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子どもたちから歓迎の踊りを受け、式が終わった後に子どもたちにカメラを向けるとみんな大喜びです。
日常のちょっとした行事が、子どもたちにとっては大はしゃぎするぐらい嬉しいことなのです。

今日は歓迎会なのでちょっとだけおめかししています

暗かったので少しぶれてしまっていますが、この素晴らしい笑顔、分かっていただけますでしょうか。
この子どもたちの笑顔をなんと言葉で表現すればいいでしょうか。
かわいい、美しい、・・・どんな素敵な言葉を持ってしても、この輝くような笑顔の前では色あせてしまいます。

なぜ子どもたちはこんなにも素晴らしい輝くような笑顔ができるのでしょうか。
孤児であるこの子たちの両親と会えたわけでもなく、お小遣いをもらったわけでもなく、ただ式が終わりカメラの前ではしゃいでいる、それだけです。

たったそれだけのことで全身輝くような喜びを表現できる、こんな素晴らしい、豊かで幸せなことが他にあるでしょうか。

ホームの子どもたちはほとんど私有物を持ちません。
学校の勉強道具、制服といったもの以外は小さなトランクケースに収まる私服ぐらいです。

子どもたちの私物

そんな質素な暮らしをしているにも関わらず、なぜこんなにも素晴らしい笑顔が生まれてくるのでしょう。
このことの理由を、私はずっと深く考え続けてきました。

そして分かったこと、それは子どもたちは質素な暮らしをしているにも “関わらず” ではなく、 質素な暮らしをしている “からこそ” この輝くような生の喜びが表現できるのだということです。

私たちは生まれもった時からみな平等に “生命の輝き” というものを授かっています。
けれども大人になり、たくさんの知識を覚え、分別をわきまえてくるようになると、その生の根幹にある輝きというものが見えなくなってしまいます。
けれども豊かな自然とともに暮らし、質素な生活の中で日々暮らすインドの孤児たちと接していると、生命の本質は輝きであり、喜びであるという真理を、知らず知らずのうちに気づかせてもらうことができるようになりました。

吾唯足るを知る

吾唯足るを知る(われただたるをしる)という言葉を、これまでたくさんのお坊さんや偉い先生方から聞き、頭で分かっていたつもりでしたが、インドで楽しく生をまっとうする子どもたちを見て、その意味するところを体で深く理解できたように思います。

足るを知るということは、現状に満足するという意味ではなく、その生の根幹にある輝きを見つめるということが本義であり、それを見つめようとする時、身の回りにある様々なもの、地位、肩書き、知識、財産などによって目を曇らされることがあるのです。

生きる上で最も大切なもの、それは子どもでも大人でも、お金持ちでも貧しい人でも、だれしもがみんな心の奥深くに持っているものなのです。
私はそのことをインドの子どもたちから教えてもらいました。

子どもたちはいつも元気いっぱい

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