ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 因果の法則



ヨガナンダ



2018年11月26日 ・・・ 因果の法則

これまで「生命」とは何かを突き詰めて考えてきて、
そのシンプルでありかつ精妙な仕組みには何度も驚き、
感動させられました。

その生命の仕組み、基本法則のひとつが因果の法則です。
因果とは、自らの行いが、
いつか必ず自分の元へと返ってくること、
もっと大きくは、原因と結果、その関係性を示します。

止まっている振り子を右に大きく動かせば、
それはしばらくした後、必ず左へと向かって返ってきます。

壁にボールをぶつけると、
その投げたスピードに比例した速度で、
自分の元へと戻ってきます。

人間の行いも同じであり、
善行は善果として、
悪い行いは悪い結果として自分に降りかかってくるのが因果の法則です。


ではなぜ、振込み詐欺や様々な不正、犯罪行為を人間は行うのでしょう。
それは因果の法則が分からないから、
行った行為の結果がすぐには返ってこず、
「悪いことはした者勝ち」という誤った価値観を持ってしまうからです。

またなぜ因果の法則は、
誰にでもすぐに分かるように目の前に現れないのでしょうか。

それは原因から生まれる結果とは、
その流れ自体がひとつの生命であり、
人間が母親の胎内で十月十日を過ごすように、
植物の種が土から芽を出すまで数日、数ヶ月の日数を要するように、
生命の誕生には時が必要だからです。

また本当に大切なことは、
自ら気づくことが大切であり、
因果の法則もまた、そこに意識して目を向けない限り、
なかなか気がつけないようになっているのだと思われます。


自分の場合、この因果の法則が、
明確な形で目の前に現れることがよくあります。
以前「神のご守護」に書いたように、
その法則が明瞭に見て取れるがゆえ、
誤ることなく正しい方向へと向かって進んでいくことができ、
それが宗教的表現で言う「神の愛」であり、
「神のご守護」なのだと感じます。

因果の法則を示す「一粒万倍」という言葉があります。
一粒の種から採れる実りは一粒ではなく、
その何倍もの収穫が見返りとして戻ってきます。

稲穂の実りはまさにこの通りであり、
自然の中に流れる生命の法則はすべて共通しているがゆえ、
人間の行為や思いにも、この法則が当てはまります。


因果の法則は、
いいことをした時よりも、
悪いことをした時の方がその結果が早く返ってきます。

これは稲穂と同じ、植物に例えて考えるとよく分かります。
悪行とは、生命の法則に反し、その生命を絶つことです。
植物の生命を断つのは簡単です。
根っこを土から引っこ抜いたり、
茎をハサミでちょん切ってしまえば一発であり、
生命を絶やす行為の結果はすぐに現れます。

これに関しては自分の中で何度も経験があり、
そのたびに深く反省するとともに、
神、Everything Greatに見守られている喜びを感じています。

本当に、具体的には書けないような小ずるいことをすると、
お金を落としたり、大怪我をしたりということを何度か経験しました。
ですから今はそういうことはしないよう強く心がけています。

この18日に紅葉を見に宮島に行った際も、
帰り際に330円のにぎり天を二つ買い、千円札と60円を出したところ、
店の人が間違って百円多い五百円玉をお釣りにくれました。

その五百円玉を手のひらに乗せたまま店の人に、
「お釣り間違ってますよ」と言ったところ、
多すぎるお釣りを返す人は少ないからなのか、
しばらくきょとんとし、そのすぐ後「すみませんでした」と言いながら、
五百円硬貨の代わりに百円玉四枚を返してくれました。




ところで、今年もまた目の不自由な方に盲導犬を贈るための
盲導犬チョコレートを販売しています。



このチョコレートを販売して得た収益を盲導犬育成の資金にし、
今年でいよいよ三十頭目となる盲導犬を、
必要とする方にお贈りします。

とても美味しいミルクポッド型のチョコレートが四十個入って一箱1100円、
これが22箱入った1ケースが23000円で、
ホームページからお申し込みいただけるようになっています。
  <井上わこのホームページ>

工場直送のためお申し込みはケース単位になっています。
皆さんで分けたり何かの会で配ったりしていただければ幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。


自分もこのチョコレートをいろんな会に持っていったり、
知り合いに声をかけ、
直接手渡すものは一箱単位で現金をもらって販売しています。

今日のことです。
集まったお金を集計し、きれいにまとめようと思い、
細かいお金を大きなお札に換え、
硬貨はすべて買い物で使おうと考え、
財布の中に入れました。

そして夕方、スーパーで五百円硬貨を出そうと思って硬貨を手に取ると、
なぜかいつもと硬貨の感触、色合いが異なります。
なんだか硬貨が白っぽくて大きいのです。

もしかして韓国の500ウォン硬貨、またはパチスロのコインかも・・・、
そんなことを思いながらその硬貨に書かれた文字を読んでみると、
記念硬貨のようです。
しかも5000円と書かれていてビックリです。



平成2年発行の『議会開設百年』を記念する硬貨です。
今日までこういう硬貨があるということすら知りませんでした。

これはたぶん誰かが五百円硬貨と間違って渡してくださったのだと思います。
五百円硬貨と比べると、
少し白っぽくて一回り大きく、厚みも若干あるようです。

いつどこで手にしたのかまったく分かりません。
念のため、心当たりのあるところで尋ねてみようと思いますが、
たぶん入手経路は分からないでしょう。


さきほど悪行はすぐに結果が現れ、
善行は結果が出るまで時間がかかると書きましたが、
最近は、善行でも早く結果が出るようになってきたと感じます。

「今日はいいことができてよかったな♪」と感じる日は、
なぜかいいことが起こる確率が高いのです。
そんなことをここ数週間ぐらい前から感じ、
実は今日も、自分なりに今年最高と思えるほどの満足することがありました。
しかも八日前に宮島で五百円硬貨を返したということも、
何か偶然ではないものを感じます。


今こうして書いていて思い出しました。
これは数年前のことですが、
懇意にしているお年寄りにお使いを頼まれ、
いろんな店を何軒も回り、必要にものを買いそろえました。

買い物の金額は合計四千円ちょっとで、
そのお年寄りは、いろんなところを走り回らせたので気を遣い、
一万円札をお釣りはいらないからと言ってくださったのですが、
あまりにも気の毒なのでそれはお断りしました。

そのすぐ後、広島市内のホールにコンサートを聴きに行き、
当時東日本大震災の直後だったので、
会場の外では震災義援金を募る募金をしていました。

その募金箱を持った人やコンサート帰りの人たちでごった返しているところ、
その床に敷かれた赤いカーペットの上に、
なんと一万円札が落ちているのです。

なぜか回りの大勢の人たちは、そのお札の存在にまったく気がつきません。
また誰が落としたものかも分かりません。
たぶん誰かが募金をしようと財布を開いた時、
お札がパラリと床に落ちたのだと思われます。

ついさっき、ほんのニ三時間前に「結構です」と言って返した一万円札が、
場所を変えて自分の元に返ってきたのだと感じました。

けれどその一万円は、
誰か落とし主が分かれば返して上げてください、
もし誰も名乗り出ないようなら震災募金にしてくださいと、
主催者の知人にお渡しました。


善行の結果がすぐに返ってくるということが、
ここ最近何度も続いているので、
単なる偶然とは思えません。

なぜそうなったのか、
もしかして自分の中の何かが変わったのかもしれません。
または、時代の大転換期も佳境に入りつつあり、
時間の流れが速まったのではとも感じられます。

いずれにせよ、因果の法則が身近に感じられるというのは幸せなことです。
これはまさに暗闇を進む中、
目標物を示す灯りのようなものです。


先月末「新たなる生命の時代」をまとめ、
自分の人生に於いて、新たなるステップを踏み出したと感じます。

因果の法則も含め、これからも生命とは何なのか、
その最も深く、最もシンプルなものを追い求めていく所存です。

2018.10.26 Monsday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.