるのは五回目、
  もう次なる新たな関わりを持つ段階に入っているのだろう。

  また最も大切にしているものを奪われた衝撃、
  これを乗り越えるためには、
  これまで学んできた様々な知恵を見返さなければならない、
  そのためには最高の機会である。

  自分は極めて俗物である、
  インドの子どもたちのためと言いながら、
  やはり主体は自分の満足感の中にある。

すべては学びの機会、これを活かさなければなりません。
けれど遠い異国の地に来て、
あと一月間暗澹たる思いで過ごさなければならないのはとても気の重いことです。

もし瞬間移動ができるなら、
この瞬間日本に帰りたいとまで思いました。


そんな思いとは裏腹に、
回数を重ねてきた子どもたちとの交流は、
これまで以上に密になり、
子どもたちが深く自分を慕ってくれるのを感じます。

言葉は通じないものの、
大きくて頼りがいのある父性的存在、
何でも優しく受け入れてくれる母性的存在、
両親、家族と離れて暮らしたり、
あるいは家族に恵まれていない子どもたちは、
自分に対し、この父性、母性の両面を見ているのだと感じます。

そんな自分を求めてくれる子どもたちと接すると、
それを100%自分なりの方法で返すことのできない今の状態に
よけい苛立ちを覚えます。

自分は何よりも自由を愛し、
何かに拘束されることを極端に嫌う性分です。
今のこのホームでの状態は、
子どもたちが親しく接してくれればくれるほど、
何か小骨が喉に引っかかったままご馳走を食べている感じで、
喜びと同時に、それと比例した形での苦しみ、葛藤が湧き上がります。

いずれにせよ、
もう今までと同じようにただ子どもたちと楽しく接するだけの関係は終わりを迎え、
自分の満足感ではなく、真に子どもたちの幸せを求めていかなければならない
ということに間違いはないようです。


チェンナイのホームには1月31日(土)から2月7日(土)までの一週間滞在しました。
  (帰国前には再び戻ってきます)
その間の出来事は、ジーナの婚礼レセプション以外はごく日常的な日々です。

繰り返しますが、その日常が素晴らしいのです。
豊かな自然の中、ただそこに漂い、ただそこに存在するだけ、
そんな空気感を感じられるのは、
やはり最高の幸せです。

ハレ(晴れ、非日常)ではなくケ(褻、日常)、
そこに有り余るほどのものはなくても、
必要最低限のものは満たされ、
『足るを知る』心で、感謝の思いでそれを受け取れる、
これが持続可能な社会を形作る上で礎となるものであり、
最も深い喜びを感じ取るための絶対条件のように感じます。

人間(人類)は、餓鬼のように物欲の権化と化すのではなく、
身の周りのすべてのもの、
広義での自然に対してもっと謙虚で敬虔な態度で接しなければなりません。
これは南インドに来て、体で感じる自分なりの真理です。


ホームでは朝夕キリスト教の礼拝が行われます。
夕方の礼拝は全員一緒ですが、
朝はイングリッシュ・ミディアムの子どもとタミル・ミディアムの子どもの礼拝は別々で、
これは礼拝堂で行われる朝のタミル・ミディアムの礼拝です。



このホームの子どもたちは全部で80名足らず、
少し子どもの数が少なくなっています。



土曜日の朝は、子どもたちも調理の手伝いをします。
これはインドの主食のひとつチャパティを焼いているところです。



子どもたちは写真や動画が大好きで、以前撮った写真を見て大喜びしています。
写真は過去と現在、思い出をつなぐ架け橋です。



一年ぶりに会うと、子どもたちの成長に驚かされます。
左のシンドウーと右のセルビィーはとても気立てのいい姉妹です。
妹のシンドウーは顔はそのままで、背だけすごく伸びていたので戸惑いました。



男の子たちは、なぜかコテージの外で食事をするのが定番です。



これは子どもたちを送り迎えする時に運転手のラジに連れてきてもらうお茶屋さんです。
プライマリー4年生の女の子がとても愛想がいいので、行くのがとても楽しみです♪



2月1日(日)の婚礼レセプションはホームの礼拝堂で行われます。
前日の土曜日は、普段掃除しない細かいところまで丁寧に掃除しました。



何をするのも楽しそうですね♪



掃除をしていたらインド国旗が出てきたので、それを振りながら記念撮影です♪
インド人たちはみな自分の国を愛しています。



リクエストに応じて写真もたくさん撮りました。
これらは礼拝堂の屋上に昇って撮ったものです。





女の子たちと一緒に写った写真も何枚か撮りましたが、
ルールに従って、ここには掲載いたしません。
子どもたちは自分でカメラを操作したがるし、
一緒の写真を撮って欲しがるのです。



また撮る時は、子どもたちは自然と体を寄せてきたりするのですが、
それがインドでもセクハラになるとは、
なんとも悲しいご時世です。

男の子も写真や動画が大好きです。
iPadはどこでも大人気、引っ張りだこです。



飯田さんの遊び相手は男の子、自分の遊び相手は女の子、
そんな役割分担が自然とできました。
飯田さんはかなりくたびれ果てていましたが ・・・ 。



シャボン玉もみんな大好きです。
飛んでいるシャボン玉を追いかけ、それを割ったり息を吹きかけたり、・・・
日本の子どもたちと興味のあることは同じです。



男の子は洗濯石けんを使い、手で大きなシャボン玉を作っていました。
インドの子どもはとても器用で工夫上手です。





何人かの子どもは通学用の自転車を持っています。
けど普段はバスで送り迎えしてもらうので使うことはありません。



女の子はきれいな花をたくさん摘んで、素敵な髪飾りを作ります。
ホームにはそのための花がたくさん植えてあるのです。



池にはたくさんオタマジャクシがいて、手ですくって見せてくれました。





カエルは部屋の水場でよく見かけますが、
鳴き声はあまり聞いた記憶がありません。
インドのカエルは鳴かないのかな?



花飾りを作るのは上級生の女の子の担当です。
インドの髪飾りは生花で作るのが一般的です。



これは日本の100円ショップで買って持って行ったシャボン玉、
それだけでは足りず、インドでもシャボン玉をたくさん買いました。



ホームには花がいっぱい咲いています。
今は乾期で雨が降らず、日差しもそれほど強くなく、最も過ごしやすい季節です。
それにしても子どもたちは可愛いですね♪



明日のレセプションのためスジーブもやって来ました。
奥さんと息子さんも遅れてオマーンからこちらに来たようで、
五年ぶりに見た奥さんは貫禄がつき、すっかりママらしくなっていました。



明日は四百名ぐらいの来客だろうとのこと、食事の準備も一日かがりです。





飾り付けも総動員で行います。
ホームのゲートから礼拝堂まで約100メートル、長いモールを道の両脇に飾ります。



熱帯のインドは何でも派手なものが大好きです。
飾り付け、音楽、ダンス、花、・・・
女の子の足下も服に合わせたカラーのペディキュアで彩られています。



レセプションの会場は、たくさんの風船で飾られます。
それを準備する子どもたちはとても楽しそうです。





風船は膨らませている途中、何度もバーンという大きな音とともに破裂していました。
インドの風船は品質が悪く、
ものによっては最初から半数以上の風船に穴が空いていることもあるのです。





男の子たちはゲートにバナナの木を飾り付けます。
これもインドの定番です。








2月1日(日)、ジーナの婚礼レセプション、
礼拝堂の半分がレセプション会場で、残り半分が食事をするテーブルになっています。



来客がステージに上がり挨拶をし、記念撮影をしてもらいます。



二人はこの婚礼期間中、何千枚写真を撮ってもらったのでしょう。
インド人の婚礼にかけるエネルギーたるやすごいものです。

食事

こちらは食事を待つ人たち。
最初に配られた水で手を軽く洗い、お皿となるバナナの葉っぱをきれいにします。



礼拝堂の外にも食事用のテーブルが用意されました。



イングリッシュ・ミディアムの女の子たち、今日は素敵なドレスを着ています。



子どもたちの食事は来客の食事が終わった後、最後になりました。





この日は予想以上に来客が多く、ご飯とそれにかけるメインのサンバル以外、
いろんなおかず(?)は途中でなくなってしまいました。
それでも子どもたちは喜んで食べてました。



会場ではフラワーガールズによるダンスが披露されています。
ちっちゃい子のダンスは可愛いですよ♪



外では相変わらず子どもたちが順番に食事をしています。
子どもに限らず、インド人たちの豪快に食事をしている光景はとても楽しく感じられ、
ついシャッターを押す機会が多くなります。



子どもたちと一緒にハウスマザー、キッチンスタッフも食事をします。
手前のウシャマーはまだ25歳と聞いて驚きました。



元気いっぱいの男の子たち、
飯田さんが耳に花を付けられて、
子どもたちのおもちゃ(?)になっていました。



タミル・ミディアムの女の子たちも今日はきれいなドレスを着てますね♪



婚礼の行事はまさに台風一過といった感じです。
これだけ豪華にできるのは、すべてのインド人ではないと思いますが、
ひとつの文化なのでしょう。
自分としてはもっとシンプルな方がいいですね。

ホームにいる貧しい家の子どもたちは、
将来結婚する時は、どんな祝いをするのでしょうか。
できるなら一度その結婚式に参列し、
心からのお祝いをさせてもらいたいと願います。

ホームにいる子どもたちは、
その貧しさゆえからか、心にとても純粋さを感じます。
“些細なことに喜びを感じられる” 、
これに勝る幸せはなく、これはお金では買うことはできません。


タミル・ミディアムの子どもたちは、夜は礼拝堂で学習します。
昨年はそれぞれのコテージで過ごしていたので、
最近変ったのでしょう。
可愛い女の子たちと過ごす時間が増えて幸いです。

夜の学習時間とはいえ、子どもたちは結構好き勝手に過ごしています。
手前にいるプーニマは、自分が持ってきた旅行用のタミル語テキストを見ています。





ハウスマザーのウシャマーは大きな子たちに数学を教え、
時折騒がしい子どもたちに大声で注意をします。
けれどこのウシャマー自身が子どもみたいに無邪気なところがあって可愛いのです。



けど真面目な子は真面目に勉学に励んでいます。
それにしてもよくこの硬い床に長時間座って集中できるなと、
まずそのことに感心してしまいます。



やっぱり男の子は女の子と比べ、不真面目率が高いですね。
飯田さん、よく耐えておられます。




朝の掃除風景、掃除も男の子たちはさっさとすまし、
なにやら騒いでいることが多いのです。



朝のキッチンは心落ち着く空間です。
まだ暗闇のうちから枯れ葉や枝を使って火を起こし、
食材の準備をしていく光景は、
一日の生命活動のスタートを意識させてくれます。






ホームには、体調を崩して学校を休む子がたまに残っています。
シンドウーはお腹が痛いということで数日学校を休みました。
彼女にコーラム(ランゴリ)ブックとマジックを渡したら、楽しそうに絵を描いていました。



この日はチャンドラーも学校を休んでいました。
インドの玄関先にコーラム(ランゴリ)を描くのは女性の役割です。
女の子たちは小さいころからこのコーラムを描くのが大好きです。



この子たちはハイヤーセカンダリースクール11年生、17歳、
ホームでは最も年長です。



これはハイスクールに迎えに行った時の写真、
インドの学校の前には必ずこのような文具や駄菓子を売る店があります。



プライマリースクールに行くと、たくさんの子どもたちが手を振り、
見知らぬ子たちが「サッカ〜イ♪」と声をかけてくれます。
学校沿線ではとても人気者なのです♪



これは朝、朝食を運んでいるところ、
子どもたちの食事はシンプルですが自然なもので、エネルギーに満ちています。
ホームでは子どもたちと同じものを食べ、ともに自然の中で暮らし、
南インドに来るといつも体が元気になり、
新陳代謝がよくなってスリムになるのです。



木の葉、紙、ビニール、ペットボトル、・・・ ゴミはすべて燃やしてしまいます。



学校に行く準備を終え、友達と一緒に朝食をいただきます。
こんな風に手で相手の口に入れるのは、インドでは日常のこと、
自分も何度もこうしていろんなものをいただきました。 ご馳走様です♪




今回のインド滞在は一ヶ月半の予定ですが、
初めてホームを訪れた飯田さんはこの環境に馴染めるかどうか分からないので、
当初は2月上旬に帰国する予定にしていたのですが、
やはり自分と同じく3月初めまでこちらにいたいということで、
エアインディアのチケットの搭乗便を変更してもらうことにしました。

日本だとそんな変更も電話かネットで済ませられるのですが、
インドではそういう訳にはいきません。
スレッシュに変更手続きを頼み、一緒にチェンナイの飛行場に行くことにしました。

その途中に寄ったのがシーナ夫妻の新居です。・
ホームから車で二十分ほどチェンナイの街中に向けて走ったところにあります。



インドではこんな鮮やかな色が人気です。
日本では一昔前の暴走族が好んで使っていた色です。



ベッドルームが二つ、居間、台所、そしてきれいなバストイレ付き、
家賃は電気水道等の諸経費込みで日本円で月二万円弱です。



なぜか家のすぐ外に猿がいました。
町中にいる猿を見たのは初めてです。



この後スレッシュと飯田さんと三人でバスに乗り継ぎチェンナイ空港に行きました。
エアインディアの窓口はあいにくお昼休みで閉まっていたのですが、
そこに書かれている昼休みの時間が過ぎても一向に係の人は戻ってきません。
さすがインドです!!

しかたがないので国内線の方の窓口に行くと、
チェンナイの市中にあるエアインディアの会社へ行けとのことです。
スレッシュは夕方用事があるので、
飯田さんと二人でタクシーに乗ってチェンナイの街に向かいます。

州都チェンナイはここ数年でずいぶん整備されているようで、
街並みは以前よりきれいになり、
モノレールのような新交通システムも走り始めています。

エアインディアの事務所では、
迷うことなくすんなりとチケットの搭乗便変更をすることができました。
代金は日本円で三千数百円、カード支払いで即決です。

その後は近くのレストランで昼食をとり、
少し買い物をしてチェンナイセントラル駅に行きました。
この駅も最近塗装の塗り替えか改装をしたようで、
まるで東京駅丸の内のようにきれいです。



たくさんあるプラットホームのどこから出るどの列車に乗れば
ホームに帰れるのかまったく分からないのですが、
通りすがりの人たちに尋ね、なんとか乗るべき列車を見つけることができました。



けれど当然一人の人だけに聞くのは不安なので、
何人もの人に聞いて確かめました。
悪気はないのかもしれませんが、
インド人は分からなくても適当に答えることが多いので要注意です。

これが乗り込んだ列車の車内、
インドは日本の新幹線と同じ線路幅が広い広軌なので、
列車の横幅はゆったりとしています。



ところが何気なく乗った車両は有料の特別車両だったようで、
サリーを着た検札の女性に別の車両に移るように注意されました。
インドの近郊列車の車両は独立していて、走行中に移ることはできません。

特別車両にチケットなしで乗ると、
本当は課徴金を払わなくてはならないそうですが、
何も知らない外国人ということで、そのまま許してもらえました。


これは朝の掃除風景、
いつもながらにほうきで描かれたパターンが見事です。
子どもたちの心身の実直さ、剛健さが現れています。





体調を崩していたシンドウーは、
実家に帰って療養することになり、お父さんがバイクで迎えに来てくれました。
お父さんとよく似ています。



シンドウーの家はホームから近いのですが、
子どもたちの中にはホームから数百キロ離れたところから来ている子も珍しくありません。
子どもたちは自分の家のある村を教えたがり、
「マイ・ネイティブ・プレイス!」と言って地図を指さしてくれるのです。

親御さんたちが来た時に子どもたちと会う場所はゲートの近く。
そこからは隣のイングリッシュ・ミディアムの校庭がよく見え、
元気のいい子どもたちはいつも手を振って挨拶してくれます。



チャンドラー姉妹の家はホームのすぐ近く、
目の見えない父親が母親に連れられて、たびたび訪ねてこられます。



ココナッツはとてもポピュラーな食材で、日々の料理の中でたくさん使われます。




定期的に近くのチェンガルパッドの町まで食材を買いに出かけます。
町の様子は以前と変らずたくさんの人でにぎわっています。







一年ぶりに会う店の人も自分のことを覚えてくれていて、
親しげに声をかけてくれます。
嬉しいですね♪



このランゴリはきれいなので写真に撮りました。



不可触民出身でインドの初代法務大臣アンベドカルの像と看板を見かけました。



その向い側にあった結婚式の看板です。
アンベドカルの顔も描かれています。
アンベドカルは多くのインド人を仏教徒に改宗させた人なので、
仏教関係のグループかと思ったりですが、政党関係のもののようです。



日本では政教分離が原則ですが、
インドではまったくその逆で、政治、宗教、社会活動、それとたぶん多くの利権も、
そういったものが混然一体となっているようで、よく理解できません。

アンベドカルの本が読みたくて、
前回インドに来た時には書店で探したのですが見つかりませんでした。
けれど今回は先日訪ねたマドライの露天で古本として並んでいるのを偶然見つけ、
これから読むのが楽しみです。

インド人男性は豊かなひげをたくわえている人が多いのですが、
その反面(?)、若くして頭髪が薄い人も多いようです。
髪の悩みは万国共通です。




自然豊かなチェンナイのホーム、
チェンナイは州都ですが、ホームは町から少し離れた田舎にあり、
子どもたちの人数も少ないこともあり、とても牧歌的雰囲気です。



子どもたちとの交流も家庭的といった感じで、
親しくなった子どもたち一人一人が自分の家族のように思えてきます。



子どもたちとの交流は楽しいですが、
親しくなればなるほど、子どもたちと離れるのがつらくなり、
できれば彼らがホームを出て社会人として巣立つまで、
ずっと一緒の時を過ごしたいと、叶うはずもない夢を描きます。

今回は特にこれまで以上に子どもたちと深い心の交流を持つことができ、
その分いつか必ず来る別れの辛さと、
新しいインド政府の規則による葛藤、
これら負の側面も同時に味わいました。

子どもたちからはいろんな言葉をもらいます。
  「日本に行かないですっとインドにいてください」
  「日本に連れていってください」
  「夜別れるのが悲しい、一緒の部屋で寝て欲しい」

別れの辛さは、きっと子どもたちの方が大きいだろうと思います。
また一過性のものであるにせよ、子どもたちに喜びを与えるためには、
今の状態でも十分だと言えなくもありません。

要はすべては自分自身の問題であり、
このことは、これから日本に帰って時間をかけて解決していく必要があります。
課題そのものはしんどいですが、大きな飛躍のチャンスと捉えれば喜びです。


2月7日(土)、ジョリーンの婚礼レセプションのためトリチーに向います。
子どもたちは、
  「トリチーに行かないでくれ」
  「今日行って明日には帰ってきて欲しい」
などと口々に言ってくれ、嬉しい限りです。

トリチーではまたいろんなことを経験できるでしょう。
すべては経験、すべては学び、
価値はすべて自分自身が創り出すもの、
自分にとって、やはりインドは最高の学びの場です。



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