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2019年2月6日 ・・・ 思いの根っこ

少し前にご紹介した神谷美恵子著「生きがいについて」を
今も味わうように読んでいます。
本書、NHKのテキストともに読み終えるには、
たぶん一ヶ月以上かかるでしょう。
そんな深みのある本に出合えたことに幸せを感じます。

テキストによると、彼女がハンセン病に関わりたいと願うようになったのは、
昭和八年、津田英学塾の学生で、まだ十代であった頃、
叔父に連れられて行った東京の国立療養所多摩全生園で
ハンセン病の人たちと出会い、そこから
この人たちの近くにありたいという気持ちが抑えがたく大きくなっていった
とのことです。



今は全国どこの病院もとてもきれいで快適な環境ですが、
八十数年前の当時、ハンセン病は感染性の不治の病とされ、
著しく容姿が変わり、身体に障害を持つ人たちが終の棲家として
一般社会から隔離されて収容されたその施設、
それがどのような空気感を持つところであったのかは想像に難くありません。

その後彼女は当時としては不治の病とされていた肺結核に冒され、
苦しい闘病生活を送り、また愛する人との死別を経験し、
父親の激しい反対にあいながらも医学の道を志すようになりました。


それぞれの人間が進むべき道というのは生まれ落ちた時点で決まっていて、
幼少期からの人生は、
その道へと進むキッカケを引き寄せ導きながら歩む、
そんな道程であるように感じます。

真に幸せな人生とは、
喜びに満ちた日々が続くことだけではなく、
ある時点で人生を振り返り、
過去の苦楽を交えた人生様々な出来事が、
今の自分を築く糧になっていると感じられることです。

またそれは、どんな境遇、資質を持って生まれたとしても
可能なことであり、
それを最も幸せから遠いと考えられる
ハンセン病患者の人たちの中に見い出し、
そこから名著「生きがいについて」が生まれました。



ハンセン病に罹患し、収容施設に入れられるのが
抗しがたいひとつの運命であるように、
彼女のように自らの意志でハンセン病と関わったのもまた、
彼女の内にある強靱な運命の導きであったように感じます。


この本やテキストを読んでいると様々な気づきがあります。
つい先日、ある子ども時代の出来事、
その後のものの見方に大きな影響を与えたであろうある出来事を、
彼女の人生と自分の人生とを照らし合わすことによって思い出しました。

それは大阪でのことなので、
たぶん四十数年前、中学生の時のことだと思います。
神谷美恵子と同じように、自分も母親に連れられ、
そういった施設を訪ねたことがあるのです。

何も分からず母に連れられて行ったところなので、
詳細は不明です。
たぶん知的障害のある子どもたちの施設で、
母の遠い親戚が運営していたのだと思います。

当時病院というと実に殺伐とした雰囲気で、
コンクリートむき出しのような色彩感のない内装、
廊下では甲高い靴音や医療機器を運ぶワゴンの音が響き、
消毒液の臭気があたりを漂い、
そこにいるだけで気が滅入り、逆に病気になってしまうような、
そんな印象を持っていました。

その施設は病院ではないものの、
同じような暗く悲しい空気が漂い、
そんな空気が日常として
深く静かに堆積していっているような、
そんな沈痛な思いが心の中に深くのしかかりました。

歩いている廊下の向こう側で、
中学生ぐらいの女の子がしゃがみ込んで何かつぶやいていました。
もしかしてらそこはトイレの前で、
おもらしをしてしまっていたのかもしれません。

こんなことを書いている今もその時のことを思い出し、
胸の奥に鈍い痛みを感じます。

その施設にどのぐらいの時間いたのか定かではありません。
ただその後、タクシーに乗って母と新阪急ホテルというところに行き、
バイキング料理を食べたことはハッキリと覚えています。

目の前に並べられた豪華な料理、
それを目で見ながら、
今ごろ施設の子どもたちはどんなものを食べているのだろうかと思うと、
人生の不条理というものを強烈に感じずにはいられませんでした。


その施設に行った経験は、
なぜかここ数年はまったく思い出すことはありませんでしたが、
神谷美恵子の多摩全生園訪問のことを知ったことをキッカケに
ふと思い出し、自分にとってもこの施設訪問が、
その後の生き方に少なからぬ影響を与えているということを
初めて感じ取りました。

インドの貧しい子どもたち、
ボランティアで関わっている様々な障害を持った人たち、
公衆トイレの掃除、
生命の仕組みを探究したいという思い、
それらすべてが、その施設訪問時に感じた “不条理” 、
それと結びつきを持っていることを感じます。


三日前、NHK WORLD で、インドのマザーテレサの施設で
27年間奉仕活動を続けている日本人女性のことがニュースになっていました。



素晴らしい、そし羨ましいと感じます。

今の自分にこういったことができるかどうかは分かりませんが、
いつかマザーテレサのように、
世界で最も貧しく、最も恵まれない人たちのそばで活動したい、
そんな抗しきれない思いが胸にあります。

マザーテレサの施設はインド国内に数多くあり、
施設によって入っている人たちは異なり、
2014年に訪ねたインド最南端カニャクマリの施設には、
知的障害を持つ成人男性の方たちがおられました。



日本にいると豊かで便利な生活に慣れ、
生活すべて、生きることすべてに対する感性が鈍くなっているのを感じます。
と言うか、本当はそんなことすら感じないほど
鈍くなり切ってしまっているのが、
インドから帰ってくると分かるのです。

インドのホームで子どもたちと日々過ごしていると、
豊かな自然、質素な生活の中、
いやが上にも日常すべてのこと、生きる意味というものを
研ぎ澄まして見つめざるえなくなります。

そしてその研ぎ澄まして見つめた先、
その芯にあたる部分に、生きる喜びの本質があるように感じます。

そしてそれはたぶん、神谷美恵子がハンセン病の人たちと過ごす中で見つけた
“生きがい” と同じものなのだと思います。


自分が望む最も貧しく最も恵まれない人たちとの暮らし、
頭に描くその風景は、
遠い昔、あの大阪の知的障害児施設で見たそれとまったく同じです。
それに気づくことができたのは大きな宝です。

今日2月6日は亡くなった父の誕生日、
生きていれば今日で98歳を迎えたことになります。
亡くなった両親への親孝行、
それはこの宝物を磨き、輝きを与えることだと信じています。

2019.2.6 Wednesday  
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