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自分の中の基盤

今の時代の変革は、絶対から相対への価値観の変化でもあります。
  <相対> <絶対>

そして絶対と相対というふたつのものも相対の関係であり、
絶対があるから相対があり、相対があるから絶対があるという関係になっています。


自分を愛する、主体性を持つことが大切だと、これまで何度も書いてきましたが、
極端な例え話をすれば、
真っ暗闇の宇宙の中、たった一人で存在しているとするならば、
自分と周りとを比べることができないのですから、
自分が自分を愛しているのか、主体性を持っているのかということを
判断することはできません。

相対の世界にいるからこそ絶対というもののあり方が理解できます。

相対の時代をよりよく生きるには、
自分の中にある確固とした価値観を確立し、
決してぶれることのない絶対的で安定した基盤を持つことが必要です。

多くの実りをたたえた稲穂は頭を垂れ、
風に揺られてしなやかに揺れ動くことにより、
強い風が吹いても茎が折れたり倒れたりすることがありません。

しかししなやかな茎とは対照的に、
土の中では大きく伸びた根が大地をしっかりとつかみ、
揺るぎない基盤を作り上げています。

武道の達人は全身を硬直させてはいません。
相手のどんな動きにも対処できるよう体中の筋肉をリラックスさせています。

そしてそのリラックスした全身の基盤となるおへそのすぐ下の臍下丹田は
気がみなぎり、骨格の中心である背骨はまっすぐ上に伸びています。

稲穂も武道の達人も、剛なる基盤の上に柔なるものがあり、
それ故に外部のいかなる変化にも柔軟に対処することができます。


絶対と相対の関係もこれと同じです。
自分の中に絶対的な基盤が確立されているからこそ、
周りとの関係である相対を正しく見つめることができます。

カメラを例にして考えると分かりやすいでしょう。
カメラを持つ手が安定していなければ、
周りの世界である被写体はブレたように写ってしまいます。

最近のカメラは手ぶれ防止機能という便利なものが付いていますが、
人間にはそんな機能はありません。
カメラがぶれないように、腰を据え、脇を締め、
体とカメラを持つ手を安定させなければならないように、
自分の内面と見る目がぶれないよう自らが意識をし、行動しなければなりません。


このブレない自分、安定した絶対的な自分を作るための道のりが、
自分を愛すること、主体性を持つこと、
そして今この瞬間を生きるということです。

比較、相対の世界ではない絶対的なものを確立するからこそ、
相対の世界をよりよく生きていくことができます。


私が今目指しているのはこのことなんだなと最近よく感じます。
それは私だけではなく、多くの人たち、
もっと端的に言うならば、今の文明社会に生きるほとんどすべての人たちに
求められていることなのだと思います。

最近の私の一番の楽しみは、
自分の内面の変化を感じ取ることです。
それは自分の中に、いかに絶対的な基盤が築くことができたかということです。

言葉を変えて表現するならば、
いかに自分を深く愛しているのか、
他のものに揺さぶられることのない価値観を自分の中に確立しているのか、
周りの環境、過去や未来様々なことと、
今、自分というものをいかに切り離して感じ取ることができるのか、
今この瞬間を喜びを持って迎え入れることができるのか、
そういったことです。


自分の中の絶対的な基盤というものは、
相対の世界に浸るとよく分かります。

いつもの変わらぬ日常生活の中でももちろん感じ取れるものですが、
昔読んだ本を読み返した時、
懐かしい人と再会した時、
緊張を要するような場面に遭遇した時などに、
自分の内面の変化が、以前の自分と比較してよく分かります。

自己の基盤が確立されていくと、
以前と比べていかなることにも動じない自分を発見できるようになります。
また周りで起こってくるイレギュラーなことに対しても、
その原因を自分の中に求めるようになってきます。


絶対があるから相対がよく見える、
相対があるから絶対というものの存在を確認できる。
絶対と相対、時空の共生関係は実によくできています。

「楽しい人生」の中で、
自らの持つ可能性を十分に発揮することが楽しい人生である、
というようなことを書きましたが、
可能性を発揮するために様々な経験をする中で、
自分というものを深く見つめることができるのも、
またとても楽しいものです。

人間は、一生自分の顔を直接見ることはできません。
自分の顔は、鏡や写真を通してしか見ることはできないのです。
このことは深い真理を含んでいます。
自分という、ある意味絶対的な存在は、
自分の外にある相対的なものによってしか知ることはできないということです。

自らの可能性を試し、いろんな経験を積み、
その中から自分というものの本質を見つめていく、
これが人生というゲームの本質のような気がします。


今は「天の岩戸開き」の時、
そのゲームをよりよく楽しむための道具は山のように用意されています。

その道具を使って、自分の中を掘り進んでいってください。
真剣にそれを目指すのであれば、誰にとってもゴールは目前です。

2010.12.12 Sunday  
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