ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 進むべき先



ヨガナンダ



2018年10月6日 ・・・ 進むべき先

先日書いた「天命への一歩」の中で、
人生に於ける転換期には、
昔からの知り合いとの出会いや
懐かしい場所に偶然足を運ぶといったことが
頻繁に起こると書きました。

その後考えてみると、
他にも共通して起こる現象があることに気がつきました。
それは頭の中で『脳鳴り』のようなことが起こるということです。

脳鳴りというのは自分で勝手につけた言葉ですが、
通常の耳鳴りとは異なり、脳の周辺に、
シィーというような微細な音というか振動を常時感じるのです。

それは脳が振動しているというよりも、
脳がその周辺の振動を感知しているといった感覚です。


その脳鳴りを感じて思うのは、
脳の周りの空間に何か生命と直結した実体があり、
脳はそれを受ける受容体のような働きをしているのではないかということです。

生命の実体とは何でしょうか。
何度か体外離脱をした経験から、
人間は肉体の生命とは違う何かを持っていて、
それが永遠不滅のものであり、たぶん魂と呼ぶべきものであろうと感じます。
そしてそれが生命の本質なのだと感じます。

自分はお陰様で健康に恵まれています。
その最も大きな支えとなっているのが、
日々自分の身体に感謝の思いを捧げる「身体との対話」です。
入浴時、湯船の中や体を洗う時、
手のひらで全身を撫で、視線を送り、その体の部位に対し、
感謝の言葉を口に出して唱えます。

これをすることによって、
体の感覚が鋭敏になるのと同時に、
なぜか自分の意識と肉体感覚が少しずつ離れていきました。
『体は自分のものではない、今世お借りしているものなのだ』
といった感覚です。

そうすると、自分の実体、本質というものは肉体の中ではなく、
その肉体を取り巻く周りの空間のどこかにあるということになります。

実体というのは、
言葉をキチンと定義しなければあやふやなような気がしますが、
『生命の実体は自分の外にある』、
年とともに経験を重ね、
少しずつそういう思いが実感として強くなっています。


神坂新太郎氏の開発した銀河誘導装置は、
機械的に銀河系の動きを再現し、
その中の地球に相当する場所に水を置いておくと、
その水は死んだ金魚をも蘇生する生命力のある水になるとのことでした。

神坂氏は十年ほど前に鬼籍に入り、
その装置も実際に見たことがないので真偽の程は定かではありませんが、
もしこれが事実であるならば、
生命とは空間のエネルギーによって生み出されるということで、
自分が感じていることと一致します。

人間の身体は実に理に適った構造をしています。
五体、五臓、五感、60兆個の細胞すべてにある遺伝子DNAは、
生命の構造そのものである二重らせん構造を有しており、
こうした人体の構造そのものが、
生命エネルギーをキャッチするアンテナ、
つまり生命受容体になっているのではないかと推察しています。

生命の偉大さとは、
その仕組み、構造の偉大さそのものではないのでしょうか。


植物の超能力を研究しておられた三上晃先生は、
物事を記憶するのは脳ではなく、腸の働きであると唱えられていました。

それは昔のフィルムカメラのフィルムを入れるケースに、
脳の周りの空気と腸の周りの空気を採ってセンサーにかけると、
脳の周りの空気はその時思っていた情報には反応しないものの、
腸の周りから採った空気は、
その時思っていた情報と一致する反応が出たからというものです。

また二十数年前、
当時は人間の死を脳死とするか心臓死とするか、
その判定について世間で大きな話題となっていました。
その時三上先生は、
「人間の死は腸の死、つまり腸死をもって死とみなすべきだ」
というまったく異質の見解を出されました。

その根拠として、人間が死を迎えた後、
脳や心臓がその働きを停止しても、
三上先生のセンサーによると、
腸はその後も生命をもって生き続けているという
生体反応が出るからというものでした。

今は時代の流れとともに、
腸の働きの重要性が大きくクローズアップされるようになりました。
解剖学者である三木成夫先生は、
『脳は意識を支配している。 けれど我々は、内臓の中に心を持っている』
『人間の植物的側面は宇宙とつながっている。そのアンテナが腸である』
ど述べておられます



他にも近年腸の大切さを説く本や学説が多数発表されているのは
ご存じの通りです。
三上先生は、当時としては極めて珍しい説を唱える時代の先駆者でした。


今再び当時のことを考えてみると、
三上先生が脳と腸との記憶の比較をされた時、
その比較材料となったのはそれぞれの実際の細胞ではなく、
また先生は写真による判定もよく行われていましたが、
写真によるものでもなく、
それぞれの周りで採った空気であるということが重要です。

つまりそれら臓器の周りの空気には、
その臓器に関わる情報が含まれているということであり、
やはり人間の持つ機能、生命というものは、
空間と大きな関わりがあるようです。


脳と腸は構造が非常によく似たフラクタル(自己相似形)構造であり、
人体の中で陰と陽の関係を持っています。

人間の原初の形態は、
口から肛門に至る一本の管であるということから考えると、
腸は原初の生命を司る器官であり、
脳は知能を有し、進化、発展を司る器官であると見ることができます。

これからは脳から腸への時代、
そして爛熟しきった現代文明はその見通しを失い、
有史以来最大の文明の見直しを迫られている時期であるという
ことから大胆な想像を膨らませてみます。


生物には性を持って子孫を残す有性生殖と、
性を持たない無性生殖を行うものがあり、
無性生殖を行うものはごく一部の下等な生物であり、
ほとんどの生物は有性生殖によって子孫を残します。

この宇宙、時空間には時間の流れがあり、
その時間の流れとともにすべてのものは循環し、
変化、進化していっています。

ですからその変化、進化する環境に適応するためには、
自らの形態もまたそれに応じて変化させていくことが望ましく、
そのためには、両親の遺伝子を様々な組み合わせで半分ずつ引き継ぐ
有性生殖の方が優れているのです。


ここで感じるのは、
時間の流れが絶対であり不可逆なものであるならば、
この時空はエントロピーの法則で支配されているため、
最終的には乱雑、混沌の状態にしかなりえないという事実です。

ガラスのコップを落として割るは簡単ですが、
割れたコップを元に戻すのは、
ほとんど不可能か極めて大きなエネルギーを要します。

物事はトータルすると絶対に乱雑な方向にしか向かいません。
一度汚染された環境は、
地球自身の浄化作用で元の環境を取り戻したとしても、
その汚染によって引き起こされた乱雑さは、
必ずどこかに引き継がれ、残っていきます。
これがエントロピーの法則です。


その中で生を営む人間、周りの自然、宇宙、ミクロの世界、
それらを律する生命の法則を感じるにつれ、
時間が過去から未来へと流れる一元的で不可逆なものであり、
すべては乱雑な方向にのみ向かうというエントロピーの法則が、
どうしても生命の理に反する不自然なものとしか思えないのです。

これは科学的に立証不可能なことですが、
今人間が科学的に認識している時間や空間といった概念をいったん離れ、
それらをもっと自由な発想で眺めていくことが、
今、そしてこれからの時代に求められているように感じます。

今はすべてのものがつながっているワンネスということがよく言われます。
これを別の表現で表すと、
生命の実体は、個々の物質の中ではなく、
その周りの空間、すべてのものが共有する空間にこそある、
そう考えれば“つながり”というものがよりよく理解できます。

また時間、進化の理を持つ脳から、
時代の中心が生命原初の腸へと移るということの意味は、
腸の中にひとつのヒントがあるように思います。

人間の腸内には腸内細菌が100兆個から1000兆個棲息し、
その中の代表的な大腸菌は無性生殖で、
寿命を持たずに永遠に分裂し続けることが可能です。

これは生命の根源に立ち返れば、
そこは一元的な時間の概念を超越したものであり、
変化、進化し続けなければならない今の世界とは
まったく違うということを示唆しているように感じます。


今が時代の大きな変革期であるということは、
誰しもが認識されていることだと思います。

けれどその変革のシナリオが、
いつどのように展開され、どのようなものなのか、
それを予測するのはとても難しいものです。
それはたぶんその変革が、
これまでの常識を大きく覆すものになるであろうと思われるからです。

これからは生命の時代、
その尊さを知るということは、自らの無限の可能性、
時空のさらなる広がりを知るということではないかと感じます。

2018.10.6 Saturday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.