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シンプル<2>
もう三十年も前に読んだ天理教関係の本に書かれていた一節が、
今も心に残っています。
なにぶん昔のことですので、記憶違いをしているところもあるかもしれませんが、
天理教東本大教会という立派な教会を一代で築いた中川よしという
限りなく深い慈愛と鉄のような行動力を持った布教師のお話です。
中川よしは明治2年生まれ、
信仰に目覚めた若かりし頃、
遠く丹波(兵庫県)の山奥から乳飲み子を背負い、
大和地方(奈良県)にある天理教の教会本部に歩いてお参りに出かけました。
本部では偉い先生が中川よしを前にして話をはじめます。
「遠いところよく来たなあ ・・・ 」
その労をねぎらい、まず語りはじめたのが、
「あのなあ、大切なのはなあ、朝起き、働き、正直やで ・・・ 」
中川よしはその言葉を聴くと頭を下げ、
「いいお話を聴かせていただきました。ありがとうございます」
と言って腰を上げ、その場を離れようとしました。
「おいおい、どうしたんですか。今話をはじめたばかりじゃないですか ・・・ 」
「いいえ、私にはそのお話だけで十分でございます。
今から丹波に戻り、朝起き、働き、正直、その三つをしっかりと実行し、
それができた後で、お話の続きを聴かせていただきます」
「大きな事を為す人は、ごく身近で簡単なことから着実に実行していくんだなあ」
まだ二十歳そこそこの若造だった私の胸に、
この話は深く響きました。
それから三十年経った今も、胸の中で色褪せることはありません。
それどころか逆に、情報過多の現代だからこそ、
この話の意味する価値というのは高まっているように思えます。
本当に体にいいものをごく少量、よく噛んで食べることは、
健康を保つために大切なことです。
毎日豪華な食事を食卓に並べ、
暴飲暴食し、よく噛まずに飲み込んでばかりいれば、
内臓に負担をかけてメタボになり、
生活習慣病他万病の元となります。
情報もこれと同じです。
私たちの身の回りには『素晴らしい』と思える情報があふれかえっていて、
それらを見たり触れたりするだけで満足し、
ほとんど『身に付ける』というところまで至らずに終わってしまうことが多いようです。
これは食べ物に例えたら、よく噛まずに飲み込んだり、
鵜飼いの鵜のように口から喉まで入れて吐き出してしまうのと同じことです。
古いものを手放すから新しいものが手に入る。
ガラクタを処分するから、身近にある大切なものに目が行くようになります。
物質的豊かさを享受する私たち現代人ですが、
その多くが心の中に何らかの悩みを抱え、
その解決策を自分の外に向かって懸命に求めています。
けれども求めてはいるものの、そこから何かをつかみ、
ひとつずつ着実に実践していこう ・・・ とまでは至らない人が多いようです。
かく言う私も同じです。
少し前までは、人生の先輩から、
「あんたは悩むのが趣味なんやね〜」などとよく言われたものです。
百回愚痴を言ったり、百回人からいい話を聴くよりも、
たった一回、いいと思えることを実践する方が、
確実に自分にとってプラスになります。
『幸せ、喜びは、自分の外に追い求めるのではなく、
身近にあるということに気付くことである』
これは理想論ではありません。
いつまでも己に対して不全感を抱き、
もっともっと ・・・、外に外に ・・・と目を最も大切な自分や
自分の身近なところからそらしてしまっては、
永遠にくたびれ果てるまで終わりなきレースを走り続けるようなものです。
本当に大切なもの、ことは、
自分の外ではなく内、
遠いところではなく身近なところ、
新たに手に入れるものではなく、今手元にあるもの、
難しいものではなく簡単なもの、
知ることではなく気付くこと、実践することです。
Simple is best.
2011.1.27 Thurseday
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