我が魂の遍歴と新しい時代の理
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神因縁の道

神の道、天理教の布教師になることを志した私ではありますが、その時周りからの説得もあり、大学を卒業し、就職をし、結果的に少しずつ天理教というものから離れることになりました。

神前で必死の思いで誓いを立てた天理教布教師への道、これを守っていないことに関して、不思議なほど罪悪感がありません。
もっと正直に言うならば、実のところまったく罪の意識がないのです。

それは形としては天理教布教師になるという誓いだったのですが、その奥の本質部分は神の道であり、真理を追い求め、自分にできる限りの社会奉仕をするという道だったからです。


就職をして初めて親元を離れて一人暮らしを始めました。
初めて体験する社会人としての生活は、世間知らずだった私にとって驚きと学びの連続でした。
そこで広い世間というものを知り、自分には特定の固有名詞を持った神名を唱える宗教(組織)というものが肌に合わないということを知るようになりました。

この世界には数え切れないほどの宗教があり、それぞれ異なった神名を唱え、それぞれの宗教で「これが真理だ」と教えられる教義も千差万別です。
そんな中、信仰を持つ多くの人が、たまたま縁あって出合った自分の信じる宗教が、絶対のものだと信じておられるその姿が、私にはどうしても体で理解できないのです。

世界の各地で、異なった宗教を持つ者同士が憎しみ合い、時には殺し合いを行なっています。
宗教の説く愛、平和、これは各宗教間に存在する教理の違いという壁を壊さない限り絶対に実現しないのではないでしょうか。

私は天理教、そして宗教というものから心が離れてしまいましたが、神の道を誓ったあの時の気持ちは一時たりとも忘れたことはありません。
今も潜在意識のレベルでは、24時間休むことなく真理とは何か、生きるとは、愛とは、平和とは、・・・そんなことを思い続けています。

宗教から離れても宇宙(時空)の絶対的法則、存在としての神の道を歩むことはできる、真理を追究することはできる、そんなことを思い、求め続けてきました。
そして今は、宗教というものから離れたからこそ、真理というものを真っ正面から見つめることができるのだと、自信を持って語ることができるようになりました。


神の道への誓いは私の胸から離れることはありません。
その表れとして、私には深い神因縁というものが与えられました。 社会人として独り立ちをし、天理教から遠ざかってからの私の人との出会いは、まさに神因縁に彩られた奇跡の連続でした。
人に語っても容易に信じてはいただけないものだとは思いますが、宗教家、超能力者、スピリチュアルな専門家、そんな深い精神世界を持ったものすごい方たちと次々と出会いました。
そしてその人たちとごく短期間の内に懇意になり、最も身近なところにいたり、そのグループで中心的な活動をしたりという極めて濃密な関係を結んできました。

これまでそういった人たちから「是非後継者に」、「私の仕事を手伝ってほしい」、「秘伝を教えるから学んで欲しい」などということを言われ続けてきました。
そして私自身も何らかのスピリチュアルな専門家になりたいと願ったのですが、それは叶わない夢でした。
そしてそういった超人的な方たちの姿を間近で見させてもらい、その中に完全に同化しないことによって、結果としてそういった世界を客観的に見ることができました。
これが私の役割であり、望んでいたことなのだと、今はハッキリと理解することができます。

このたび、このレポートを書くにあたり、これまで出会いのご縁をいただいたスピリチュアルな方たちのことを頭の中で整理してみました。

仏教、キリスト教、神道、気功、風水、瞑想、神智学、宇宙エネルギー、潜在能力開発・・・、
そして今最も力を入れて取り組んでいるトイレ掃除やハガキ道といった心の修養を目的としたものまで、これまで深い関わりを持ってきたスピリチュアルな方たちの分野は実にバランスが取れ、かつ多方面であることにあらためて気が付きました。


学生時代、神の道を志した時、あのまま天理教の布教師になっていたら、こんなたくさんのスピリチュアルな方達との出会いは決して得ることはできなかったでしょう。

今スピリチュアルな世界を志す人たち、また一部宗教家の人たちの間では、“神” という言葉の代わりに、同じく絶対的な存在を示す概念として “サムシンググレード” という言葉が流行のように使われています。
この言葉を提唱されたのは、「生命の暗号」等の著書で有名な筑波大学名誉教授の村上和雄先生です。

私はこの村上先生のお話を、今から27年前、村上先生のご実家である天理教の教会でお聴きしました。
村上先生のご実家は天理市内にある立派な天理教の教会で、私は縁あってそこの教会によく通わせてもらい、27年前の夏、その教会に泊まり込んで信者の子どもさんたちのお世話をさせてもらい、その時に子どもたちと一緒に村上先生のお話を聴く機会を持ったのです。 村上先生は教会のご長男で、当時はすぐ下の弟忠雄さんが教会に入り、会長職に就かれていました。

この会長先生が学識、社会人としての経験、人間的風格を備えた魅力的な方で、よく教会を訪ねては会長先生から様々なアドバイスをいただきました。
その頃の私にとって、会長先生はあこがれの存在のような方でした。

私が大学を中退してすぐにでも天理教の布教師になりたいと決意をした時、会長先生は私にハッキリと諭すように反対してくださいました。
もしあの時に会長先生の反対がなければ、たぶん大学をやめて布教師になり、今とはまったく別の人生を歩んでいたはずです。

スピリチュアルな世界をグローバルに統括するような概念を提唱する村上和雄先生、その弟さんにスピリチュアルな広い世界へ歩むキッカケを与えていただいたということは、私にとって奇しき因縁と思えてなりません。

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