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神のご守護<2>

「神のご守護」 ・・・ まだお読みでない方はこちらからお読みください。

神のご守護とは宗教的意味合いの言葉ではなく、
この時空の法則性そのものであり、
何人たりともこの法則性から逃れることはできません。

この法則性を身近で感じさせてもらえること、
それによってその法則性に則った生き方ができること、
これが深い神のご守護を与えていただいていることなのだと
私なりに解釈しています。


人の持つ願望はいろいろです。
美味しいものが食べたい、きれいな服が着たい、素敵な場所に旅行したい、
こんな日常的な願望から、
政治家になって国を変えたい、医者になって難病で苦しむ人を助けたい、
こんな大きな人生の目標、天命と呼べるものまで様々です。

幸せや喜びも同じです。
日常的なささいな幸せや喜びから、
人生を感じさせる深いものまでいろんな形があります。

人生の難しいところは、
日常的な願望をひとつずつ成就させることが、
必ずしもより大きな願望成就の道になるとは限らないところです。

もちろんひとつひとつの目の前の夢を実現させることによって
大きな夢をつかむ人もいるでしょう。
そしてそれとは逆に、辛い人生を歩む中で大切なことをひとつひとつ学んでいき、
大きな夢を実現させる力を身に付ける人もいます。

幸せや喜びもまた、日常的な幸福感に溺れてしまい、
より大きな幸せをつかむチャンスを逸してしまう場合もあるかもしれません。


これも何がいい悪いの世界ではないのですが、
今のように大きく価値観が変わっていこうとする時は、
目先の願望や喜びに目を奪われるのではなく、
より長い目で見た私たちの幸せというものを見つめるべきだと思います。

現にこの地球環境を壊滅的なまでに破壊させてしまった原因は、
目先の利便性、快適性を求めるために発展し続けてきた
現代文明にあるのですから。


私自身の体験ですが、
私は三十年前に神の道を歩む誓いを立て、
その後宗教、精神世界、スピリチュアリズム、
目に見えない不思議な世界と深い関わりを持ち、
素晴らしい人たちとの出会いをいただいてきました。

その中でたくさんの「神のご守護」をいただき、
不思議なことも人の何倍も経験することができました。

何事も真理を突き詰めたいタイプの私は、
そういった不思議な世界の本を山のように読み、
願望実現について書かれた本だけでもたぶん数百冊は
目を通したと思います。

そこから学んだ願望実現のテクニックを数多く実践し、
シンクロニシティー(共時性現象)も数え切れないほど体験しましたが、
それでほとんどの願望は成就できたかというと、
まったくそんなことはありません。

ほんのささいなどんでもいいようなことは現実化しても、
日常のことで強い願望を持っているものは、
現実化しはないことがほとんどです。

これはなぜなのか、・・・ 随分と考えて得た結論はひとつです。
日常的ではないもっと深いところに大きな願望があり、
それを実現させたいという大きな力が働いているのだろうということです。

目先の小さな花を咲かせるより、
まずは根をしっかりと張り、茎を強くし、
将来的により大きな花を咲かせたい、
私の魂はそう願っているのだということを強く感じるようになりました。

そしてその魂の願い通りに導かれる、
それが私にとっての偉大なる「神のご守護」です。


神のご守護 ・・・ 御利益 ・・・ 無病息災、家内安全 ・・・
ついついこんな風に考えてしまいがちですが、
神のご守護とは深い宇宙の摂理ですので、
そういった表面的なものだけではないのです。

前世療法で魂の世界とコンタクトを取ると、
人は皆自分の一生というものを、
自らの意志でもって選択しているということが分かるそうです。

大金持ちになるか乞食になるか、
芸術家になるのか農家になるのか、
自分がこういう経験をしたいという思いの元に両親を選び、
そこに生まれてくるのです。

もしそれが、たとえば障害を持った体だったとすると、
生涯苛酷なものを背負った人生となるかもしれませんが、
それも魂がより大きな学びを得たいと考え選択したものであり、
魂の世界では、そういった選択をした人を「勇敢なチャレンジャー」と
呼ぶそうです。


神のご守護は誰にでもあるものです。
ただそれに気付くか気付かないかの違いです。

ご守護は私たちの考えている目先の御利益とは違います。
もっともっと深いもの、自らの魂が求めたものです。


以前ご紹介した二つの言葉を再度ご紹介いたします。

【ヘレン・ケラーの言葉】

 幸せの扉がひとつ閉まると、別の幸せの扉が新しく開くようになっています。
 でも私たちは、閉まった扉ばかりを眺め続けているために、
 新しく開いた扉を見ることができないでいることが、とても多いのです。


【ニューヨークの病院の壁に書き残された詩】

 大きなことを成しとげるために
 力を与えてほしいと神に求めたのに
 謙遜を学ぶようにと
 弱さを授かった
 
 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 よりよきことができるようにと
 病弱を与えられた

 幸せになろうとして  
 富みを求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった
 
 世の中の人々の賞賛を得ようとして
 成功を求めたのに
 得意にならないようにと
 失敗を授かった

 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと
 いのちを授かった

 求めたものは一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられた


 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
 心の中で言い表せないものは
 すべて叶えられた

 私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されていたのだ


2011.1.16 Sunday  
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