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1月27日(火)、ジョリーンの結婚式の後片付けが始まりました。
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宴は賑やかであればあるほど、
その後に一抹の寂しさを覚えます。
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結婚式の後のこの日は休息日、
インドではオン・オフ・オン・オフとリズムをつけて過ごしています。
これは日本にも昔からある “ハレ(晴れ)とケ(穢)” の文化に通じるもので、
このリズムがあるからこそ、楽しい晴れの時を思いっきり楽しむことができます。
けれど最近の日本はこのメリハリがないですね。
いつも町は賑やかでご馳走ばかりを食べていますが、
その反面人の表情、姿勢は重く沈んでいます。
1月28日(水)、早朝5時前にスレッシュ一家は車でチェンナイに戻りました。
自分たち二人も朝からバスに乗ってサンカランコービルに移動します。
大きな荷物があるので車でナガラコイルのバスターミナルに送ってもらい、
そこからトゥルネルベリで乗り換え、三時間ほどの行程です。
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バスの中では二人とも大きな荷物を持っているので気を遣いました。
インドのパスは日本のパスほど通路が広くありません。
大きな荷物は別料金を取られます。
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けれどインド人はこんな時とても親切で、
自分たちの座席から離れたところに荷物を置いていても、
近くに座った人が動かないように手で支えてくれたりするのです。
こういった親切に触れるのは旅の喜びです。
トゥルネルベリで前から気になっていたフルーツビールを飲みました。
ビールとはほど遠いですが、甘味と苦み両方あってまあまあの味わいです。
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バスの中ではよく近くの席のインド人に話しかけられます。
これはサンカランコービルに向かうバスの中。
これから知り合いの南無妙法蓮華経の寺に行くのだと話したら、
三つ向こうの席のおじいさんが、
鞄の中から日本山妙法寺サンカランコービル道場の式典案内のハガキを
出してきたので驚きました。
世間は狭いですね。
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そして赤いシャツを着ている男性の手に持っているのは自分が渡したiPad、
iPadは素晴らしいコミュニケーションツールです、
これでいろんな写真を見せると必然的に話が弾みます。
ということで、仲良くなったので彼らが写真を撮ってくれました。
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トゥルネルベリから電話をしていたので、
サンカランコービルのバスターミナルには木村庵主さんが迎えに来てくれていました。
そこからオートで十分少々、懐かしのお寺に到着です。
仏舎利塔の工事も着々と進んでいて、ここからは広々とした大地が一望できます。
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鉄棒が立っているのが仏舎利塔の中心点、
この真下にお釈迦様の遺骨、仏舎利が納められています。
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職人さんたちの昼食風景、いつも楽しそうに仕事をしています。
インド人は彼らだけではなく、みなとてもフレンドリーです。
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今回もインドでは蚊に悩まされました。
足首を中心に両脚、そして両手にも噛まれた痕が無数にあります。
けれどその痕があまりにもひどいので、
これは湿疹か何かのアレルギーではないかということで、
皮膚科で診てもらうことをすすめられました。
日本では縫うような怪我と歯医者以外は医者や薬とまったく無縁なのに、
なぜかインドでは医者によくかかります。
サンカランコービルに来るのはこれで五回目ですが、
皮膚科に連れて行ってもらうのは今回で三度目です。
五年前に石谷上人に連れてきていただいた皮膚科に木村庵主さんの案内で行きました。
当時の記憶が蘇ります。
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入り口ではたくさんの人が順番待ちをしていましたが、
お坊さんの連れは特別待遇で、まったく待つことなく診察室に入りました。
化膿した痕をスコープで拡大してパソコンの画面に映し、
薬を二種類処方していただきました。
お医者さんはムスリム(イスラム教徒)の方ですが、
石谷上人の信仰姿勢に賛同し、石谷上人、およびその関係者はいつも治療費無料です。
本当に有り難いことです。 感謝します。
そして実は、先日直してもらった左前歯が治療48時間後にフライドチキンを囓った際、
またもろくも崩壊してしまっていて、
その治療のため歯医者さんにも案内してもらいました。
ちょうどお昼休みの時間らしくお医者さんは不在で、
受付の女性がずっとテレビに見入っています。
こんな時にまったく愛想がないのはインド人全体の特徴です。
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30分ほどして先生が戻ってこられ、再び前歯を固定してもらいました。
三十年前に差し歯にしたその土台が痛んでいるので、
それですぐに取れてしまうとのことでした。
日本に戻ったらきちんと土台から直してもらえとのことです。
1月29日(木)、早朝4時半からお勤めです。
お寺の中で南無妙法蓮華経をただ一時間半唱え続けます。
そしてその後は外を回ってお参りします。
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南国の花を各所に供えていきますが、
ここ南インドでは、ハイビスカス、ジャスミン、
といったきれいな花が一年を通して途切れることなく咲き続けています。
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お参りの合間に、石谷上人と木村庵主さんは仏舎利塔の上から
工事の進捗状況を確認し合っています。
日本山妙法寺のお坊さんたちは、仏舎利塔建設の工事責任者、監督も兼ねています。
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仏舎利塔はこんな感じでできつつあります。
完成後の塔の高さは40メートルに達し、外壁は白く塗られます。
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塔は少しずつ高くなっていくので、資材を上に運ぶだけでも大変です。
この足場は石谷上人がアイデアを出して作られました。
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お寺から町に行く途中に新しい学校ができ、
その宣伝看板に石谷上人の写真が使われています。
この看板は近辺数カ所に設置されて、とても目立ちます。
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お寺には近くの学校から子どもたちがよく見学に訪れ、
お堂の中で少しお題目を唱えると、褒美のお菓子をもらうことができます。
写真はその時の様子を撮ったものです。
石谷上人によると、外国人のお坊さんだから珍しいのでしょうとのことでした。
飯田さんと二人でバイクに乗ってサンカランコービルの町のネットカフェに行きました。
この店の人はなぜかとても親切で、
持ち込んだパソコンが使いやすいように奥から椅子を引っ張り出してきてくれたりします。
インド人らしからぬサービスにホッとします。
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ネットカフェの帰りにサンカランコービルに寄りました。
コービルとはお寺のこと、
サンカランコービルというお寺の名前が町の名前になっています。
お寺の石畳にきれいなコーラム(ランゴリ)が描かれていて、
よく見るとシールで張られたものでした。
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あまりに美しいので、シールを5枚買いました。
一枚20ルピー、5枚で100ルピー、200円です。
店の女性と記念撮影、よく似ているから姉妹なのでしょう。
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これが外から見たサンカランコービル、
ヒンズー教のお寺はどれも同じ形ですが、
外壁がカラフルに塗装されているものと単色のものがあります。
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お寺は来客が多いので、この一年でゲストルームが二つ増えました。
そのゲストルームの外に孔雀がやって来たので写真に収めました。
インドでは随所で孔雀を見ることができますが、
ここサンカランコービルは特によく姿を現します。
石谷上人によると、時には三十羽、四十羽一度に現れることもあるそうです。
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石谷上人が現在の仏舎利塔建設の進捗状況をきちんと写真に撮って
インターネットにアップして欲しいとのことで、
お寺の屋上に昇ってそこから写真を撮りました。
日本山妙法寺サンカランコービル道場 仏舎利塔建設、
2015年1月29日現在の状況です。
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サンカランコービル道場のことを、
多くの人がこのヨガナンダから見ておられるそうで、
石谷上人に喜んでいただき、有り難い限りです。
1月30日(金)、この日は早朝4時にお寺を出て、
タミルナド州第二の都市マドライに向かいます。
4時ちょうどに予約していたオートが迎にきました。
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今日は1948年に亡くなった
インド独立の父マハトマ・ガンディーの67回目の命日です。
そのセレモニーに参加するためガンディー記念博物館に向かいます。
マドライまでバスを乗り継ぎ、
マドライのバスターミナルからオートに乗って記念博物館に行きました。
そのオートの運転手は、二十年以上前、
この記念博物館の一角にあり、
当時石谷上人がずっと住み込んで管理しておられたマドライ道場に
学校帰りたびたび寄り、
お祈りをしたごほうびのキャンディーをもらうことを楽しみにしていたそうです。
偶然とはいえ不思議なご縁です。
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普段は閉じているマドライ道場ですが、
いつでもすぐにお参りできるようきちんと管理されています。
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ガンディー記念博物館の前には
一目見て名士と思われる方たちがたくさん集まっておられます。
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その人たち全員でガンディーの像に花を手向けます。
マスコミ関係の数名の人もさかんに写真を撮っていました。
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これがガンディー翁のお墓です。
インドで唯一ガンディーの遺骨が納められているこの墓は、
石谷上人によって建立されました。
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そのことは「地球の歩き方インド」でも紹介されています。
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命日の式典は粛々と進められます。
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インドでは結婚式、葬儀、様々な式典にきれいな生花が欠かせません。
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これがガンディー記念博物館のメインの建物ですが、
今日金曜日は休館日で中に入ることができませんでした。
中にはガンディーに関する様々な資料が収められています。
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石谷上人と木村庵主さんは、ガンディーの命日は一日断食をし、
お墓の前でお題目を唱え続けられます。
飯田さんと自分、不信心(?)な二人はその間マドライの町を観光します。
それにしても汚いですね。川はゴミだらけです。
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インドでの選挙は、日本と比べてはるかに大きなイベントで、
町中は政治家のポスター、政党の旗で埋め尽くされ、
政治イベントも各所で行われています。
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マドライで最も有名なミナクシ寺院に行きました。
ここは最近世界遺産に指定され、セキュリティーがきわめて厳しくなり、
ケイタイのカメラ以外は持ち込み不可でした。
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雑然としたマドライの町は歩いていもあまり楽しくありません。
断食しながら行を続ける立派なお二人をよそ目に、
不信心組の二人は駅近くのレストランでチャパティを食べ、
それでもまだ足りず、チキンバーガーやサンドイッチを食べることのできる店に入りました。
きっと罰が当たったのでしょう、
サンドイッチのチキンを囓ったところ、
またまた左前歯がグキッといってしまいました。
まったくもってトホホな気分です。
日本でも縁日等で四五十年前まではよく見かけたカラーヒヨコを見つけました。
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しかし他の町並みよりこんなところに興味を持つなんて・・・、
つくづく自分は変わり者だと思います。
けど後で子どもたちにこの写真を見せたら大喜びしてくれて少し嬉しかったです。
午後4時から世界諸宗教の祈りがあるということで、
4時少し前にガンディー記念博物館に戻りました。
お墓の前では石谷上人が子どもたちと一緒にお題目を唱えておられます。
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こんなガンディーのポスターをぶら下げたおじいさんとも出会いました。
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タミル語で「ワナッカム」と挨拶をしたら、
「ナマステ」とヒンディー語で挨拶を返してくれました。
きっと他の州から来た人なのかなと思ったら、
相手が外国人だから気を遣ってくれたのだとのことでした。
再びお墓の前に大勢が集まり、花を手向け、歌を歌い、祈りを捧げます。
![](img/05/image42.jpg)
![](img/05/image43.jpg)
飯田さんと自分も花を少しずつ供えさせていただきました。
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お墓の近くの広場で、世界諸宗教の祈りが始まります。
これはガンディー翁が世界平和を願い、
世界の様々な宗教がひとつになって平和を祈るために提唱したものです。
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世界の様々な宗教の祈りが順番に捧げられます。
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その祈りの一番最初は日本山妙法寺による南無妙法蓮華経です。
飯田さんと自分も壇上で団扇太鼓を叩いたので、写真は撮れませんでした。
世界諸宗教の祈りの中で日本山妙法寺が一番最初というのは、
ガンディー翁ご自身が生前に決められたのだそうです。
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この日はお祈りを終え後、
お二人は自分たちのために早めに断食を終え、一緒に夕食をとってくださいました。
その後午後9時半発のチェンナイ行き寝台バスに乗って
チェンナイのホームに向かいました。
明日からは可愛い子どもたちと過ごす日々が続きます。
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