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見切る

先日知り合いの高知のお百姓さんとお酒を飲みながら話をしている中で、
坂本龍馬のことが話題になりました。

私はあまり龍馬のことについては関心がないのですが、
今のように交通網も通信手段も発達していなかった江戸末期に、
全国かなりの距離を行脚し、その先々で要人と出会い、
人の心を動かし、大きな事を為し遂げたことには驚異を感じます。

そこまでのことを成し遂げる努力、
その人間力たるや素晴らしいものがあったのだと思います。
そしてそのことを龍馬に詳しい高知の知人に問うてみました。

彼はつい最近、ある武道家とそのことについて話をし、
そこで出た話として、
「坂本龍馬には人を見切る力があった」
ということを語ってくれました。

高知にはじまり江戸、長崎、鹿児島、京都、・・・
それぞれの土地で会うべき人との出会いを求め、
事を運んでいくためには、
人を見切る力を持ち、本当に自分が会うべき人間は誰なのか、
その人と会う中でどのようなことを伝えなければならないのかということを、
一期一会、決死の覚悟で挑むことが必要だったろうと思います。

いろんな手段で情報を発信し、
電話でもメールでも、また直接会って話をすることもいとも簡単にできる
今のような時代ではないのですから、
人との出会い、そのタイミング、内容、
すべての面において自分にとって真に必要なものは何かということを見切る力は、
今以上に求められていたことでしょう。


武道でも見切るというのはきわめて重要な極意です。
剣でも拳でも、自分を攻撃してくるものに対して
必要以上に大きな動作でそれをかわしていては、
体勢が崩れ、次になかなか自分の攻撃に移ることはできません。

武道の達人は相手の攻撃を見切り、
紙一重のところでそれをかわし、
すぐさま自分の攻撃をしかけることができます。

自分に向けられた拳をつかみ取ることができたなら、
その拳の動きのままに腕を引っ張って投げ飛ばせば、
わずかな力で相手を大きく飛ばすことができます。

相手が自分に拳を打ち込んでくる時は、
相手の重心は自分の方に向かってきています。
この時に、相手の拳をかわすと同時に相手に拳を打ち込めば、
その偉力は二倍にもなります。


武道で見切りをするために必要なことは何でしょう。
私も部外者ながら考えてみて、ふたつのことが頭に浮かびました。

ひとつは相手の動きを正確に見るということです。
相手の呼吸、体のほんの少しの動きから次の動きを正確に予測します。
ですから攻撃する立場から言えば、相手に自分を見切られないよう、
自分の体の重心はどこにあるのかを気づかれないようにしなければなりません。

剣道でも合気道でも、道着の下に袴を着るのは、
自分の足裁きを相手に見せないようにする目的があります。

そこから私たちが学ぶべきものは、
正しく物事を見る目を持つ、様々な感情をクリアーにし、
見る目を汚さないということでしょうか。

もうひとつは、自分自身の根本を揺らぎのないものにするということだと思います。
格闘技である武道では、相手に動きを見きられないように、
柳のようにしなやかに体を動かしますが、
その根本にはしっかりと強いものがあるからこそ、
瞬時に体勢を変えることが可能です。

自分が常に根無し草のようにフラフラしていては、
相手の体や心の動きを正確に捉えることはできません。

ここから私たちが学ぶべきことは、
地に足をつけた生き方をするということでしょう。

知り合いのお百姓さんの言葉には力があります。
普段から田んぼや畑で土を触り、農作物を育てている人は、
土と天候、農作物といった絶対に嘘をつくことがないものから多くを学んでいるので、
その芯となるものがぶれることがないのです。

先にご紹介した世界の七大陸最高峰の無酸素単独登頂に挑戦している
栗城史多さんも同様です。
生命存在限界を超えた場所で自然と命が会話をし、
その極限状態からにじみ出てくる言葉に偽りの入り込む余地はありません。


自分にとって地に足をつける、その大地となるものは何なのか、
そのことを自問自答してみました。

私にとって絶対的にひな形となるものは自然です。
海であり山であり、また宇宙でありミクロの素粒子の世界です。
そして事実としての歴史の流れ、
そういった誰しもが客観的に知ることのできる世界です。

このホームページには、天理教、仏教、キリスト教、
様々な宗教や宗教家の方たちのことを書いていますが、
もし私がどれかひとつの宗教だけを信奉し、
その教祖や教典の言葉を絶対だと考えていたら、
他の宗教のことを客観的に書くことはできないでしょう。

何か特定の宗教を信仰することが悪いとは言いません。
ただ私にとっては誰から見ても変ることのない
自然そのものが最大の教師であるということです。

自然にあるものこそが素晴らしい、我々はそこから学ぶだけである。

このホームページを立ち上げた当初からトップページに掲げている
建築家アントニオ・ガウディの言葉です。


地に足をつけて生きる、私心を捨てて素直な目を持つ、
まるで純真な子どもの世界です。

たしかに、子どもの目はごまかせないと言いますね。

「武道身体」で生きる!対人技の真髄―日野晃の武道探求記
「武道身体」で生きる!対人技の真髄―日野晃の武道探求記日野 晃 『月刊秘伝』編集部

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2010.11.2 Tuesday  
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