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ヨガナンダ



道筋<6>

未来とは、自分の思いのみによって形作られるのか、
それともこれまでの行動の積み重ねが業(ごう)となり、
未来を決定づけるのか、
どちらかが間違っていてどちからかが正しいのか、
あるいはどちらも間違っているのか、それとも正しいのか ・・・ 。

宇宙誕生以来、真理は変わることがありません。
ただその真理を形作る様々な要素は、
時の流れとともにそのバランスを変えていくことはありえます。


行動を変えていくことで心が変化するというのは事実です。
私たちの本源は、心の奥深くにある霊や魂、真我といったものですが、
心と肉体は深く結びついていて、
肉体をはじめとする形の世界は、目に見えない心の世界と如実にリンクしています。

では行動の変化と心の変化は完全に正比例の関係かというと、
必ずしもそうではありません。
己の過去の悪行を反省し、善行を積み重ねても、
心の中の思いがそれにつれて急激に変化するとは限りません。
また逆に行動を伴わなくても、何か強烈な体験をすることによって、
一気に心が目覚める事もありえます。

それでもやはり行動は大切です。
たとえ積み重ねた善行が心の変化につながらなくても、
それを積み重ねようとした思いは、
心の深い部分に何らかの刺激を与えているのではないでしょうか、
これは私の推測ですが、そんなふうに感じます。

また行動を伴わなくて心が変化した場合でも、
直接的な因果関係ではなくても、
それまで積み重ねてきた行動や体験が心の中に蓄積され、
それが何かのキッカケで大きな心の変化を導いたとも考えられます。


心の変化だけがすべてだと考えるのは危険が伴います。
あくまでもたとえ話ですが、具体的な例を挙げましょう。

ホ・オポノポノはスピリチュアルの世界ではずいぶん広まっています。
ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています、
この四つの言葉を唱えることが幸せの鍵であるという考え方は、
まさに新しい水の時代の理であり、
素晴らしい時代への幕開けを告げる知恵の教えだと思います。

けれどもこれを実践している人が、必ずしも現状に、
感謝やお詫びの気持ちでいっぱいだから唱えているのではないと思います。
逆に不満や不足がたくさんあり、だからこそホ・オポノポノを実践し、
現在の苦しみから脱しようとしておられるのではないでしょうか。

それが悪いことだとは言いませんが、
その「現状に不満を持ち、そこから脱したい」という思いを持ちながらも、
ホ・オポノポノの四つの言葉のような、
すべてに感謝し、お詫びできる自分であるように、
心をそちらの方に傾けていかなければなりません。
それができなければ本末転倒です。

また、それが本当にできたのであれば、
必ず行動という形が変わるはずです。

身近に恨み辛みを感じる人がいて、その人に感謝の態度を示すのが嫌だから、
それを回避するためにホ・オポノポノをしているとすれば、
それは本質的におかしな事です。

ホ・オポノポノの四つの言葉が常に心の中にあったなら、
自分はどのような行動をとる人間になるだろうか、
それを自己の規範としなければ、
心だけの世界は、危険な方向に暴走してしまう危険性を秘めています。

やはり心と行動は、ふたつひとつの陰と陽の関係です。


私が大推薦している引き受け気功でもまったく同じです。
悪いもの、邪なるもの、忌み嫌うものを引き受けます、受け入れます、
こう唱えて気功の動作をすることで、自らの運命を拓く方法です。

これも本来は、そういった心になることによって自分を変える方法のはずです。
けど実際はどうでしょう、
「嫌なことは避けて通りたい。だから引き受け気功をしっかりやらなきゃ」
と思っておられる方が多いのではないでしょうか。

本当に嫌なことに感謝し、引き受けられる自分になったのであれば、
率先して嫌なことに対して行動できる自分になっているはずです。

またそうなるためにも、心の修練というものには、
思いの変革と同時に、行動も同時に変革を起していく必要があります。


心はやはりすべての大元です。
それは間違いのないことです。
けれどもその心を変えていくために、
行動の規範を作り、行動を変えていくことを求めるのも、
また正しいことだと思います。


もうひとつは時代背景というものを考えなければなりません。

宗教が生まれ、その勢いを増してきたこれまでの時代は金属の時代です。
形というものを重んじ、目に見えるものを尊ぶ陽の時代です。

そして形ある教義、宗教組織、その建物、専従者、
それらを守るためには形ある力が必要です。
宗教が形ある行動を求め、その中でも、
その宗教組織を守り広めるための布教が、
最も尊い善行であると説くのは自然なことです。

また今のように人類が物質的豊かさを享受できるようになったのは、
ごく最近のことであり、それまでは、
人々は生きるための糧を得ることに必死でした。
そこで生まれた生きるための知恵である宗教が、
心のあり方とともに、形ある行動の規範を示すこともまた当然のことです。


私たち人類は長い歴史を経て、少しずつ成熟し、
ようやっと水の時代、心の時代の幕開けへと到達しました。
時代の変化は急激でも、一瞬にしてすべてが変わるわけではありません。

近年急激に人間の想念という心の力が高まってきているのを感じるのは、
この時代の変化のエネルギーです。
けれども多くのスピリチュアルな世界の動きを見ていると、
まだまだ本当の心の時代は開けていないのを感じます。

それは外からのエネルギーではなく、
私たちの心の持ち方からそう感じるのです。

先に挙げたホ・オポノポノ、引き受け気功のこと、
またスピリチュアル系のサイトのほとんどが、
いかに願望という物欲を成就するか、
いかに想念や宇宙からのパワーをゲットするか、
そういった話題に終始しているのが現状です。




私はインドの孤児たちから、
今この瞬間に生きている幸せ、「ただ足るを知る」ということを教えてもらいました。

私たち日本人が彼らと同じ心を持てるようになるためには、
彼らと同じようにすべてを捨て、
「物質的貧しさ」から「心の豊かさ」を学ばなければならないのでしょうか。


想念の力は無限です。
想念は時空をも超越します。

今月の23日、光よりも早い物質が発見されたというニュースが流れました。
  <根底崩れた?相対論…光より速いニュートリノ 科学  読売新聞>
もしこれが事実であるとするならば、相対論は根底から崩れ、
私たちの持っている時間の概念は大きく崩れます。

因が生じ、そこから果が引き起こされ、その果の方が因よりも時間軸の前、
つまり過去に起こるということが物理的にあり得ることとなるのです。

私たちが経験的に感じていたこと、「過去は変えられる」
この『事実』が物理的に証明される日が近い将来やって来るかもしれません。

これもやはり想念の力が増大してきたひとつの現れでしょう。

この想念の力の活かし方が、私たち人類の将来を決めるでしょう。


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2011.9.25 Sunday  
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