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許す<2>
幸せとはその人の心のあり方、
その心のあり方を変えるには、日常生活の中での形を変えること、
行動を変えること、これをモットーとするようになってから、
思考の切り替えがそれまでより容易にできるようになってきました。
この前のページ「許す」を昨日の午前中にアップし、
そこに書いたことを即実践すべく、
お昼に我家から一番近いコンビニ、
鬼瓦のような顔をした店長がいるコンビニへと向かいました。
店の前に自転車を停めて中を覗くと、
例の店長が不機嫌そうな顔をしてカウンターの中に立っています。
「許す」ことを実践するにはその方が好都合です。
店長の顔を見ないようにして、にこやかな顔で店内に入りました。
そこで何か飲み物はないか探している時、
胸元のケイタイに見知らぬ番号から着信が入りました。
ケイタイに出てみると、それは新聞記者からのものでした。
十日前、川で溺れた時に新聞記者も二人取材に来て、
そのうちの一人、大手中央紙の記者にトイレ掃除ボランティアの一環で川に入った
と語ったところ、とても興味を示し、
そのトイレ掃除風景を一度取材させて欲しいと語っていたので、
その了解という意味での連絡でした。
私のホームページも見てくれたらしく、
来月9月4日に行われる「宮島トイレ掃除の集い」に取材に来るとのことでした。
何という事の流れでしょうか、
公衆トイレを掃除し、橋桁もきれいにしようと川に入り溺れ、
新聞記者と出会い、「許す」を実践しているまさにそのタイミングに
取材の申し込みがある。
これは理がすぐに現われる「神のご守護」なのか、
あるいは時間の流れの高速化、想念の力が増した結果なのか、いずれにしても
「許すことがその人の運命を大きく変える」
ということを示すサインなのだと感じました。
午後は嫌いで手に取ることすらなかったある著者の本を読みました。
読み物形式の自己啓発書でしたが、
さすがによく売れている本だけあって書き方が洗練されていて、
心にしみるいい内容でした。
自分では超えない、超えたくない、振り向くこともなかった心の壁も、
ただひょいと乗り越えてしまえば、
そこに広がっているのは何もないただ清涼な空間です。
この何もない透明な世界、
これが人間誰しもが本来持っている心の世界なのでしょう。
そしてそこにかげり、曇りを与えているのがその人の思いです。
自分にとって許せないもの、嫌いなものとはなんでしょうか。
その理由は、
そしてそれを克服することはできないでしょうか。
許せないもの、嫌いなもの、
それは自分の心を透明にするキッカケを与えてくれる、
人生の心の旅路で出合う宝の山のようなものですね。 (^o^)v
2010.8.18 Wednesday
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