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ジョリーンの婚礼


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1月23日(金)、連日のお祭り騒ぎのようか賑わいの合間の休息日、
一日のんびりと過ごしました。

お昼頃にネットをしようとコッターラムの町に行くと、
今日は停電だからダメだと断られてしまいました。
停電、接続トラブル、なぜか閉店、・・・
様々な理由でネットができないことが多いのですが、
これがインド流です。

ネットカフェからの帰り道、
二人の男性が電柱に登って工事をしています。



カメラを向けるといつも愛想がいいのが有り難いです。



この日は結局日が暮れるまでほぼ半日停電でした。
理由はコッターラムの変電設備を換えたからとのこと、
先の電柱工事もその一環だったようです。


1月24日(土)、ジーナの新郎新婦両家による昼食会が催されました。



家の横にテーブルが並べられ、来客全員にご馳走が振る舞われます。



ここにいると、こんな催しが当たり前の感覚になりますが、
自宅から遠く離れた実家の庭先に数十人を招き、
楽しい食事会ができるなんて最高の贅沢です。
しかも広い敷地には南国の木々が生い茂り、
晴れ上がった好天に爽やかな風、もう何も言うことはありません。



みなそれぞれが楽しい語らいの場を自由なスタイルで過ごしています。
自分たちが泊めてもらっている部屋から
ジーナが旦那さんと外を眺めていたので写真に収めました。
二人はこの数日間、何千枚の写真を撮ってもらったのでしょうか。




1月25日(日)、翌日のジョリーンの結婚式のため、
彼女の地元トリチーから若者たちがたくさん来ていて、
その若者たちと一緒にバスをチャーターし、パレスと滝の観光に出かけました。

最初に訪ねたのはケララ州の近くにある古の宮殿パドマナマプラム、
ここに来るのはたぶん三回目か四回目です。

入場料はインド人の大人35ルピーに対して外国人は300ルピー、600円と八倍以上、
なぜインドの多くの観光地は外国人は高額な特別料金なのでしょうか。
外国人は歓迎されていないのか、
それとも取れる人間から取るということなのか、
いずれにしてもあまり心地いい思いはしません。



トリチーの若者たちはみな快活でとても楽しそうです。
彼らの行動から、頭脳の明晰さと育ちの良さを感じます。
きっとインドでも恵まれた階層の若者たちなのでしょう。







宮殿の中で日本人観光客の女性たちと出会いました。
運転手、日本語のできるインド人ガイドとともに乗用車で名所を回っているそうです。



若者たちとともに、お父さんと二人の子どもの三人連れとも一緒でした。
この二人の子どもたちは、最初はなかなか心を開いてくれませんでしたが、
一緒に遊んでいる内に少しずつ仲良くなりました。



ちなみに、いつどんな時に子どもたちと出会っても遊べるよう、
バッグの中には色紙、風船、シャボン玉、お菓子、iPad、
そういったものを常備しています。

それにしても南インドは素晴らしい自然環境です。
抜けるような青空、椰子の木、手前の赤い花は夾竹桃(きょうちくとう)、
広島のシンボルともいえる夾竹桃はインド原産です。



出口のところでみんなを待ちながら子どもたちに折り紙を折っています。
ご満悦の表情をトリチーの若者が撮ってくれました。




次に訪ねたのが美しい滝で有名なティルパラププ、
ここにも以前来たことがあります。



南インドは一年中暑い熱帯なので、涼しさを感じる水場は人気スポットです。



いくつかのグループに分かれてボートに乗りました。





湖の周りに生えているのはゴムの木です。
樹皮に傷をつけ、下の器で樹液を受けています。



たくさんの人たちが水の中に入って楽しんでいます。
中には洗濯をしている人もいましたが、その水が下流の滝のところに流れ、
そこでも水浴びしている人がいるのですが、大丈夫でしょうか?



水浴びする用意はしてこなかったのですが、
みんなと一緒に水の中に飛び込みました。
外に並んでいる土産物屋の一軒で30ルピーのビーチボールを買ったのですが、
それを買って大正解、子どもたちが大喜びしてくれました。



この象は病気なのでしょぅか、周りの人から水をかけてもらっていました。
インドでは町中でも時折象を見かけます。



バスの中はこんな感じ、カメラを向けると必ずポーズを取ってくれます。
みな初めて出会った人たちばかりでしたが、楽しい時をともに過ごせて感謝です。




マダラムドラに戻ると、婚礼の準備が着々と進んでいました。



三日前のジーナと婚礼の時と同じような飾り付けがなされています。
バナナにココナッツ、インドでは門飾りの定番です。



入り口から入ってすぐ右側がおばあさんが暮らすクマールの家です。
クマールの娘ジョリーンの婚礼は、ここがメイン会場です。



婚礼の準備のためいろんな人たちが集まってきていますが、
その中に、チェンナイのホームのスタッフのラジがいました。
ラジはこの近く、カニャクマリに奥さんや子どもさんのいる家があります。

ラジが自分を見つけるととても懐かしがり、
いろいろ話しかけてくれて、
最後には一緒にお酒を飲もうと敷地の隅っこの方まで引っ張っていかれました。



インドではお酒を飲むことは恥ずべきこと、
隠れるようにしてお酒を飲んでいると、未成年の頃を思い出します。
そして悪いことなんだと感じながら飲んでいると、
逆に酔っ払ったら暴れたり悪さをしないといけないんじゃないかと
思えてくるから不思議です。

ラジはお酒が入ってすごくテンションが上がっています。
早口でいろんなことをまくし立てますが、
彼は元々英語があまり得意ではなく、
酔うにつれ、その言葉の7、8割はタミル語になり、
ほとんど何を言っているのか分かりません。
分かりませんが、
「明日の朝は早く戻ってくるので、今夜は家に来て泊まって欲しい」、
というようなことを言っているようです。

けれど自分の判断で勝手に外泊することはできないてので、
スレッシュに了解を得て欲しいとスレッシュのところに一緒に行き、
ラジが懸命に話をしていました。
しかしながら思っていたような返事をもらえず、
少しずつ顔色が曇っていき、
最後には目に涙をいっぱいにためてしまいました。

お酒のせいもあるのでしょうが、泣き出してしまうとはビックリです。
そんなに自分を彼の家に連れて行きたいのでしょうか。
そこまで思ってもらえて光栄です。

ラジの写真を撮り忘れました。
これは7年前、彼に初めて会った時に撮ったチェンナイのホームでの写真です。



家の中ではまたまた大写真撮影会です。



婚礼の準備は夜通し続きます。
外ではずっと何か音がしていて、
午前2時半頃外に出ると、出来上がりつつある料理を食べながら、
楽しい語らいをしています。
自分にも食べるようすすめられましたが、
夜中に食べると胃にもたれるのでさすがに断りました。

進め



これは山羊を処理しているところです。
明日のメインディッシュはゴートビリアーニ、山羊の肉を使った焼き飯です。
肉を断ち切るトントンという音が明け方まで続きました。




1月26日(月)ジョリーン結婚式の朝、
朝早くから食器となるバナナの葉っぱの準備をしています。
バナナの葉っぱは大きくて表面がツルツルで食べ物を並べるには最適です。



ファミリーのメンバーたちは近くの教会に行きましたが、
連日のイベントで少々疲れ気味なので家に残りました。

正午前頃、新郎が楽団を伴って登場です。



首に大きな花輪をかけてもらいます。
この花輪はものすごく需要があるのでしょう、
町ではたくさんの店でこんな花輪や花で作った飾り物が売られています。





新郎が会場に入り、



続いて新婦がフラワーガールとともに会場入りです。



そしてケーキカッティング、写真撮影。



カットされたウエディングケーキは小分けしてみんなに配られました。
とても上品な味わいの美味しいケーキでした。



フラワーガールが音楽に合わせて花びらを投げ、二人を祝福します。



そしてまた延々と写真撮影会が続きます。



今日もサンカランコービルから石谷上人が駆けつけて来られました。
しばらくぶりにレンガが納品され、仏舎利塔建設工事が再開したので、
今日は木村庵主さんは来られませんでした。



そしてこちらは食事会の会場。



日本人からすると、つい足下に転がっているゴミやペットボトルに目が行きます。
どうしてインド人はこういったものをきれいに片付けようとしないのか不思議です。
国民性、文化の違いですね。




夜は車を一時間近く走らせ、新郎の自宅近くのホールに行きました。
そこでもレセプションが行われます。



ジーナの時と同様、こんな大きな幕が会場入り口に張られています。
これは作るのにいくらぐらいかかるのでしょう。
また使い終わった後はどうするのでしょう、それが気になります。



会場の中はまた写真撮影大会、





新郎の知り合いで地元の人たちは、ここで贈り物を渡しているようです。



そしてホールでの締めは、
これも恒例の円く輪になってのミーティングのようなものが行われます。



会場を出たのはもう午後9時を回っていましたが、
ホール近くのは新郎の実家、二人の新居へと車で移動しました。
外は華やかな飾り付けがされ、大きなに音楽が鳴り響いています。



少しの間、みんなで家の中を見学させてもらいました。
インドでは、家は本家の長男が代々継いでいくようです。



自然、人間関係、そして様々な生活の物資にも恵まれた
インドの上流階級の人たちは幸せです。
もちろん彼らには彼らなりの苦悩があるのでしょうが、
持ち前の明るいキャラクターはどんなものをも吹き飛ばしてしまいそうです。

人の心の内は外側からはなかなか推し量れませんが、
表情だけを見る限り、
インド人たちはその階層に関わりなく、
日本人よりもはるかに幸せそうに見えます。

車、バイク、電気製品、・・・
インドには小国日本の製品があふれています。
それはそれで日本人としてとても誇らしいことだと感じますが、
逆にインド人の粗雑さ、ルーズさを肌身で感じると、
それでもこれだけの文化を築き上げ、
日々幸せそうに暮らしているのなら、
そっちの方がいいんしゃないかとも感じます。

日本とインド、その大きな差から、
どちらがどれだけいいと判断することはできませんが、
先進的な日本の現状から、
『得ることは同時に何かを失うことである』
という事実を強く感じます。

このことを忘れ、ただ得ることばかりを忠実に、
そして勤勉に追い求めた姿が今の日本ではないでしょうか。

『幸せは得るものではなく気づくもの』、
今の日本に求められるのは、
この経済的に急成長してきた陰で失ったものを見直すことにあるのだと考えます。



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