ヨガナンダ 心の時代のパイオニア
 ヨガナンダ > スピリチュアル夜話 > 瞑想



ヨガナンダ



瞑想

人間は日々膨大な量の想念を頭に思い浮かべ、
その数は一日二万とも五万とも、あるいは六万とも言われています。

そしてそのほとんど、97%がいつもと同じ発想の繰り返しであったり、
過去への後悔や未来への不安という、
考えてもどうしょうもないもので占められています。

ほんの短時間でも己の想念の持ち方を振り返ってみると、
たしかに考えても無駄なことや、
思い浮かべただけで心が乱れるような、
そんなマイナス想念がたくさん頭の中を過ぎ去っていることに驚かされます。


最も大切なもの、唯一絶対と言っていいものは、
今この瞬間、この場所、神道で言うところの『中今』、
これだけであり、これがすべてです。

ここがすべての原点であり、
ここを正しく見つめることができなければ、
過去も未来も正しい姿で捉えることはできません。

なぜならば、概念として理解しにくいかもしれませんが、
時間軸には過去も未来もなく、あるのは現在、今、この一点だけであり、
昨日という過去は、昨日の時点での現在であり、
十年後の未来は、十年先の現在だからです。

時というのは本来、過去から未来へと流れるのではなく、
今という真理の瞬間が連綿と繰り返されるということです。

ですから今、現在がすべてであり、
ここに意識を向けることがすべてに通じるのです。


今、ここ、この限りなく短く小さな時空間に、
無限である“すべて”が詰まっている。

迷いや苦しみ、それを生じさせるものの見方というものは、
その原点である “今” から意識を反らすことによって生まれてくる、
このことを理屈ではなく身体で感じます。

自分という小宇宙と、その周りを取り囲む大宇宙は鏡の存在であり、
自分という小宇宙、つまり今この瞬間、この場所というミクロの時空間に、
大宇宙のすべての要素が含まれています。

瞑想は目を閉じ、外なる大宇宙、過去や未来といった時間の存在を断ち切り、
今ここ、己という小宇宙に意識を集中させることにより、
時空のすべてを感じ取ろうとするものです。

もしも様々な迷いによって心が乱されているのなら、
しばし呼吸を整え、目を閉じ、心を落ち着かせ、
己の内の一点、呼吸をしているという今この瞬間に意識を集中させてみてださい。
これが瞑想というものです。

身の回りのいろんなところ、遠い過去や未来、
様々なところにちりぢりに飛んでいた意識が一点に集中することにより、
意識は狭まるのではなく、逆に無限の可能性を感じ取るはずです。


二三十年前、まだスピリチュアルという言葉が一般的ではなく、
精神世界という呼称で不思議な心の世界を呼んでいた頃、
瞑想を趣味のひとつとしていて、
たくさんの瞑想に関する本や音楽を入手し、
いろんな方法で瞑想をしていました。

当時は心の持つ不思議な世界に興味津々で、
瞑想によって、それを感じるキッカケにしたいと強く望んでいました。

特に今から27年前の平成元年当時は、
岡山市に一年間暮らし、
その間は毎週末の夜に車で倉敷に行き、
神智学系の集団瞑想をするのを楽しみにしていました。

それから二十数年、
心の不思議な世界を様々体験しながらも瞑想とは遠ざかっていたのですが、
つい先月、iPadのアプリに瞑想をサポートするものがあるのを知り、
たった120円だったので面白半分に入手してみました。

マインドフルネス・アプリ
マインドフルネス・アプリ
無料
posted with アプリーチ

安価とは言え、さすがiPadのアプリだけあっていろんな機能があり、
時間や途中経過を知らせる鐘のなる間隔を自分で任意に調整することができます。

このアプリを使い、ここ一週間ほど毎日瞑想しています。
時間はそんなに長時間ではありません。 わずか十分です。
最初に鐘がなって瞑想スタート、途中真ん中の五分で再び一回鐘がなり、
最後十分後には鐘が数回なってストップです。

本当は十分では少し物足りないのですが、
物足りないくらいがちょうどいいと感じ、
しばらくはこの時間で続けていこうと考えています。


ほぼ二十年ぶりぐらいで瞑想をするようになって、
瞑想のさらなる深みを知りました。
この間の時の重みを感じます。

瞑想は、目を閉じている間無念無想を心がけますが、
なかなかそんな状態が長く続くことはありません。
ほとんどの時間は、
せわしなく湧き上がってくる雑念と、それを静めようとする思い、
このふたつが心の中を行き交っています。

心に浮んでくる雑念の力は本当に強いもので、
日常に於いても、意識はしなくてもこの雑念に翻弄されているが、
瞑想をするとよく分かります。

ビジュアル的にイメージするとこんな感じです。
一本の大きな樹、その幹の中ほどに鳥が一羽留まれるようなくぼみがあり、
そこにいる(ある)のが自分の心。
自分の心は、そのくぼみ一箇所に意識を集中しようとするのですが、
木々の回りは様々な鳥や昆虫が飛び回り、風はそよぎ、
葉っぱは音を立てて揺れ、雲は流れ、
そんな外部の様子に心は奪われ、意識はそっちに飛んで行ってしまう、
こんな感じです。

そしてこのたび二十年ぶりに瞑想をして、
そんな以前と変わらぬ雑念による心の揺れは感じるものの、
その中心となる幹のくぼみ、
これが昔と比べてはるかに深く安定していて、
外に意識が向いてしまっても、
その一部はしっかりとくぼみという“己の内”にあるという感覚なのです。

最初は少し眠気の強い状態だったので、
意識が重く沈んでそう感じたのかと思ったのですが、
その後もこの感覚は続き、
この二十年ほどの間に、
自分の心に何らかの変化が生じたのだということがよく分かりました。

自分の心の内に意識を向けると、
そこに以前にはなかった暖かな座布団のようなものを感じます。
これがとても心地よく、まさに快感です。


スペースクリアリング、断捨離、セドナメソッド、
不要なモノ、ガラクタ、様々な感情、それらを手放すことは、
“今・ここ” 以外のものを手放し、
原点でありすべてである “今・ここ” に集中するための作業だとも言えます。

そしてこの二十年間はそれらのことを実践し、
少しは以前よりも “今・ここ” 以外のものを掃除できたのかなと感じます。


つまりは瞑想も、スペースクリアリング、断捨離、セドナメソッドも、
それら心を磨くとされるものはすべて、
同じところを目指す方法だと言えるでしょう。

そしてこれら素晴らしい心を磨くための手段は、
まったくお金や道具に頼ることなく、
心がけさえあれば、誰でも簡単に実践できるということが共通しています。

最も深い真理、すべてのものの源泉は、
最も身近なところにあり、
その究極が己という小宇宙であり、今・ここ、なのです。。

瞑想はその真理に気づくための最良の手段です。

過去の偉人とされる人たちのほとんどが、
瞑想習慣を持っていたと言われています。

様々な心の実践とともに、瞑想を習慣とされることをお勧めいたたします。

なまけ者の3分間瞑想法なまけ者の3分間瞑想法
デイヴィッド ハープ David Harp

創元社 2000-09
売り上げランキング : 253209

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

2016.10.8 Saturday  
ひとつ前へ  ホームへ メニューへ 次へ
Link Free
Copyright 2010 Sakai Nobuo All right reserved.